“日本で最も消滅が近い村”で目撃した過疎の実態 群馬県南牧村はなぜ高齢化率ワースト1位になったのか
高度成長期からすでに人口が減少していた南牧村は1990年頃には、高齢化率が現在の日本平均(29%)並みに達していた。長谷川村長は「国全体で高齢化が進む3倍、5倍のペースで進み、35年かけ高齢化率は70%近くになった」と説明する。 1999年から2010年まで続いた「平成の市町村合併」の際には、日本全国で小規模自治体の編入合併が進み、3200以上あった自治体は1700程度まで減少。南牧村でも隣接する下仁田町と合併の話が浮上したが、下仁田町側で反対運動が起こり、構想は頓挫した。
「下仁田にしてみたら、(規模が大きい)富岡市と合併するならいいけど、多くの貧乏人を抱えてどうするんだといったイメージになり、それで合併しなかったという経緯がある」(長谷川村長)。産業に恵まれなかった南牧村にとっては、「合併」という選択肢を得ることすら難しかったといえる。 一方で合併しなかったぶん、高齢化率が他自治体よりも相対的に高まったとの見方もできる。当時編入合併された過疎地はその後、合併しなかった自治体に比べて人口減少が進む傾向にあったとも指摘されている。合併後に地域間の学校が統廃合し、役場も廃止されることで、地域の雇用が一気に萎んだからだ。
いったん「自治体」という立場を失うと、「周縁部」としてその存在は見えづらくなる。結果的に、南牧村が合併して「下仁田町南牧」になったほうが幸福だったかはわからない。 ■就任早々に「ワースト1位」と名指し 長谷川村長が就任したのは、2014年春だった。その後10年間は、国が推進した「地域創生」の時代と重なっている。就任からわずか約1週間後、「消滅可能性自治体」のワースト1位として名前が上がり、「びっくりはしないけど、『どうせ消滅しちゃうんだから』と諦めムードに拍車をかけてしまうようで残念だった」(長谷川村長)。
その後、国は自治体の地方創生を支援する交付金制度なども創設した。自治体が主体的に行う取り組みを国が後押しする立て付けで、村は交付金も活用し、移住者を増やす取り組みを進めた。長谷川村長は「大変な地方でも、若干かもしれないが創生のチャンスが出てきたのはよかった」と振り返る。 結果的に、現在は村外からの移住世帯が毎年数世帯誕生し、ゼロの年もあった出生数は年2~3人に回復したという。 毎年60人程度が亡くなる南牧村でこの先人口減からの反転は考えにくいが、若年層の人口規模が極めて小さいぶん、こうした流入を地道に繰り返せば、15年後に人口は現在の半分程度の700~800人で安定すると見込む。「最近移住した2人の女性がともに外で男性を見つけて結婚し、村で子どもが生まれている。微々たる数だが、少し明かりが見えてきた」(長谷川村長)。