高市氏の「電波停止」発言に対する抗議会見(全文4/完・質疑応答2)
異論を許さない放送を出すような未来にならない保証はない
金平:はい、ちょっと時間がそろそろなくなってきたので、これで会見を終わりたいと思います。一言だけ、私はテレビ、新聞の方々とは違ってテレビのことばっかりやってきた人間ですからね、先ほど神保さんが言われていたような、なんでそんな放送法4条の解釈ごときであんな、法的拘束力あるようなね、ことはすぐはね返せるじゃないかというようなお話があったんですが、放送法の成り立ちの勉強っていうのを自分なりにやってきたときに、これ、皆さんお読みになったらいいと思うんですが、評判の悪いNHKがですね、今ね、出してる、NHK放送文化研究所っていうところが出している『20世紀放送史』っていうのがあるんですよ。これはとっても面白いです。どういう形で放送法っていうのが出来上がってきたのか、それから電波法。 で、1952年か、そこでどういう制度的な改変があったかとか、そういうことがものすごく詳しく出ていて、先ほど私がいった、例えば田英夫キャスターの解任事件とかそういうことも全部出てますね。だし、それは本当に目からうろこが落ちるような思いで読んだんですけども、今、テレビが政権批判ということをしなくなって、多様な意見を提示できなくなって、それから自粛をして国策に逆らっちゃいけないみたいなおかしな空気が広がっていった行き先、行き着いた末っていうのは私、たまたま昔ソ連時代のモスクワの「ゴステレ」っていうのを見ていたものですからね。ゴステレっていうのがどういう国策報道をしていたかっていうのは、もちろん自分の国のことを棚に上げていうんですが、そういうテレビの在り方を見てたし。 それからつい最近、北朝鮮のKRTっていうね、国営放送が水爆実験の成功と人工衛星のミサイル打ち上げを流した放送っていうのを見ていて、あれを私たちのテレビ局が流すときには半ば、半ば嘲笑的に、こんな放送を出してるあの国はこんなひどい国だ、みたいな意識がどこか底のところにあって、ああいう放送をきっと流してるような気がするんですね。みんなにやにやしながら見てますよ、あんな変な放送出してるというふうに。 だけど自分の身を顧みてみれば、自分たちの国の放送がああいうふうな形の、ある意味で言うととても異論を許さない、反論を許さない、多様性のない、批判精神のない放送を出すような未来にならないっていう保証はないというふうに僕は思ってます。それぐらい今、危機的な状況だというふうに思ってますけどね。 わずかな時間でしたですけども。