「日本は格差社会」は大間違い…多くの日本人が「格差が広がっている」と錯覚している納得の理由
ジニ係数は絶対か
格差に関するデータをおさらいしておくと、最も一般的に用いられるのは所得に関する「ジニ係数」である。 ゼロから1までの間で、ゼロは完全な平等(全員が同じ所得)、1は完全な不平等(一人がすべての所得を独占し、ほかの全員は所得がゼロ)を意味する。経済協力開発機構(OECD)によると、ジニ係数(所得再分配後)で見た日本の不平等度は、OECD38ヵ国中、11番目に高く、格差は大きい部類に入る。 ただし、ジニ係数が格差に関する唯一絶対の指標なのかというと、そんなことはない。 ジニ係数の問題点として指摘されるのが、人口の大半を占める「普通の人」に関する所得のばらつきを測るには有効だが、上位1パーセントや0.1パーセントといった「かなりのお金持ち」がどの程度その他の人々と比較して所得を得ているかといった格差を見るには適していないというものがある。また、不平等度を見るには、所得よりも資産の偏在度合いを見たほうがいいとの考え方も当然あり得る。
日本は「格差社会ではない」
こうした観点から、日本は(少なくとも国際比較においては)格差社会とは言えないと主張する専門家が一定数いるのも事実だ。 たとえば一橋大の森口千晶教授は、上位0.1パーセントの超富裕層、1パーセントの富裕層の所得が国全体の所得に占めるシェアの日米比較や、日米大企業の役員報酬の差などから、「世界的なトレンドとは異なり、『富裕層の富裕化』は観察され」ず、「現在の相対的貧困率が国際的にみても歴史的にみても高い水準にあるという理解」も「正しくない」と分析する。 その上で、日本は「アメリカ型の『格差を容認する社会』になったのではなく」、男性正社員が一家を養うという古いモデルを前提とした社会保障システムが、非正規雇用の増加や非婚率の上昇といった社会変化に追い付かず、「なし崩し的に『格差の広がった社会』になったといえる」と結論付けている(内閣府「選択する未来2.0」2020年4月15日・第6回会議提出資料「比較経済史にみる日本の格差 日本は『格差社会』になったのか」)。 森口氏に改めて見解を尋ねてみた。森口は「『格差社会』という言葉が先行して、多くの人が日本も格差社会になったと思っている」と語りはじめた。その上で、世の中の大半の人が格差を良いことだと思っていないという点で「日本は格差社会なんかじゃないんですよ」と断言した。「貧困層が拡大し、固定化されているのは事実だ」と認めつつ、「多くは高齢化で説明できる」として、世の中の格差論がイメージ先行であることに不満を漏らした。 また、『21世紀の資本』で一世を風靡したフランスの経済学者トマ・ピケティらによる「世界不平等研究所(World Inequality Lab)」がまとめた「世界不平等報告書」も、日本は所得格差に関しては1980年代以降、増大傾向にあるとするものの、資産格差については「とても不平等だが、西ヨーロッパ諸国より不平等というわけではない」と指摘。「1995年以降、資産のシェアはほぼ安定している」として、富の偏在が広がっているとの見方を否定する。
井手 壮平