公共図書館数2118から30年間で3310に増 サービス向上、試行錯誤の知の殿堂
公共図書館の登録者数は30年前に比べ令和5年度は約2・6倍の5667万3千人に。活字離れが進み、書籍の売れ行きが年々減収する中、国民の知を求める姿勢は一定程度表されている。「知の殿堂」として無料で図書を貸し出し、かつ地域の拠点としてどうあるべきか。地方創生を担う実験場の模索は続く。
■戦前の図書館の多くは有料
日本最古の図書館は律令制の時代、国家の図書を管理するために設置された図書寮(ずしょりょう)とされる。
資料・記録の収集・保管、書写が主だったが、徐々に貴族が担うように。8世紀に石上(いそのかみ)宅嗣(やかつぐ)が芸亭(うんてい)と称された私設文庫を作った。平安期には菅原道真や藤原道長ら貴族が文庫を所有し、相互に図書の貸し借りをして交流を深めていた。
貴族、武士、僧侶らが図書の収集や保管を行う中、鎌倉から室町期にかけて金沢文庫(神奈川)や足利学校(栃木)が誕生したが、あくまでも保存図書館であり、庶民が活用できる場ではなかった。江戸期には貸本屋が流行。図書は高価で庶民には高根の花だった。
時流が変わったのが明治維新だ。福沢諭吉ら欧米視察者は図書館建設を提言。政府は明治5(1872)年、東京・湯島に書籍館(しょじゃくかん)を設置した。大学や地方でも図書館設置の流れが加速するが、多くは有料で、書籍館の後継である帝国図書館(現在の国立国会図書館)は、1回あたり現在の貨幣価値で100~200円を徴収。男女別での利用とするなど規制が多かった。
戦後、昭和25年に「図書館法」が制定された。連合国軍総司令部(GHQ)の指導下で、資料保存施設から教育文化施設へと衣替え。資料収集や提供の自由を掲げ、市町村単位で設立された。戦後しばらく利用が低迷したが、日野市立図書館(東京)が車両を使った移動図書館などで積極的に貸し出しを行うなど振興のさきがけとなり、今日の図書館を築いた。(五十嵐一)
■にぎわいだけなら図書館の必要性ない 新藤透・国学院大教授(図書館情報学)