特攻隊員が通った銭湯の女将が建てた菩薩像、廃業後に「行き先見つからない」…熊本市の寺が受け入れ後世へ
ハツさんは79年に73歳で死去。銭湯を継いだ堤さんの父も2009年に亡くなった。銭湯もその頃に閉業し、菩薩像は堤さんが管理してきた。
移設の話が進んだのは、戦争体験者の証言などを記録している菊池飛行場ミュージアム(熊本県菊池市)の永田昭館長(60)が菩薩像の存在を知り、「平和への思いが形になったもの。なんとか保存したい」と住民に聞き込み、堤さんに連絡を取ったことがきっかけだった。
堤さんも「いずれ銭湯も解体しなければならないが、菩薩像の行き先が見つからない」と悩んでいたといい、永田さんが移設先を探すことに。当時、隊員が過ごした三角兵舎に近い熊本市東区の「浄円寺」に依頼して快諾を得た。住職の呼野淳さん(51)は「亡くなった方の願いを受け継いでいきたい」と話す。
戦後80年が近づき、義烈空挺隊として命を散らした若者の存在を知る人は少なくなった。飛行場跡は現在、住宅地となり当時の名残はない。堤さんは「身近にいた若い隊員が特攻で亡くなった。菩薩像をきっかけに犠牲者に思いをはせ、訪れる人が供養を続けてほしい」と期待を寄せている。
◆義烈空挺隊=1945年5月24日に熊本市の健軍飛行場から飛び立った特攻隊で、米軍が占領する沖縄の飛行場を標的とした。12機に手投げ弾や機関短銃などで武装した落下傘部隊と飛行隊員計168人が搭乗。機体の不良などで引き返した4機を除き、112人が犠牲になったとされる。