殿が独立、妻は出て行き…“「玉袋筋太郎」っぽさにとらわれていた”50代で得た気づき(レビュー)
著者はたけし軍団出身で漫才コンビ・浅草キッドの片割れである玉袋筋太郎(56)。いわゆる昭和の芸人として、これまでお茶の間に力いっぱいバカバカしさを届けてきた。 そんな著者の人生は50代に入って激変する。師匠・ビートたけし(77)の退社により所属事務所のオフィス北野が雲散霧消。「殿がいない事務所なんて」と独立を決意するも、相方・水道橋博士(61)は残留を選択。本書では“ザ・当事者”として、この件に関する胸の内も赤裸々に明かされる。 誰かだけが悪いわけでも、誰かだけが間違っているわけでもない。しかし、どんなに心を通い合わせていたつもりでも、人と人の間には埋めがたい溝が生まれることがままあるのだ。 この苦々しさを、著者は仕事だけでなくプライベートでも同時に味わうことになる。妻が出ていってしまったのだ。ある日突然、犬を連れて。思いあたる節はありすぎる。長年苦楽を共にし、妻の連れ子であった息子も立派に独立。50代に入って人生の後半、さあこれから一緒にという矢先。よくある熟年夫婦の末路が、まさか自分に訪れるとは。
■名前にとらわれていた
突然襲ってきた孤独と向き合い、やむなくこれまでの人生を振り返る著者。すると、良くも悪くも「玉袋筋太郎」という芸名にとらわれ過ぎていたことに気付く。 殿であるたけしに付けてもらった誇りある大好きな名前。だが、《コンプライアンス違反ギリギリの被差別芸名だからこそ、オレは無意識に「玉袋筋太郎っぽくふるまわなきゃ」という思いに支配されていた》。破天荒に、無頼派っぽく。知らず知らずのうちに続けていた無意識下の自己演出。だが、50代に入ってからの怒涛の変化に「無理して玉袋筋太郎を演じる必要はない」と悟り、力むのをやめられた。 人生の折り返しに差し掛かり、正直、芸人としてはもっと爪痕を残したかったという思いもある。でも、そんな今の自分が本当の自分。芸人の傍らスナック経営もしている著者は、店でお偉いさんから名刺を貰うことも多く、地位や肩書なしで果たしてどれだけの人が自分の味方になってくれるのか、しばしば考えていたという。 自死で亡くなった父、認知症が進む高齢の母。両親の「人生の終わり方」を見て、または年下のタレントからの意図せぬ寄り添いに感極まり、はたまた誕生した初孫に耽溺して。コロナ禍も加わり、50代に起こった怒涛の変化に錐揉(きりも)みされて著者は思う。そうだ、折り返した後のこれからの人生は「美しく枯れる」ことを目指そうと。