「人が11年以上、住めなかった街」に子連れでなぜ戻ったのか 福島・双葉、原発事故で全町民が避難「昔は出たかったけれど…」 #知り続ける
「娘には幼なじみも近所の子もいない」
それから1年。小学1年になった長女は、町が用意したタクシーで隣町・浪江町内の小学校に通う。双葉町にあった小中学校は、今も福島県いわき市に移転したままだ。 帰還後しばらくは町役場から線量計を借り、持ち歩いて生活したが、心配するような数値は出なかった。「絶対に影響がないとは言い切れないかもしれないが、数字で見て安心を実感している」 それでも、人が住めるのは除染が進んだJR双葉駅周辺と町の中心部ぐらい。町にはスーパーもない。当初は子どもが体調を崩すと、どの病院へ行くべきか困った。 今はまず子どもの数が増えてほしい。「娘たちには幼なじみも近所の子もいないから」。ただ、双葉町で暮らす選択は良かったと思う。 「誰もやったことのない町の再生に関わる人のパワーやふるさと愛は、普通じゃないから」 子どもたちにはお気に入りの場所もできた。復興作業員向けに工具などを売る店だ。理由は、アイスを買ってもらえるから。品揃えが豊富とは言えず、お店の人にも「コンビニもあるのに本当にここでいいの?」と聞かれるほど。それでも「ここがいいの」と答え、お店の人と楽しそうにやりとりしている。
徐々に増える店や施設、一方で更地も
「よいしょ!よいしょ!」 1月上旬、双葉駅前に威勢のいい声が響きわたった。小さな子どもから大人まで、高さ約3㍍の巨大ダルマを綱で引き合う。江戸時代から続くとされる伝統のだるま市。原発事故後、有志が避難先で存続させ、昨年、12年ぶりに町内で再開させた。今年は2回目だ。 住民は100人ほどなのに、2日間で約3300人も集まった。避難先から訪れた町民らが「久しぶり」、「元気だった?」と再会を喜び合い、笑顔が溢れた。 町は徐々にだが、店や施設が増え始めている。山根さんは散歩の途中で、町の中心部に新しい郵便局を見つけた。ATMもある。最近、カフェや温浴施設などもできた。ただ、一方で古い建物の解体も多く、更地も増えている。 一見すると寂しい光景のようだが、山根さんはこう考える。 「変わっていく町を見ることを楽しめている。娘たちもどんどん変わる様子を肌で感じて育つことで、将来、何かの役に立てばいい」