【身体と私】生物学者・池田清彦が語る〈食の冒険〉Vol.5
履歴書に記されることのない、肉体に刻まれた記憶をたどる《身体と私》。当シリーズでは、スポーツはもちろんのこと、わたしたちの人生に欠かせない身体の履歴を〈私〉の悲喜交々とともに回顧し、学歴、職歴、資格や免許の有無からは知り得ない生身の〈私〉を紐解く。
日本の食料戦略は、本末転倒
――御著書『食糧危機の真っ赤な嘘』(ビジネス社)では、政府が進める「食料戦略」を厳しく批判しています。 「だって間違っているんだから、批判するしかないじゃない」 ――2021年に策定された「みどりの食料システム戦略」では、2050年までに次のような目標を達成すると謳われています。 〇化学農薬の使用量をリスク換算で50%低減。 〇化学肥料の使用量を30%低減。 〇耕地面積に占める有機農業の取組面積を25%、100万ヘクタールに拡大。 「とんでもないこと言っているよね。はっきり言って『遺伝子組み換え作物』を導入しないと、劇的に生産力を上げることなんて不可能なのにね。有機農法(業)というのは、農薬や化学肥料を使わない農法という意味だけど。これ、農家さんにものすごい負担を強いるんだよ。 さっき、自分の家庭菜園の話をしたけどさ。農薬を使わなかったら、キュウリなんてあっという間にウリハムシにやられちゃうし、オオタバコガの幼虫はトマトの実を食い荒らす。農家さんから農薬を遠ざけて、害虫駆除を手作業でやらせたら、作物の値段は倍付けじゃきかなくなる。だって、今の倍以上の従業員を雇わないと、生産力を維持するのが不可能になるんだから」 ――今でも、人手不足なのに。 「それから『化学農薬の使用量をリスク換算で50%低減』も難しいだろうね。農薬にはいろんな種類があって、それらを『自然環境に対する毒性の弱い農薬』と『自然環境に対する毒性の強い農薬』という区分で格付けすることはできる。でも、『自然環境に対する毒性の弱い農薬』は値段も高いわけだな。だから、こちらも作物の値段は跳ね上がるだけ。 たとえば、アブラムシを退治するのに、自然環境に対する毒性の弱い『お酢』を使った場合と、毒性の強い農薬を使う場合なら、家庭農園レベルでさえ、お酢を使うほうがはるかにコストがかかる。それに、作物を駄目にするのは虫だけでもない。お酢ではアブラムシは退治できるけど、カビによって伝染する黒星病なんかは効果的には防げない。 そうなると結局、多角的なリスクをカバーする農薬を使わざるを得ないでしょ。それでいて、政府が言うように『使用する農薬の使用量を減らす』なら、少ない量で自然環境に対する毒性の強い商品を使うことになっちゃう。本末転倒だよね」