【身体と私】生物学者・池田清彦が語る〈食の冒険〉Vol.5
電気と現金
――結局、どうすればいいのでしょうか。 「僕らがこれまで続けてきた『現代的な生活』を、今の水準で維持したいなら、農薬は使うしかないし、遺伝子組み換え作物も、昆虫食も、合成肉も食べるしかないよ」 ――仮に、今の水準の暮らしを維持しないと決断した場合、我々の生活にどれほどの影響が出ますかね。つまり、何を変えなければならない? 「電気を使ったら、もうその時点で駄目だろうな。上下水道を整備した生活レベルまでだったら、大丈夫かもしれない。だって、ラオスの村がそうだもん」 ――先生がカメムシを食べた。 「その村だけじゃなくて、山深いところにあるたくさんの集落。僕の友達で、ラオスに定住しているやつがいるの。で、彼は虫捕りをしたいときには、まずその近くの集落の人たちと話をして、拠点となる掘っ建て小屋を造る。 そのときに、拠点にすることを許してくれた行為に対して、お礼をしなきゃならない。それがパイプなんだよね。塩化ビニールの水道管を持っていって、山の上の水源から、お世話になる集落まで水を引いてくる。これが喜ばれるんだ」 ――それまでは日々、川まで往復して汲んできていたわけですね。 「そう、だから水を引けば、掘っ建て小屋ぐらいは許してもらえる。僕や友達の目的が昆虫採集だってことは分かっているから、僕らと一緒にいるときは、集落の彼らは虫に手を出さないのね。 それで、大きな蛾やなんかを捕まえてきたときには、最初に持ってきてくれる。『いるか?』って。こっちがいらないってジェスチャーすると、蛾の羽をもいで、木の枝に胴体を刺して、焚火であぶって食べる。それが、彼らのタンパク源なんだね。 もちろん、集落では虫だけを食べているわけじゃなくて、鶏や豚も飼って。でも、そういうのはご馳走で、一番簡単に摂れるタンパク源は虫だろうと思う」 ――集落のかたがたの主食は何ですか? 「米だね。ラオスの気候条件だと3期作まで可能だけど、彼らは1年に1回しか田植えをしない。なぜかって訊いたら、『自分たちで食べ切れないほどの量を作っても意味がない』って。皆、幸せそうに見えたね」 ――そこに電気が入ったら駄目ですか。 「それまでの幸せは、享受できなくなるんじゃないかな。電気が入ると、電化製品という『文明』も入ってきてしまうから。電気がくると、冷蔵庫が設置できる。でも、冷蔵庫を買うためには、キャッシュ(現金)が必要。金銭を得るためには、自分たちが消費する分よりも、はるかに多くの作物を作らなきゃならない。1期作から、2期作へ。労働時間が倍になる」 ――家電製品は、冷蔵庫だけじゃないですしね。 「冷蔵庫の次は、テレビ。いずれにせよ、都市生活者の暮らしを知ってしまうわけだね。知ったら最後、いろいろな電化製品が欲しくなる。それで、お金を稼ぐのにどんどん忙しくなる。ただ生きるために暮らすのが幸せだと思うけど、比較材料を持ってしまうと『生きるために、生きる』という選択肢の魅力が相対化されてしまう」 ――やろうと思えば、日本でも可能ですか? 生きるために生きる、自給自足。 「南のほうなら気候条件は整っているけど、日本だと難しいな」 ――なぜでしょう。 「冬が寒いので暖房で金が要る。それに、電気がないと日本では生活するのが難しいので電気代もかかる」 ――あぁ、世知辛い。/終
【池田清彦/略歴】 生物学者。理学博士。1947年、東京に生まれる。東京教育大学・理学部生物学科卒。東京都立大学・大学院・理学研究科博士課程・生物学専攻・単位取得満期退学。山梨大学・教育人間科学部教授、早稲田大学・国際教養学部教授を経て、現在、山梨大学名誉教授、早稲田大学名誉教授、TAKAO 599 MUSEUM名誉館長。フジテレビ系「ホンマでっか⁉TV」に出演するなどテレビ、新聞、雑誌で活躍。「まぐまぐ」でメルマガ「池田清彦のやせ我慢日記」、YouTubeとVoicyで「池田清彦の森羅万象」を配信中。単行本の最新刊『食糧危機という真っ赤な嘘』(ビジネス社)が話題を呼んでいる。
VictorySportsNews編集部