屈辱のセレモニーから17年…かつて伊東勤氏がファンに「西武復帰は、絶対にない」と断言したワケ
日本一監督になったのに…
「球団を身売りすることになるかもしれない。ただ、選手らユニフォーム組の保証はするから」 2004年、監督就任1年目でリーグ優勝。そして12年ぶりの日本一となった伊東氏だが、日本シリーズ最終戦(10月25日)の1週間後にかかってきた堤義明元オーナーからの電話に、こう思ったという。 《日本一の余韻など一瞬で吹っ飛びました。プロ入り後一筋にプレーし、監督まで務めさせていただき、選手時代と合わせて頂点に立つことができた、愛着のあるライオンズが……、しばらく言葉も出ませんでした》(『伊東勤 勝負師-名捕手に宿る常勝のDNA』ベースボール・マガジン社より) 近鉄とオリックスの球団合併、選手会によるストライキの決行、50年ぶりの新規球団となる東北楽天ゴールデンイーグルスの誕生、そしてダイエーホークスの身売り…激動に包まれた04年のプロ野球界で、11月になって明るみに出たのが「西武がライオンズ球団の売却を検討中」というニュースだった。結果的に身売りされることはなかったものの、堤氏はオーナーを辞任した。前掲書によると、伊東氏は就任時、堤氏から「10年は監督をやってもらう」と言われていたという。 「その後、05年は3位、06年は2位とAクラスを維持していましたが、松坂大輔(43)がレッドソックスへ移籍した07年は、スカウトがアマチュア選手に現金を渡していた裏金問題が発覚しました。伊東さんは、フロント批判を公然と行いましたが、この頃からフロントとの関係がギクシャクし始め、シーズンは5位。25年間守り続けたAクラスからの転落の責任を取り、その年で辞任したのです。ただ、表向きは自ら辞任したことになっていますが、フロントは渡辺久信2軍監督(当時)を軸に新体制構築に向けて動いており、実態は解任同然でした」(ベテラン記者) 前に紹介した13年のCSにおける西武に勝った場面で、当時のサンケイスポーツは伊東氏の西武監督辞任の裏側をこう報じている。 《3年連続Aクラス入りしたものの、07年に25年ぶりのBクラス(5位)になり解任された。同年10月5日、監督として最後のソフトバンク戦では球団からねぎらいの言葉もなく慰労の花束も用意されていなかった。あまりの悔しさに自ら花を買い、当時のソフトバンク・王監督に頼み込んで渡してもらうセレモニーを“自演”した。あの屈辱シーンは今も脳裏に焼き付いている》(2013年10月15日付) 本人が「西武に帰ることは絶対にない」と言い切った理由には、こうした背景があったのである。