インテリア会社管理職→創業100年の和菓子屋を継承。「和菓子好きじゃない」当主が貫く経営者の目線
「職人というより経営者の意識で和菓子業をやっています」 「CIBONE」や「DEAN & DELUCA」といったライフスタイルブランドの事業を手掛けるウェルカム。インテリアに興味を持ち、学生時代から同社にアルバイトとして飛び込んだ本間健基さんは、正社員に登用され、数々の新店舗の店長、そして最終的には旗艦店でもある表参道・CIBONEのマネージャーを歴任。 【全画像をみる】インテリア会社管理職→創業100年の和菓子屋を継承。「和菓子好きじゃない」当主が貫く経営者の目線 話題の店舗で責任ある役職を任され、仕事にやりがいも感じていた。一方で、“和菓子屋の息子としてのアイデンティティ”が常に共存していた。
「後を継いでほしい」とは一度も言われなかった
家業は、神奈川県藤沢市にある大正12年創業の小さな和菓子屋「古美根菓子舗」。本間さんの曽祖父が店を構えた。 源義経を祀る白旗神社の境内で創業した後、道路整備等の理由で神社前に移転。日本の伝統的な年中行事や四季に寄り添う和菓子を作り続け、地元で長く愛されてきた。神社とも密接な関係性を築いており、創業100年を迎えた現在も神事に合わせて菓子を奉納している。 一般的な町の和菓子屋といえば、家族経営の小規模事業。さらに近年は職人の高齢化が進み、若者層の消費も離れつつある。古美根菓子舗も、まさに同じ課題を抱えていた。 「『家業を継いでほしい』とは家族の誰も言わなかったし、もう親の代で事業を畳む意思も聞いていました。でも本当にこのままでいいのかな、とずっと何か心に引っかかっていたんです」 旗艦店舗でマネージャーまで務めた本間さんを、大胆なキャリアチェンジへと突き動かしたものは何だったのか。
地元の生活に欠かせなかった「おじいちゃんの和菓子屋」
本間さんは幼少期から、2代目である祖父と祖母が切り盛りしていた姿を見ていた。 「小さい時はお手伝いと言いながらアイスをもらったりして、ほぼ遊びに行っている感覚。中学生以降は、配達や重労働を。おじいちゃんのお店に行くのが、生活のルーティンでした」 実は、父親も内装のフローリングを貼る仕事で名の知られている名職人。本間さんが高校生の時、父親が当時の青山ベルコモンズにあった「CIBONE Aoyama」のフローリングの貼り付けを担当。その縁から、同店の完成披露イベントに両親が招待されたことがあった。 すでにその頃からインテリアに興味を持ち始めていた本間さんは、そのレセプションのフライヤーを見て、感度の高さにカルチャーショックを受けた。その原体験が、のちの進路につながったのだという。 「高校卒業後は専門学校でプロダクトデザインを学び、絶対『CIBONE』に入ろうと決めていました。でもいざ履歴書を送ったら、最初はまったく取り合ってもらえなくて(笑)」 そこで、住まいの隣駅の湘南台にあった系列店舗である「GEORGE’S FURNITURE」(現・GEORGE’S)の門を叩く。手頃な価格帯のインテリア雑貨を豊富にそろえ、ファミリー層に人気のお店だ。アルバイトとして4年勤務し、接客の楽しさを知った。 実績を認められ、正社員に昇格。20代のうちに横浜エリアの新たな2店舗で店長を務め、30歳間近で古巣の湘南台店にマネージャーとして返り咲いた。 「入社して10年ほど経ち、違うことにチャレンジしたい気持ちが強くなっていきました。もっと商品一点一点に寄り添い、作家のものづくりや熱意を伝える仕事をして、視野を広げたい。 そして原点回帰したい思いから、当時外苑前にあった『CIBONE』に異動希望を出しました」 これまでの功績が認められ、本間さんは「CIBONE」のマネージャーに抜擢。その頃はちょうど同店が外苑前から表参道に移転することが決まっており、世の中はコロナ禍真っ只中。リニューアル時期が半年遅れるなど想定通りにいかなかったことも多かったが、この経験で価値観が大きく変わったという。 「ずっと憧れていた場所で働けたこと、そして初めて東京で働いたことで、地元で仕事をしているだけでは得られない出会いや経験がたくさんありました」 一方で、頭の片隅には和菓子屋のことが気にかかっていた。