引退発表・伊東輝悦と「マイアミの奇跡」舞台裏(2)松田直樹、中田英寿らと「積んだ」貴重な体験を経て、世界選抜を「圧倒した」カナリア軍団と激突
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、日本サッカー界で起きた「本物の奇跡」と、その舞台裏、そして今季限りでの引退を発表した、その立役者について――。 ■【画像】「どの角度から見ても完璧」堂安律の美人妻、まばゆいウエディングドレス姿と「車内密着」夫婦ショットも公開
■世界に「手が届かなかった」時代
このオリンピック出場権獲得の意味を、若いサッカーファンに理解してもらうのは難しいかもしれない。日本のサッカーは、1968年のメキシコ・オリンピックで銅メダルを獲得して以来、オリンピックでもワールドカップでもアジア予選で負け続け、「世界への道」を断たれていた。 わずかに1979年に、誕生して第2回目の「ワールドユース(現在のFIFA U-20ワールドカップ)」が日本開催となったために、そこで3試合戦った経験はあったものの、1968年からこの1996年まで、「世界」ははるかに手のとどかないところにあったのだ。 Jリーグの誕生とともに日本代表チームは急激に力をつけ、1992年秋にはアジアカップで初優勝、翌1993年にはワールドカップまであと少しまで迫ったが、「ドーハの悲劇」により出場権獲得はならず、「世界」はまだ遠いところにあった。 ただ、1995年にU-20日本代表が初めてアジア予選を突破してカタールで開催された「ワールドユース」に出場、準々決勝に進出してブラジルに1-2で敗れたものの、貴重な体験を積んできた。このチームには、後にU-23日本代表でアトランタ・オリンピックに出場するGK下田崇、DF秋葉忠宏、松田直樹、MF中田英寿がいた。
■ついに開幕した「アトランタ五輪」
そしてついに、1996年7月、アトランタ・オリンピックを迎える。アトランタはアメリカ東南部のジョージア州の州都だが、サッカーは同じジョージア州のアセンズという町が主会場となり、他にはアラバマ州のバーミンガム、フロリダ州のマイアミとオーランド、そして首都ワシントンDCで試合が行われることになっていた。 日本はD組に入り、マイアミでブラジルと初戦を戦った後、同じフロリダ州のオーランドに舞台を移し、ナイジェリア、ハンガリーと対戦することになった。 マイアミは都市圏の人口600万人という巨大都市である。ダウンタウンに近い収容7万4476人の「オレンジボウル・スタジアム」が、このオリンピックのサッカー会場だった。人気の大学フットボール(アメリカンフットボール)の会場として全米に知られており、建設から60年近くたってやや老朽化は目立つものの、アメリカの名スタジアムのひとつと言われていた。 1996年7月20日、このスタジアムにオリンピックのサッカーがやってきた。A組のフランス×オーストラリアが、その最初のゲームだった。オーストラリアでは昨年まで横浜F・マリノスの監督を務め、現在は中国の上海海港で指揮をとるケビン・マスカットがDFとしてプレーし、2年後にワールドカップ優勝メンバーとなるフランスFWロベール・ピレスを厳しくマンマークした。華々しい開幕セレモニーもあったが、観客は1万4322人。試合はピレスとフロリアン・モーリスの得点でフランスが2-0の勝利を収めた。
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