将来や夢や欲望を“語れない”のは悪いことなのか ジェーン・スー×桜林直子の「生きるヒント」
答えられないと、「本当は欲しいのに欲しくないふりをしてる」と受け取られてしまう。でも本当のところ、答えられないのは欲しいものが自分でもわかっていなかったからだと今ならはっきりと言えます。 欲をまっすぐ出せない「素直じゃない人」だったのではなく、その手前で、欲を許可できない、自分でも知らない状態だったのです。 自分に許可を出せるようになってからは、欲しいもの、望むものがわかるようになって、わかりさえすれば、素直に口にできるようになりました。
■自分の欲望をナメるな <スーさんの話> 私はこれまであちこちで「自分の欲望をナメるな」と書いたり話したりしてきました。 これはどういうことかと言うと、「欲しいものがわからない」「したいことなんてない」という人にも、心の奥底に「やりたい」「やりたくない」などの欲望があり、それらをないものとすると、あとから大きな負債になりかねないと思うからです。 大きな負債とは、俗に生きづらさと言われるものです。 ところがサクちゃんと話すなかで、欲望にはもうひとつ手前の段階があることを知りました。
自分に欲望があるということを認め、欲望を持つことを許可する段階。そのステップを踏まないと自分の欲望にたどり着けない人がいることを、私はサクちゃんから教えてもらいました。 びっくりした。そうか、自分で自分に規制をかけているのか。 そういうこと、私も過去にしていたことがあります。「私なんかがこれをやったら恥ずかしい」とかね。 「欲望」をきれいに言うと「夢」になると思います。「将来、モデルになりたいという夢があります」と言ったほうが、「将来、モデルになりたいという欲望があります」と言うより耳心地が良い。これは一般的に「欲は持つと恥ずかしいもの」と思われているからでしょう。
そんなことないのにねえ。 さて、夢があるほうがいいという言説が世の中にはあふれていますが、正直なところ私自身、夢がありません。 でも、それで全然困らない。自分のことを情けないとも思いません。 生きていくうえで欲望がないわけではないのです。将来叶えたい「夢」は特にないというだけ。やりたくないことはすごくハッキリしています。これも欲望のひとつ。でも、たまに「やりたくないこと」を棚卸しして、やってみて「意外と楽しかったな」と発見したり、「やっぱりこれは私がやりたいことではないな」と納得したりしています。楽しいです。