将来や夢や欲望を“語れない”のは悪いことなのか ジェーン・スー×桜林直子の「生きるヒント」
■言うだけはタダだから 具体的に何をしたかというと、「じゃあどうしたいの?」という問いを自分に投げかけました。 たとえば、困ったなという局面は生活していると大なり小なりあるものですが、わたしの場合、「まあしょうがないか」と、限られた手の中のカードで解決するのがおなじみの処し方です。 そこで、実験として、「どうすればいいか」と対処する前に「どうしたい?」「どこに行きたい?」としつこく問いかけてみることにしました。
すると、はじめは「どうせ言っても叶わない」という声が邪魔して、どうしたいかを出すのが苦しく、怖いと感じました。 それでも、「叶わなくても言うだけはタダだから」「何を望んでも誰にも迷惑かからないから」と、だましだましハードルを下げると、「本当はこうしたい」「あっちの方角に行きたい」が少しずつ湧き上がってくるようになりました。 問いがなければ「仕方がない」の精神で物事を進めてしまうところを、あえて一旦立ち止まる。「本当はどうしたいんだっけ?」と、自分にワンクッション挟み込む。
いつも「仕方がない」とあきらめることで進んできたけど、「望んでOK」の許可を出すと、少しずつ自分が望むものが見えてくるようになりました。 不思議ですよね。自分のなかにも「こうしたい」「あれが欲しい」「こっちの方向に行きたい」という願望がちゃんとあったんです。なかったのではなくて、無視していただけだったのですね。 望む方向が見えると、当然ながら、そちらの方向に向かって人生のハンドルを切れるようになります。
それまでは、周りを見渡すこともなく、ひたすら目の前の少ない選択肢に向かってきました。素敵な人を見ても「自分には関係ないことだ」と、うらやむことすらできませんでした。 でも、望めばできる、手に入る可能性があるという感覚を得て、むしろ望まないと手に入ることはないのだ、選択肢は自分で増やすものなのだとそのとき初めて知りました。目の前の世界がひらけたようでした。 いつも「素直じゃないね」と言われてきました。「欲しいものは?」と聞かれた際に何も答えられないからです。