いよいよ多くの人が気づき始めた、兵庫県知事選挙で露呈した「リベラルの崩壊」
「リベラル」が強かった時代の崩壊
「リベラル」が強かった一つの時代が崩れようとしている。 この時代は「父」を傷めつけ過ぎたのかもしれない。父Aを押し付けられたものは、報われることが少なかった。その結果、「父」はそれまで担っていた父Aのポジションを放棄し、権威や雅量といったものは失われる。剥き出しの父Bの欲望を発揮して行動する。 権力・権威の場にあるものが、父Aを引き受けず、出てくるライバルを父Bとして叩くことを続けた。斎藤氏とその陣営は、それをより強力かつ徹底的に模倣した。 新たな秩序の構築には、父Aの再建が不可欠だ。これは生物学的な男性だけの、あるいは政治家のような権力者だけの責任ではない。社会のあらゆる立場の人が、これまで権力者にだけ押し付けていた父Aとしての責任を、自発的に引き受けていく必要がある。 具体的には、以下のような取り組みが求められる。第一に、人権意識の涵養である。これは単なる理念的な理解ではなく、日常生活の具体的な場面における実践として根付かせる必要がある。第二に、社会のさまざまな領域において、公正なデータの集積に基づいた客観的なルール設定を行うことである。感情的な対立を超えて、実証的な検証に基づく建設的な議論を可能にする土台づくりが重要となる。 さらに重要なのは、個人レベルでの心理的な成熟である。特に、自身の内なる怒りや羨望の感情を自覚し、それを否認するのではなく、パーソナリティの中に適切に統合していく作業が必要となる。このプロセスなしには、これらの感情が無自覚なまま社会的な対立や暴力として表出してしまう危険性が高い。 このような多層的な取り組みなしには、多くの人の父Bの欲望を引き受けたカリスマが現れ、それが肥大化し、最終的に悲劇的な暴力とそれによる新秩序の構築という事態に至る可能性が高い。私たちはそのような事態を回避し、より建設的な形で新時代に適応していく道を探らなければならない。そのためには、個人と社会の両レベルでの地道な取り組みが不可欠なのである。 旧秩序を破壊するだけではなく、どうやって新秩序を構築するかについても、目が向けられなければならない。 ちなみに、父Aと父Bの葛藤を経験し、それを乗り越えてその人なりの統一を達成したのがエディプスコンプレックスの克服と、近代的な意味での自我の確立というプロセスである。この理論枠では、そのような統一した自我を持つ市民たちが対話を通じて構築するのが、近代的な社会となる。 その意味で、私は斎藤氏が内部告発者への初動の対応が不適切だったなかで犠牲者が出現したこと、それを多くの選挙民が支持したことを批判する。
堀 有伸(精神科医・ほりメンタルクリニック院長)