寒空に決意の「ノー・モア」 オスロでノーベル平和賞祝うパレード、長崎の被爆者や市民らの声
【オスロ=長崎新聞取材班】「核なき世界」を誓う地球市民の叫びが、氷点下5度を下回るノルウェー・オスロの夜空に響いた。「ノー・モア・ヒロシマ ノー・モア・ナガサキ」。ノーベル平和賞授賞式後の10日夜(日本時間11日未明)、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の受賞を祝うパレードで、たいまつを手にした被爆者や現地市民らが共に練り歩いた。ゴール地点では長崎新聞社が企画し、被団協メンバーらが寄せ書きをしている横断幕が掲げられた。 午後6時前、授賞式が開かれたオスロ市庁舎そばのノーベル平和センター前。人から人へ、たいまつの火が移されていく。被団協の代表団が宿泊するホテルまで約1キロの道のりだ。 日本からの参加者が横断幕を持ち、先頭で声を上げた。「ノー・モア・ヒバクシャ ノー・モア・ウォー」。うねりのように広がり何度も繰り返された。 コールをリードしたのは被団協被爆二世委員会副会長の大村義則さん(68)。同じ言葉を1982年の国連軍縮特別総会で世界に発信した故山口仙二さんを思い、声を上げた。大村さんの父は長崎で被爆。受賞演説で田中熙巳代表委員(92)が語った「運動を次の世代の皆さんが工夫して築いていくことを期待しています」という言葉を受け止め「被爆2世が次の世代として運動を引き継がなければ」と自身の決意を確かめた。 長崎から駆けつけた被爆者の姿もあった。三田村シズ子さん(82)は「みんなと一緒に歩き『核兵器をなくそう』と心を一つにできた」。倉守照美さん(80)は車いすを押してもらいながら参加。「座っている私をのぞき込むように『日本から?』『おめでとう!』と声をかけてくれた。外は寒いけれど心が温かくなり、来たかいがあった」 田中さんの演説に鼓舞されたというオスロ在住のマリエ・トューリングさん(30)は「私も核兵器廃絶に貢献したいと思って参加した。これをきっかけに核廃絶運動をさらに進められる気がする」。アンネッシュ・ランリーさん(25)はノルウェーが核兵器禁止条約を批准していないことを批判。「今回の受賞が、全世界の政府が核兵器のない世界を目指すきっかけになれば」と期待した。 核大国の米国から仕事でオスロを訪れているブラット・スタイさん(49)は、妻に参加を促された。「人生に一度しかない日。現在の不安定な世界情勢などを考えると、このイベントはとても重要だ」とたいまつを握る手に力を込めた。 午後7時、一行がホテル前の広場に到着し、田中さんら代表委員3人がバルコニーから姿を見せると、興奮は最高潮に。響き渡るコールと同じ「NO MORE HIBAKUSHA」の言葉を記した横断幕が夜風に揺れた。