【DDT】高木三四郎〝元大社長〟休業前に語った成功、失敗と次の一手「プロレスフェスは時代が早すぎたのかな…」
DDTの高木三四郎(54)が、21日の東京・両国国技館大会をもってプロレス活動の無期限休業に入る。今後は団体を運営するサイバーファイトの副社長として、DDTと東京女子プロレスの経営に専念する予定だ。2004年4月から20年務めた〝大社長〟として、飯伏幸太(42=飯伏プロレス研究所)やケニー・オメガ(40=AEW)らスター選手を輩出。インディの枠を超えて団体を飛躍的に成長させた一方で、数々の失敗もあった。さまざまな経験を糧に、高木は何をしようとしているのか――。 【写真】大反響があった新幹線プロレス ――21日両国大会を最後に無期限休養に入る 高木 いろいろな部分で限界がきていたんです。2020年(2月)に不整脈の手術をしてから症状が出てなかったんですけど、昨年末から今年にかけて出てきて、動悸とか息切れがひどかった。いろいろな数値も悪くて、医者からは「今すぐにでも休まないとダメだ」とドクターストップがかかって…。体調面の問題が大きかったのと、DDTは後継者が育ってなかったので、早急に育てる必要があったからです。 ――後継者として考えているのは 高木 DDTだとやっぱり、(サイバーファイト取締役の)彰人じゃないですかね。彼はDDTのグッズ売り上げを伸ばした立役者なので。今、グッズ売り上げが結構なウエートを占めているんです。以前は興行売り上げの10%くらいしかなかったんですが、それが今は30~40%ある。両国国技館クラスのビッグマッチでも52%くらい。興行売り上げだけだと、今はどこの団体も難しいと思う。DDTは6割7割が女性ファンで、この層がグッズを購買してくれる。 ――団体の女性人気が高まったのは 高木 このビジネスはスタービジネスなんですよ。スターが生まれればどん底でもひっくり返る。新日本プロレスさんもそうじゃないですか、(12年に)オカダ・カズチカ選手が出てきて。格闘技界で言えば武尊選手、那須川天心選手、朝倉未来選手しかり。(04年に)飯伏が来た時はスター性を感じましたね。K―2というK―1のアマチュアで優勝したのに「プロレスをやりたい」と。当時のK―1MAXを選ばないでウチに来たのは頭がおかしい(笑い)。人と変わっているのがスターの条件なので、それを兼ね備えていた。 ――08年に来日したケニー・オメガの存在も大きかった 高木 仲良くしてるニューヨーク在住の日本人のプロレスファンがいて「ケニー・オメガが何回もDDTにメールで履歴書を送ったけど、返事がこない」と言っていると。確かに来ていたんですよ。でも、当時外国人を呼ぶ余裕もなかった。たまたまその時、飯伏がノアに出ていたりして、ノアも結構外国人を呼んでいたので、外国人もいいかもねって。飯伏に並ぶ人間もそんなにいなかったんで、僕の中でライバルストーリーが必要だよなと思い、試しに呼んでみるかとなった。「カナダの路上王」といって映像を送ってきたから、日本の路上王・飯伏と戦わせようと。それがハマったんですよ。 ――13年に飯伏が新日本とのダブル所属となり、14年にケニーが新日本に移籍した 高木 女性ファンがゴソッといなくなりましたね。再構築するのが大変でした。でも、自分は若い層を押し上げれば、絶対に女性ファンは戻ってくると思っていた。2人の離脱以降は、竹下(幸之介)たちを押し上げていかないと、というのが命題としてあった。(上野勇希、MAO、勝俣瞬馬、小嶋斗偉の)「サウナカミーナ」は一般メディアの露出を狙ってつくりました。もともとサウナブームが来ているのを知っていて「お前ら、サウナ部つくれよ」ってそんなノリでした(笑い)。