朝ドラ登場人物のモデル、原点は京都に 戦災孤児の救済に生涯を懸けた「家裁の父」
昭和期の法曹界を舞台にしたNHK連続テレビ小説「虎に翼」が9月に最終回を迎えた。情熱あふれる裁判官・多岐川幸四郎のモデルになったのは、家庭裁判所設立に尽力し、「家裁の父」と呼ばれた宇田川潤四郎(1907~70年)。京都家裁所長を務め、京都との縁も深い。女性の地位向上や少年支援に心血を注いだ宇田川の精神は、古都に今も息づいている。 【写真】多岐川幸四郎のモデルになった「家裁の父」 京都家裁(京都市左京区)に入るとすぐ、一体の母子像が目に入る。台座には「家庭に光を 少年に愛を」の文字。戦後間もない49年、家裁発足当時に最高裁家庭局長だった宇田川が掲げた標語だ。同家裁の裁判官中村昭子さんは「75年前の標語だが、家裁の目指すべき精神を表している」とうなずく。 宇田川は29年に裁判官に任官。戦後、弱い立場にあった女性や子どもたちを守る司法の場を作るために奔走し、家庭裁判所の設立に関わった。 そんな「家裁の父」の原点は京都にある。 終戦の翌年の46年、宇田川は京都少年審判所(後の京都家裁)の所長に就任。非行少年の事件を担当することになる。当時、喫緊の課題は、戦争で親を失った子どもたちの救済だった。 「京都時代の経験が祖父を少年支援へと駆り立てるきっかけになった」。そう話すのは孫の宇田川淑恵さん(43)=東京都。民間のシンクタンクに所属し、少年非行を研究している。 京都少年審判所長となる2カ月前、妻を病気で亡くした。3人の子どもを抱えた宇田川は、街中にあふれる戦争孤児に自らの子どもたちの姿を重ねたという。「少年の救済に自分の生涯を懸ける」と決意し、京都で少年支援に乗り出す。 その一つが、大学生がボランティアで非行少年の立ち直りを支える「BBS(Big Brothers and Sisters)運動」だった。淑恵さんは「生きるために罪を犯さざるを得ない子どもがいる時代。非行少年たちの将来を真剣に考えた人だった」と話す。身寄りのない少年たちの相談相手になるよう、宇田川は京都中の大学を回って協力者を募った。47年2月に京都女子大で行われた決起式には約400人が集まり、京都発祥の運動は全国に普及した。 現場にこだわり、63年からも京都家裁所長を務めた。誰もが尊厳を持って生きられる社会を目指し、晩年まで家裁の発展に取り組んだ。 宇田川が思い描いた精神は、今も現場に生き続けている。京都家裁の森木田邦裕所長は「家裁は徹底的に未来志向。問題を円満に解決し、少年が再び非行に走らないようにするため、どうすればいいのかを考える組織だ」と説明する。 近年、同性婚の法制化への動きが活発になるなど、家族や子どもを取り巻く環境は変わりつつある。森木田所長は「時代が変わっても、当事者に寄り添い、最善の解決策を探っていく役割は変わらない」と話す。