再生資源に挑む沖永良部島の農畜産業
沖永良部島(おきのえらぶじま)は沖縄本島から北へ約60km。奄美群島の南西部に位置する、人口13000人の島だ。平坦な島は、48%が農地。農業産出額は奄美群島の約3分の1を占める。農業を仕事とする人の割合も、30%と高い。
基幹作物はサトウキビ。花き、野菜、葉たばこ、果実の栽培も盛んだ。肉用牛飼育を組み合わせた複合経営も増えている。
沖永良部島で再生資源を利活用した農畜産業に取り組んでいる人々にスポットを当てた。
農業×6次化×蜜蜂への恋=? 「東マンゴー園」のユニークな方程式
収穫後のマンゴーの木から余分な枝を落とし、次の世代の枝を育てる東さん。
東安孝さん(75)が長男の孝一さん(48)と営む「東マンゴー園」は、沖永良部島の西側にある。ハウス内に整然と植えられたマンゴーの木は350本。栽培を始めて20年になる。
育てているのはアーウィン種。熟すと表皮が赤く染まることから、アップルマンゴーとも呼ばれ、年間3トンが収穫される。
収穫直前の6月から予約が始まる。収穫終了までリピート客からの注文が止まらない。
マンゴー栽培は、年間を通じての手入れが欠かせない。1~3月には開花と受粉、花穂の吊り上げ。3~4月は摘果と幼果実の吊り直しが繰り返される。
梅雨が明けると、選別された実の収穫が始まる。台風常襲地帯の沖永良部島。海が荒れれば、船は欠航。本土への出荷が止まる。ジェット機が就航しない沖永良部空港。小型のプロペラ機による輸送量には限界がある。毎年、台風の襲来と船の出航スケジュールを睨みながらの収穫が続く。
1日10便が離着陸する沖永良部空港。プロペラ機が鹿児島、那覇、奄美大島(徳之島経由)をつなぐ。
「10年前に台風が相次いで襲来し、船便が2週間止まってしまった時には頭を抱えました。どうにかせねばと思い、マンゴーをジャムにしようと専門家の助言を仰ぎました。作物を加工して直接販売する、農業の6次化に踏み切ったのです。試行錯誤の末、マンゴーコンフィチュール(ジャム)が完成。マンゴー農家ならではの製品だと評価を得て、百貨店のバイヤーから指名を受けるまでに育ちました」と孝一さんは加工品生産へのきっかけを振り返った。
養蜂家へのスタートは、蜜蜂への恋でした。
マンゴーは虫媒花。1つの木に多くの花房があり、1花房に咲いた1000程の花を銀蠅や蜜蜂が受粉させる。結実した中から、良質の実を1~2個程度選抜して育てる。
11年前からは養蜂も始めている。多くの農家が受粉を銀蠅に頼っている中、東さん親子は蜜蜂での受粉にこだわった。
「一生懸命に花の蜜を集めようとしている蜜蜂の姿を見飽きることがありませんでした。島での養蜂に大きな可能性を感じると同時に、私は蜜蜂に恋に落ちてしまったのです」
島内10ヶ所前後の蜂場(ほうじょう)で200群の巣箱を管理している。
マンゴー栽培と養蜂の両立は大変なのではないだろうか?
「大変なんて思ったことはないですね。私は仕事が好きなのでしょう。農業も養蜂も、考え続けながら可能性を探る中で、出会う人や機会も増えました。養蜂に興味を持った時に出会ったのは、冬越しのために大量の蜜蜂の巣箱を沖永良部島に移動させていた本土の養蜂家。熱意が通じたのか、蜜蜂の扱い方を教えて頂く機会に恵まれました。琉球大学の農学部で学んでいる長男の雅孝(19)も、農業や養蜂の可能性に自身の夢を託しているようです」
育てた蜜蜂は、プロやアマチュア愛好家に販売。交配用蜜蜂としても貸し出している。
勿論、1~3月のマンゴーの受粉のシーズンには、東さんが自ら育てた蜜蜂がハウスの中を元気よく飛び回る。
沖永良部島に咲く花々から蜜蜂が集めた蜂蜜は、透き通った甘さ。フカの木に咲く花の蜜の苦さが心地よい。香り豊かな島の味だ。
巣箱の脇に置いてあるのは、台風対策の土嚢。養蜂業は畜産業。小さな命を守るためにも、定期的な内検と管理が欠かせない
蜜蝋と島の素材が「沖永良部色」のクレヨンに
孝一さんは、蜂蜜を採取する時に外す蜂の巣の蓋=蜜蝋を保管していた。医薬品や化粧品、食品の原料にも使われている蜜蝋。いつかは役に立つとの思いがあった。
沖永良部島で「島の素材でモノ作りがしたいね」を合い言葉に活動を始めていた、宮澤夕加里さん(38)が勘里由佳さん(34)と出会ったのは2018年。
2人は、東マンゴー園から譲り受けた蜜蝋を前にクレヨン作りに着手した。目指したのは、島の天然素材を使った顔料で作る、安心・安全なクレヨンだ。
最初に「島の赤土」を粉末にして蜜蝋に混ぜてみた。結果は良好。島中を駆け回り、顔料となりそうな天然素材を見つけては、試作を重ねた。
海を望む公民館でクレヨン作りをしている(左から)宮澤さんと勘里さん。
島に自生する桑の「シマ桑色」は、賞味期限が切れて廃棄予定のシマ桑茶を利用。沖永良部島産のコーヒー豆を使った「コーヒー色」には黒土をブレンドして色に深みを与えた。
試作品は完成したものの、湿気が多い島では顔料の湿度管理が難しい。手作業で顔料を粉末にする限界も見えた。
課題を解決すべく、2019年には奄美群島広域事務組合によるチャレンジ支援事業に応募。助成を受け、乾燥機と製粉機を購入。本格的な生産を始めた。
完成したクレヨンは「えらぶ色クレヨン」と命名。「沖永良部」が正しい島の名前なのだが、島民が普段使っている「えらぶ」と色を「選ぶ」をかけた。
2020年3月に販売開始。進学や就職、転勤で島を離れる人への思い出の品として求められ、生産した200セットが完売した。現在は、蜜蝋を使った粘土作りにもチャレンジしている。
東マンゴー園の「農業×6次化×蜜蜂への恋」が紡いだ方程式の答えを孝一さんに尋ねた。
「農業の可能性は無限大。答えもきっと無限大なのでしょう」
製糖工場と共に歩み、島の命をつなぐキクラゲ生産 「沖永良部きのこ」
キクラゲの高野豆腐の卵とじは人気の献立。知名町の学校給食は、地場産品を積極的に取り入れている。
島の給食には、沖永良部島で作られた生キクラゲを使った献立がある。コリコリ、プリプリとした食感が楽しいと人気だ。
知名町立田皆小学校の花峯哲則校長(55)は「給食は、地元食材を身近に感じる学習機会。キクラゲの他にも、特産のジャガイモや冬瓜、青パパイヤなどを使った給食を児童は楽しみにしているようです」と話し、児童と食卓を共にする。
沖永良部島でのキクラゲ栽培は、バガスとライムケーキに米糠を混ぜて作った菌床が特徴。
沖永良部島では50年前からキクラゲを生産している。サトウキビの搾汁後に残った絞りかす=「バガス」を主原料にした菌床を使っていることが特徴だ。
製糖工場で大量に発生したバガスは、9割が製糖工場のボイラーに使う燃料として再利用されている。「ライムケーキ」と呼ばれるサトウキビの圧搾汁に含まれた沈殿物は、堆肥の原料になっていた。
豊富な繊維を持つバガス。有機物を多量に含んだライムケーキ。利活用して収益を産む農産物を作れないかと1960年代から試行錯誤が重ねられていた。
1971年、製糖工場が主体となった企業がキクラゲの栽培に適した菌床の開発に成功した。米糠を加えるなどの改良を加え、現在に至っている。昨年は500トン以上のバガスが菌床として利用された。
2008年からは「沖永良部きのこ」がキクラゲ栽培を引き継いでいる。社長の今井宏毅さん(73)が目指しているのは、廃棄物を全く出さない全循環型工場だ。
久志検集落から切り出された原木。キクラゲが自生する木の幹から種菌を摘出する。
探し当てたのは久志検集落の強い種菌。
沖永良部島にはキクラゲが自生しているため、一貫して"島の種菌"が使われてきた。菌を販売する業者から種菌を購入したことは一度もない。
栽培を続けていると島の種菌にも生命力に強弱があることがわかった。ある集落の種菌は成長が遅く、弱々しいキクラゲしか育たないが、ある集落の種菌では、力強い肉厚のキクラゲが成長するのだ。
謎を探るため、島の全ての集落からキクラゲと原木を集めた。42集落の名前をシャーレに貼り、種菌を繁殖させて検証。1977年、島の中心部に位置する久志検(くしけん)集落から採取した種菌だけが3週間以上コリコリ、プリプリした食感を維持することを突き止めた。
今井社長は「当時の業務日誌をめくると、島の資源を無駄にしないという哲学が流れている。経営を引き継いだ後には、工場の自動化を進めるなどの効率化を進めているが、基本は同じ。島の資源を活用し、島に負担をかけない農業の姿だ」と力を込めた。
島の42集落から選抜された久志検集落の種菌。培養室で大切に育成されている。
「島の資源を活かし、循環型の農業に取り組んでいるのが私の古里」と語るのは、岡山大学農学部で学んだ後、結婚を契機にUターンした山元冴人さん(27)だ。「沖永良部島では"えらぶゆり"などの花木栽培も盛んです。歴史は長く、100年以上前に島を訪れた貿易商が、島に自生する白い百合に目をとめ、島民に栽培を依頼。最盛期には、欧米への輸出を待つゆりの球根で横浜の倉庫が一杯になったという話もあり、その様子は民謡の「永良部百合の花」にも歌われています」と胸を張る。
種菌の充填前検査を行う山元さん。「島の力が生みだしたキクラゲを多くの消費者に届けたい」
キクラゲの採取後の菌床が、経産牛に命を吹き込む。
経産牛の成長を見守る(左から)今井社長と畜産家の要さん。定期的に牛の健康状態をチェックする獣医師の川内さん。
沖永良部島には約200件の畜産農家があり、「黒毛和種」の親牛が3500頭前後飼育されている。
子牛の出荷を目的に飼育されているため、子牛を産めなくなった親牛は経産牛として扱われ、淘汰されることが多い。
今井社長は、キクラゲの石突きが残る収穫後の菌床を経産牛に与え、食用になるまでの再肥育に活用できるのではないかと考えた。本土では、経産牛の美味しさに注目する人が増えているという情報にも触れていた。「島の畜産家を支えた、お母さん牛の命。島で全うさせてあげたい」と話す。
キクラゲ収穫後の菌床は、畜産家の要秀人さん(38)に託された。子牛10頭を産み終えた14歳の経産牛の飼料に混ぜている。「驚いたのは、食いつきの良さ。4ヶ月与え続けているが、飽きる様子もない」と好反応に手応えを感じている。
獣医師の川内凉平さん(48)は「キクラゲに含まれている抗酸化物質が、牛のストレスを緩和することに役立っているのではないか。長く生きた牛は、アミノ酸に代表される旨味成分の含有量が増えていくことがわかっている。結果が待ち遠しい」と語る。
菌床を与えた経産牛は、2020年末に血液検査を経て食肉としての成分検査を行う。問題がなければ「沖永良部キクラゲ牛」が誕生する予定だ。
「野積みされたバガスは5ヶ月がベスト。1年を過ぎると腐熟が進みキクラゲの収量が低下。絞りかすにも"旬"があるのです」と話す今井社長。
島の東海岸に面した製糖工場。長い煙突の先に昇った朝日が眩しい。今井社長は「モノ余り、情報過多の現代でも、足元に眠る島の宝を忘れてはいけない。先人達が心血を注いだキクラゲ栽培も、時代の扉に負けることなく若い世代につなぎたい」と話す。
赤土と太陽の力を受けて、沖永良部島の農畜産業は歩み続ける。島の中にある答えを探しながら。