奄美大島から飛行機で15分。喜界島(きかいじま)は奄美群島の内で最も東部に位置する人口7千人の島だ。周囲48キロメートルの隆起性サンゴ礁の島は、年間2mm程隆起を続けており、その速度は世界でも三本の指に入る。
島の約2割の世帯が農業を営んでおり、農産物販売金額の7~8割がサトウキビやゴマなどの工芸農作物。
喜界島のサトウキビ生産は、1戸当たりの収穫面積が鹿児島県下で最大であり、100年以上前から始まった白ゴマの栽培は、国内産の半分以上を占め、日本一の生産量を誇る。
栽培されている柑橘類も在来種が多く、「柑橘類のガラパゴス」とも評される。中でも花良治(けらじ)みかんは、芳醇で爽やかな香りを放つ香酸柑橘として独自の地位を築いている。
島の在来種を伝承し、惜しみない手間と工程を施して魅力を磨き上げる取り組みを追った。
自ら育てた有機栽培のサトウキビを自社で製糖・酒造 朝日酒造の挑戦
「奄美群島の島々には、黒糖焼酎がある。私達は、「喜界島」にこだわった酒造りを続けたい」と話すのは、朝日酒造4代目の喜禎社長(右)と外内統括課長。
創業1916年の朝日酒造。醸造される黒糖焼酎「朝日」は、創業から続いている銘柄だ。奄美群島の中で最も東に位置する喜界島に昇る朝日から命名された。
1999年からは、自社で黒糖焼酎の原料となるサトウキビの栽培を始めた。2006年からは、自社農園で有機栽培したサトウキビで作った黒糖を使って仕込んだ「陽出る國の銘酒」を製造している。
「その年に製造した黒糖しか使用しないこだわりが、仕込んだ年々の味わいの違いに現われる」と話すのは、4代目社長の喜禎浩之さん(49)だ。
「奄美群島でしか製造が許可されていない黒糖焼酎。日本の税法上では焼酎の原料に黒糖は使えないのですが、奄美では戦前から黒糖を元に蒸留酒を造っていました。戦後のアメリカ統治時代を経て、1953年12月25日に日本に復帰。黒糖酒=ウィスキー・ブランデー・スピリッツ扱いになってしまい、税率が高くなってしまう。米麹を使うことで「黒糖焼酎」として認められた経緯があります。私達は、喜界島らしい酒造りを目指し、今までも、これからも、日々島と向き合い続けています」
有機JAS認証を取得した朝日酒造の自社農園。手刈りにこだわった収穫の後、自社の製糖工場で純黒糖に仕上げられる。
休日には、島のエコツアーガイドとしても活躍する統括課長の外内淳さん(61)。
「大規模工場による製糖が始まる前、島のあちこちには「サタ(砂糖)小屋」がありました。サトウキビの絞り汁を炊く、薪の煙が島の風景に溶け込んでいたのを良く覚えています。
現在は刈入れも製糖も効率を重視。ハーベスタと呼ばれる収穫機で手際よく刈り取り、大型製糖工場に搬入するのが一般的になりました」
「朝日酒造が目指しているのは、喜界島らしい酒。古里の島を守るために出来ることを考え、サトウキビも有機栽培にこだわりました。2015年には有機JAS認証を取得。刈り取りも昔ながらの手刈りです。重労働ですが、茎を切り刻ながら収穫するハーベスタに比べ、刈り取り断面が少ない。サトウキビの鮮度を保ったまま、自社の製糖工場で純黒糖に仕上げます」と胸を張る。
喜禎社長は「自社でサトウキビの有機栽培を始めてから、生きるということは「自然に寄り添う」 ことなのだと実感しています。「命あるすべてのものに優しく、安心安全でありたい」その信念のもと黒糖焼酎の歴史を刻み続けたい」と力を込めた。
願いを込めて、世界一。花良治(けらじ)みかんの鮮烈な香り。
花良治集落は、喜界島の南西部に位置する世帯数60弱、人口100人程の小さな集落だ。「花良治みかん」という集落の名前が冠名された在来種のみかんが栽培されている。学名も集落名そのままのCitrus keraji。ミカン科ミカン属の常緑低木の果樹だ。18 世紀末に喜界島の花良治(けらじ)集落で発見されたとの記録が残っている。
花良治集落で「花良治みかん振興会」を組織し、自ら栽培と研究を続けている吉田忠弘さん(73)を訪ねた。
「他の柑橘類にはない独特の芳香。無核(種なし)で絶妙な甘味と酸味のバランス。願いを込めて、花良治みかんは世界一の香酸柑橘」と話す吉田さん。
「生まれ育った花良治集落の在来種である花良治みかん。栽培しながら調査と研究を続けることが、私のライフワーク」と語る吉田さん。経済産業省を退職後に帰島。自らが管理する試験農場で花良治みかんや島の在来種を中心とした柑橘類の栽培をしている。
「来歴が謎に包まれていた花良治みかん。鹿児島大学農学部の山本雅史教授らの研究により、九年母(くねんぼ)を種子親、喜界みかんを花粉親として発生した可能性があることがわかってきた。栽培は難しく、誰かが保存活動を行わなければ種が消滅してしまう。レモンやライム、ゆずやカボスにもない鮮烈で高貴な香りを身にまとっている花良治みかん。願いを込めて、世界一の香酸柑橘だと私は思う。仲間と取り組んでいる花良治みかんの増産が、集落や島の発展に寄与すると信じているのです。「今年も待っていた」「花良治みかんの香りは唯一無二」と寄せられる声や笑顔が私の喜びなのです」と目を細めた。
「栽培が難しいからこそ、挑戦する価値がある」と話す園田さん。構想10年、栽培開始3年。昨年、始めての収穫を行った。
花良治みかんの香りに惚れ込み、栽培に島の農業振興の可能性をかけている人がいる。喜界町役場で農業振興課に勤務する園田裕一郎さん(34)だ。自ら切り拓いた農園で、38年前の新聞を開いた。
「祖父の代から在来種である花良治みかんの可能性が叫ばれ続けていました。この色褪せた新聞には、祖父が賛同者と共に増産を目指していることが書かれています。品種改良されていない在来種ゆえ、風に弱い。風で揺れた葉により、枝や実が傷つき、細菌が侵入してしまう「かいよう病」が発病してしまうのです。台風が常襲する喜界島。防風柵を建てるコストもハードルの一つ。新JAS法で有機農産物にも使用が許された殺菌剤の散布を併用して予防。トライアンドエラーの繰り返しが続いています」
園田さんの祖父と同志の取り組みを報じる1982年(昭57)9月6日付の南海日日新聞
「現在、島内で花良治みかんを栽培しているのは、10人にも満たず、庭木として植えている人を含めても20人以下。当たり年には2トン近くが出荷されるものの、通常は数百キロの収穫量。香りと味に魅せられた人からの注文で、すぐに売り切れてしまう。人気はあるが、栽培は困難。だからこそ挑戦する価値がある」
種なしの花良治みかん。喜界町役場も在来種の保存を目指し、接ぎ木による苗木の確保を10年続けた。園田さんは、3年前に300本を植樹。木に栄養を蓄えるため、収穫を我慢。昨年、ようやく最初の収穫を迎えた。
「夢がようやく実りました。島の夢は、私の夢。受け継がれた在来種である花良治みかんは、喜界島の味と香り。一人でも多くの人に届けるために、努力を続けたい」と朝日に輝いた実に手を伸ばした。
「奄美群島の酒、黒糖焼酎に花良治みかんを絞って飲むのがお気に入り」と話す薫勇治さん(右)と貴島美由紀さん(3人目)。
「食べてよし、絞ってよし、皮を刻んで料理や薬味に使うもよし」と話すのは、小野津集落に住む主婦の貴島美由紀さん(35)だ。家族に伝わる花良治みかんの保存方法を教えてくれた。
「冷凍保存が基本なのですが、表面をラップで密着させるのがコツ。ラップを重ねると、香りが飛ぶのを防ぐことができるようです。ラップは最低でも3重に。私は5重にラップをかけ、更にフリーザーバッグに入れて密封し、冷凍庫で保管します。島みかんの3倍の価格はする花良治みかん。次の収穫までの1年間、大切に保存して使います。流石に5重はラップのかけ過ぎだと笑っていた友人も「真似したらビックリ。香りが抜けないよ」と話してくれます」
生産量日本一の白ゴマ。喜界島の在来種を守り続ける。
地域学習の一環として白ゴマの栽培を行った喜界小学校の5年生。
国内で販売される白ゴマの99.9%は輸入品、残り0.1%が国産。その国産白ゴマの6割以上が喜界島産だ。現在も約200戸の農家が約90ヘクタールで栽培している。サトウキビの収穫後にゴマを栽培し、ゴマの収穫後に再びサトウキビの秋植えをする輪作が行われている。
喜界島産の白ゴマは、島に古くから伝わる在来種。輸入品より粒が小さく、香りが強くて濃厚だとされる。栽培が始まったのは、100年以上前。歴史も長い。
「日本一のゴマ」は地域学習の一環として小学校の授業でも取り上げられている。学んでいるのは喜界小学校の5年生。
喜界町立喜界小学校の井手英男校長(54)は「夏休み前に児童が植えたゴマは、10月頃の収穫時期になると、束ねて穂を上にして立て、鞘が茶色になるまで10日ほど乾燥させます。島の農家さんが、道沿いに天日干しする様子は「セサミストリート」とも呼ばれ、喜界島の風物詩。今日、児童が行っているのは、ゴマ叩き。穂を叩いて実を取り出します。取り出した実は、町の農産加工センターで洗浄・乾燥され、給食で供されます。小さな島の日本一。喜界島の白ゴマは、児童とって地域愛を育む大きな力になっています」と話し、児童の笑顔があふれる校庭を見つめた。
軟水処理された水と気泡の力でゴマから異物を除去。加工エリアは徹底した衛生管理が行われており、入室手順が求められる。
島の農家が生産した白ゴマは、食品加工設備が整備された喜界町農産物加工センターに持ち込まれる。同センターは、白ゴマ以外にも、島みかんや花良治みかんなどの柑橘類やソラマメなどの島内産農作物が持ち込まれ、ドレッシングなどの調味料や菓子類などに加工される。
白ゴマの収穫時期には、ゴマの洗浄、脱水、乾燥、選別、包装のラインがフル稼働。衛生管理や技術指導を行う輝政和主査(44)は、「島の在来種はオンリーワンの魅力に溢れています。センターでは島の産品に付加価値をつけて市場に出すお手伝いをしています。「喜界島ブランド」が信頼の証となるよう、生産者のみなさんと研鑽を重ねています」と胸を叩いた。
色彩選別機(左)は瞬時にゴマの色を見分けて選別。風力選別、ふるい選別を繰り返し、色と粒の揃った白ゴマを農家に返却する。
極上の純黒糖。安かろう、悪かろうは島に似合わない。
火力に細心の注意を払い、空気を含めながら黒糖の攪拌を続ける南村さん。
「純黒糖の原料はサトウキビ。雑味や苦みが少ない喜界島の黒糖は、隆起性サンゴ礁の島が作り出した味。他地域の黒糖に比べ、時には倍近い価格になる場合もありますが、喜界島の味を指名する顧客に支えられ続けています」と語るのは、志戸桶集落でサトウキビの栽培から製糖まで行っている南村製糖の南村和弥さん(49)だ。
「純黒糖は精製していないのでミネラルも豊富に含まれています。力を加減してサトウキビを絞るため、歩留まりは決して良くありません。しかし、苦みや雑味の少ない喜界島のサトウキビの味を届けたい。安かろう、悪かろうといったもの作りは、島に似合わないと私は思うのです。純黒糖を、チョコレートや和菓子のような嗜好品として日常生活の中で楽しんでいただけたら」そう話すと、黄金色に輝いた絞り汁を釜に注いだ。
ザラメを加えた加工糖や黒糖を使った豆菓子も作る南村さん。「加工糖に使うザラメも、喜界島産のものだけを使っています。喜界島には、島内産の原料にこだわって純黒糖や加工糖を作っている工房があります。昔ながらの「サタ(砂糖)小屋」を守り続ける人がいる。あなたの町で「喜界島産」の黒糖を見つけたら、一度味わって欲しい。島が生みだした力が、笑顔のお手伝いになることを祈って」
在来種を守り育てる人がいる。真摯な加工を施して消費地に届けようと力を注ぐ人がいる。喜界島の農業は、時代を超える。引き継がれた誇りを胸に、歩みを続ける。