かつて世界有数の漁業国だった日本。世界の漁業生産量はこの30年間で約2倍になる一方、日本の漁業生産量は水産資源の減少や後継者不足などもあり、約半分にまで落ち込んだ。
鹿児島県本土から南に約380キロに位置する奄美大島。地理的な条件不利性が否めない平均気温21℃前後の亜熱帯の離島で、徹底した鮮度管理と販路の確保に挑んだ奄美の漁師と奄美漁業協同組合の取り組みを紹介したい。活気に溢れている漁港の姿をレポートする。
釣りっぱなしじゃ、ダメ。水揚げ後も続く鮮度への勝負。
午前6時、奄美市笠利町にある奄美漁業協同組合(柊田謙夫組合長)に、夜中に帰港を済ませた漁師達が水揚げ・選別・出荷作業のために集まった。
5トン未満の3級船が主力の奄美漁協。漁場を求め、約300キロ離れたトカラ列島周辺で操業することも。
朝霧に包まれた森の隙間からアカショウビンのさえずりが聞こえる。日の出を待って、水揚げが始まった。魚を満載したクーラーボックスが、次々と漁船からクレーンで陸へと引き上げられる。こぼれた冷気が地面を白く染めながら、防鳥ネットで仕切られた仕分け場へと並べられて行く。
朝日に輝いた魚体が眩しい。水揚げされているのは、主に「アオダイ」「ハマダイ」「レンコダイ」「ヒメダイ」といった水深100~400メートルの海域から釣り上げられた「瀬付きの魚」たちだ。適度な歯応えと甘さを含んだ脂分が人気の高級魚だ。
砕氷機の奥から声が飛ぶ。「あ、これはダメだ!」「魚屋さんが一目見て"船上で締めてある"ようにしないと!」ベテラン漁師が新人漁師に声をかけ、魚体を手に指導を始める。奄美漁協の原永竜博参事(58)は「奄美・笠利の港で水揚げされる魚には、ルールがあるのです」「必ず船上で活き締めをして、血抜きを施す。すぐに海水で血を洗い流し、海水の氷水で冷やして鮮度を保持しなければなりません」。
水揚げ後、活き締めの処理不良は仕分けの段階で厳しく選別される
選別場に並ぶ魚に冷えた海水が勢い良く注がれ始めた。原永さんは続ける。「これは、1度以下に冷却され、滅菌・電解殺菌を施したウルトラファインバブル水です。窒素ガスが溶けたウルトラファインバブル水は、低酸素状態。魚体内の細菌の繁殖と血の酸化が抑制されるのです。釣りっぱなしでは、ダメ。タイミングを逃さず、確実に活き締め。水揚げ後も港では鮮度保持のための勝負が続きます」。
勢い良く注がれるウルトラファインバブル水。窒素を含んだ微細な泡が鮮度保持には欠かせない。
1979年に建築された奄美漁協。決して新しい建物とは言えないが、ゾーニングされた敷地では、魚の生臭さや腐敗臭などの嫌な臭いがない。長靴の洗浄や消毒も徹底している。「美味しさも、安心・安全から」港に出入りする人の全てが共有する意識だ。
ゾーニングと衛生管理が徹底されている奄美漁協。生臭さや腐敗臭とは無縁だ。
漁獲量優先?鮮度保持優先? 大手スーパーのバイヤーが答えを出す
奄美漁協の「船上活き締め」の取り組みは2014年に始まった。燃油高騰や魚価の低迷する中での生き残りをかけた策だが、スタートは決して順調ではなかった。漁師歴30年を超える指導漁業士の濱崎房生さん(51)は当時を振り返る。「組合員からは"そんな面倒なことをして、どうする!""良いのはわかるが、馴染んだやり方を変えるのは戸惑う"といった反発がありました。しかし、魚は鮮度が命。基本を見直し、良質の魚を提供することで消費者は必ず理解してくれると漁師仲間の説得を続けました」。
釣り上げた魚は、船上で活き締めにされた後海水で洗浄し、血を抜く。時間との戦いだ。
次第に「奄美・笠利の魚は高鮮度で日持ちがする」と評判になり、ついに出荷していた沖縄(那覇)の魚市場で大手スーパー「サンエー」から高評価を得ることに。「バイヤーから"売場が必要とする魚種は、通年全て買い取りたい"との言葉が出た時には、漁師や漁協職員全員で喜びました。取り組みが認められた瞬間です」。
更なる奄美・笠利ブランドの確立と品質向上を目指し、濱崎さんは仲間の漁師と動き出す。「瀬物一本釣りを行っていた約20隻(現在は約40隻に増えている)に声をかけ、船上での締め方や、処理方法を統一しました。魚体の頭を左にして、エラ上部の静脈部分で血抜きする。エラの付け根は完全に切り落とす。海水での洗浄時間や氷の配置までノウハウを共有しました」。積極的に取り組んだ漁師の一人、竹山昌治さん(59)は「漁師は限られた時間で1尾でも多く釣り上げたいのが本能ですから、船上で手間のかかる活き締めを行えば、漁獲高に影響を及ぼします。しかし、後戻りは出来ません。鮮度の保持がバイヤーとの約束。安定価格での販売は、安定した収入に直結します。皆が皆、真剣でした」。
「鮮度保持のための努力に終わりはありません」と話す濱崎房生さん(左)と竹山昌治さん。
年間を通じての購買に踏み切ったサンエーの鮮魚バイヤー貞包耕平さん(41)は「奄美の漁師さんや、漁協の皆さんが一丸となって取り組んだ鮮度保持への努力は、魚体にその全てが現れています。魚は正直です。奄美・沖縄は、好まれる魚種もほぼ同じ。売場では高鮮度な魚を安定価格で提供することが可能になりました。沖縄の海が台風や時化で荒れている時にも、安定して売場を維持するメリットもあります」と自信をのぞかせた。
沖縄のスーパーで定期的なプロモーションを展開。広報活動にも力を入れている。
「奄美鮮魚笠利産」は島の誇り 数量限定のプレミアム地魚が地域の「食」を育む
安定した価格での取引は、安定した収入につながる。水揚げ量の大部分が沖縄への販売に当てられている奄美漁協(笠利地区)の魚だが、一部を「奄美鮮魚笠利産」と銘打ち、島内のスーパーや鮮魚店、料理店へ販売枠に当てている。
奄美市名瀬有屋町にある泉ストアーは、廃業した同市内の小売店から販売枠を譲り受け、水揚げ漁港を前面に打ち出した売場を展開している。鮮魚を担当する榊雅之専務(37)は「鮮度の違いは捌いた瞬間にわかります。島では親戚や仲間で集まる事が多く、週末には刺身盛りの注文が続きます。鮮度にこだわった漁師さんの心意気が、皿やパックの中で光り輝いているようです。自信を持って販売しています。お客からも好評です」と調理する包丁に力を込めた。
「鮮度の良い魚が並ぶと、売場に活気が出ます」と話す泉ストアーの榊専務。
水揚げされる魚の中でも、アオダイは地元でウンギャルと呼ばれ、人気も高く、主力魚種でもある。漁協はPRのために「笠利ウンギャル丼」を開発し、商標登録。普及に伴う質の低下を避けるため、審査を通過した飲食店やホテルでの提供を許可している。
奄美市の中心地で「笠利ウンギャル丼」を提供する料理店がある。ゆらい処・大蔵もその一つ。経営者の山元留美子さんも奄美の魚に惚れ込んだ一人だ。「提供する飲食店により調理の自由が認められているのが「笠利ウンギャル丼」。あんかけチャーハンのような中華風で提供するお店もあります。私は奄美の郷土料理である「鶏飯」を意識しました。ウンギャルの骨でとった出汁を最後に掛けて食します。奄美の生もずくを天ぷらにして添えているので、天茶漬けの風味も楽しめます。地元の方や商用での来島者や観光客にも人気。リピーターが多いのも嬉しいですね。「奄美鮮魚笠利産」はプレミアム地魚。島の食文化を大切に育てたいと思います」こう言って笑顔をのぞかせた。
「笠利ウンギャル丼」を「鶏飯」に負けない奄美の郷土料理に育てたいと話す山元さん。
終わらない夢を魚に託して。 挑戦は、まだまだ続く。
出荷を終えた奄美漁協の作業場で黙々と清掃を行っている若い漁師がいた。濱崎生海さん(25)だ。父・房生さんと共に漁に出て7年目。次世代の漁協を担うホープだ。
「好きな漁師メシですか?船の上で作って食べるカレー鍋です。釣りたての魚からは最高の出汁が出ますよ!」と笑顔で話す生海さん。
漁師への道に迷いはなかったのだろうか?「迷いはありませんでした。高校卒業と同時に父親と同じ道を選びました。釣ったら釣っただけ収入に直結するのが、大きな魅力です」。
「資源保護も漁師の大切な仕事」と語る濱崎生海さん。
漁師は自然を相手にする不安定な職業というイメージも拭えない。「資源を守ることは、とても大切なことです。県の指導もあり、禁漁地域を漁師が守っています。効果も出ており、先日は喜界島の80代の漁師が「最近は良く釣れる。まるで若い頃の漁に戻ったようだ」と話すのを聞いて、私も嬉しくなりました。大先輩の言葉には、力があります。しかし、気は抜けません。積極的に水産庁や県の調査に協力しています」と漁業の未来を見据える。
「時代は変化し、漁業のIT化など新しい取り組みも進んでいますが、漁業の基本は鮮度。美味しさに加え、安心・安全な魚を食卓に届けるやりがいのある仕事です。私は、一度決めたらやり切り、改善のためには変化を恐れないことを父や先輩漁師の背中から学んでいます」と濱崎さんは力強く語った。
新規就業者や兼業漁業者が増えている奄美漁協。水揚げされた魚の販路拡大や、海外輸出を視野に入れ、シャーベットアイス製氷機の試験運用が始まっている。
「組合員が自発的に取り組んでいるのが嬉しい」と語る奄美漁協の柊田組合長(右)と原永参事。
シャーベットアイスとは、直径0.05mm以下の小さな氷。魚体を傷めることなく均一に急速冷却することができる。長時間の輸送でも鮮度低下が少ないと好評だ。
奄美漁協の柊田謙夫組合長(77)は「基本を忘れず、変化を恐れず。鮮度管理や衛生管理など、組合員が自発的に取り組んでいるのが嬉しい。船上活き締め、血抜き処理、ウルトラファインバブル、そして今度はシャーベットアイス。全て現場からの提案だ。これからも歩みを止めることなく取り組みたい」と期待を語った。
試験的に輸出を始めているシンガポールからメールが届いた。フランス料理に調理されたウンギャル(アオダイ)の写真とメッセージ。「鮮度の良い魚をありがとう。味も良い。コロナ騒動の後には、奄美に行くよ。この目で鮮度保持の努力を見てみたい。シンガポールでも、待っている」の文字が踊っている。パソコンのモニターを見つめる全員から歓声が上がった。
魚に託した夢は、止まらない。小さな漁協の大きな挑戦は、まだまだ続く。