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島の誇り、島の味――豊かな食文化 ここにあり 奄美大島

提供:奄美群島広域事務組合

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奄美大島の市街地、名瀬の中心にある「名瀬まち商店街」。食材や日用品、大島紬等の特産品を扱う専門店や学習塾などが軒を連ね、奄美大島の今日を彩っている。

奄美大島は鹿児島市と沖縄本島の中間に位置する奄美群島の中核をなす島だ。亜熱帯の気候が育んだ雄大な自然。島で生命のリレーを繋いだ固有の動植物が来島者を歓迎する。

LCCの就航でぐっと身近になった奄美大島。2019年には、年間68万人を超える過去最高の入域者数を記録した。2021年7月、奄美大島は世界自然遺産に登録され、島の魅力は世界に向けて発信された。

「食」は旅の楽しみの一つ。しかし、地元の人が考える「旅行者が満足するグルメ」と実際の旅行者の満足度が一致しないことも多い。デフォルメされた伝統の味に対して、不満を覚える人も多い。「ありのままで良かったのに」と。

奄美大島には、伝統の「島料理」を伝え、皿の上に表現する人がいる。妥協を許さずに「島野菜」を育て続けている人がいる。スーパーの総菜コーナーでは、島人に支持されている「島の味」が並ぶ。

島が育み、島人が受け継ぐ「島の味」。「おいしかった」「ごちそうさまでした」。その笑顔のために五感を研ぎ澄ませ、島の食文化に向き合う3人に迫った。

豊かな奄美の食文化を伝える 久留ひろみさん

「奄美では、大地の恵みを豊かな食文化で彩ってきました」。2012年に「奄美の食と文化」を出版した奄美食文化研究家の久留さん。自身がメニューを監修する創業50年のレストラン「瀬里奈」の一番人気は「島野菜定食」。鮮度抜群の島野菜と島味噌などの郷土食が楽しめると好評だ。

「奄美の食文化は、島の年中行事と密接な関係があります。『浜オレ(三月三日)』と呼ばれる稲の害虫や病気を除くことを祈る祭りに始まり、『盆行事』『三八月(みはちがつ)』『八月十五日』『九月九日』『種おろし』『大晦日』『正月』など、行事の度に色とりどりの料理が食卓に並びます。祖先に対する祈りを捧げるもの、無病息災を祈るもの、集落行事の経費を集める意味合いを帯びたものなど目的も様々。しかし、食事を囲んで気持ちを新たにするという奄美の文化が全ての行事に流れているのです」と話すのは、奄美食文化研究家の久留ひろみさん(70)だ。

「鶏飯(けいはん)」は奄美北部の笠利地区から広まった郷土料理。「大人になってから名瀬(奄美市中心部)に来るまでは食べた事がなかった」と話す奄美南部の人も多い。

「奄美の食文化の中で、最も大切な食文化は『三献』だと考えます。島人の人生儀礼には欠かす事ができません。婚礼、入学式、卒業式など人生の節目に必ず作る料理。料理内容も地域により異なり、提供する器にも違いが見られます。『三献』というと特殊な印象を受けてしまいがちですが、日本料理の本膳料理だと思っていただければイメージが湧きやすいと思います。室町時代に始まり、江戸時代に確立された武家の儀礼食。食事に儀式的な意味合いを持たせています。奄美では今日でも一般家庭に伝えられ、行われているのは注目すべきだと考えます」

「三献料理をハレの日以外でも気軽に味わって欲しい」と、カフェでもメニュー化されている。龍郷町での取り組みを報じる2020年12月28日付の南海日日新聞。

「奄美には多くの島料理があります。貴重な日本の食文化が奄美に残っていることを知ってもらいたいと願っています」と話す久留さん。自身がプロデュースするレストラン「瀬里奈」のメニューには、奄美の食文化が余すところなく表現されている。店内には、地元客をはじめ、奄美の味を求める観光客の笑顔が溢れている。

時代と共に変わる食生活。変わらないのは、健康でありたいという願いだ。素材を吟味し、愛情とバランスで「島の一皿」を表現する。
「今日が良き日でありますように」「ようこそ、奄美大島へ」。隠し味は、おもてなしの心。島人の心意気と優しさが、今日もテーブルを彩っている。

奄美の食を、もっと気軽に グリーンストア

「奄美のお総菜」を毎日店頭に並べるグリーンストア。この日は「コロナ禍の中、2年振りに墓参のため帰省。忘れていた島の味をホテルの客室で楽しみました」と、関東在住の出身者から寄せられた手紙が紹介された。

「あなたの町のあなたの台所」をモットーに掲げるグリーンストアは1986年に創業した。24時間営業する店舗もあり、地元客や限られた時間でお土産を買い求める観光客にも人気だ。

「『あなたの台所』を掲げた以上、総菜には奄美の家庭料理をラインナップしました。全て自社製造。味を決めたのは、和歌山県から奄美に嫁いだ私の母でした」と語るのは、グリーンストア代表取締役の里綾子さん(44)。

「母は奄美の料理を覚えようと、楽しみながらも真剣に学んでいたようです。同じ奄美大島でも、地域による味の違いも敏感に捉えていました」

「奄美市の中心部では素麺を使った『油ぞうめん』が食されるのですが、郊外になると平打ちのうどんが使われる。店頭には2種用意しています。また、奄美はおかずや茶請けになる『味噌』が食されます。『魚味噌』『豚味噌』『ピーナツ味噌』『イカ味噌』の4種は常時売場で展開しています」

「奄美の郷土料理として知られるようになった『鶏飯』は発祥の地でもある笠利地区出身のスタッフが、スープの味を決めています。調理に手間のかかる『塩豚』『三枚肉の煮込み』『豚足』も人気です。冬は温かくして食べる『小豆粥』も、暑い夏には氷を入れて冷やして食べるのが奄美流。是非、お試しあれ」

24時間営業の入舟店。「奄美の土産コーナーは、観光客の利用に加え地元の方が内地に住む親戚や友人に送る『島の味』を求めて選ぶケースも多い」と語る里社長。

「聞き慣れない名前の総菜があったら、気軽にスタッフに聞いて下さいね。島の食材は鮮度も抜群。『ミキ』といった島に伝わる発酵飲料や、奄美のよもぎ餅『かしゃ餅』などの菓子類も人気があります。受け継がれている島の味を気軽に楽しんで欲しいですね」

飾らない「日常の味」は、「SNS映え」する色彩や派手さもない。真摯な調理を経て、今日も島の総菜が陳列棚に並ぶ。「これはどんな味なんだろう」「沖縄とも少し違うよね」「『ミキ』は甘いのかな?」店内では、居合わせた島人が観光客の疑問に答える姿も見られる。
スーパーの厨房から流れてくる包丁の音。島味噌の優しい香りに心も踊る。丁寧な島の手仕事が、パックの中で輝いていた。

こだわりの田芋を育て続けて くまさん農園

現在は60a(アール)の田芋畑を管理する熊本さん。島人が慣れ親しんだマコモの栽培にも取り組み始めた。「田芋やマコモは、マイナーな作物だけれど大切な島の味。プライドを持って取り組みたい」

奄美大島北部の奄美市笠利町の屋仁(やに)地区で田芋(ターマン)を育てているのは熊本三夫さん(68)だ。市役所で農政に従事した後、両親が耕していた3aの田芋畑を受け継いだ。

「屋仁は昔から水が豊富で稲作や田芋の生産が盛んな地域。田芋畑を引き継いだはいいけれど、従来のやり方では固い田芋が出来るなど品質にもバラツキがあった。こりゃ、性根を入れて取り組まなければと気持ちを新たにしたね」

まず、熊本さんが取り組んだのは固い芋を取り除き、形状が良く品質の良いものをより分ける「系統選抜」。理想の田芋を求め、気の遠くなる選抜作業を繰り返した。前例はない。ひたむきに田芋と向き合う日々が続いた。

「田芋は栽培に手間がかかることから、高価なんだ。昔から。しかし、『高価な田芋を買って茹でてみたら堅かった。これじゃ食べられない』なんていう話も尽きなかった。当たり、外れがあった。客に悲しい思いはさせたくない。農家も信頼を失うことをしてはいけない」

現在では田芋の繊細な品質をコントロールすることが可能になった熊本さん。一度の調理で柔らかくなる家庭用。島ザラメや製餡用に向いた製菓用。再加熱することが多い業務用など、用途に合わせた田芋を出荷している。

「グラタンなどは、茹でたり蒸したりした後にオーブンで焼く。和食なら出汁の染み具合も考慮する。調理法や最終的な提供方法を考えて田芋の柔らかさを調整するのです。調理する側のプライドと、農家のプライドが良い緊張感を保ってくれる。お互いに考えていることは一つ。どうしたら、お客さんに『ベストな状態での田芋』『最高の一皿』を提供できるか。こんなやり取りを面倒に思う料理人の方に出荷はできない」

「食べた人を幸せにするために田芋を作ってるんだからね。あと、田芋の茎は『クワリ』と呼ばれ、油で炒めたり味噌汁の具にしたり、酢の物にして食べてもおいしいんだ」

徹底した系統選抜と収穫前の水抜きと窒素抜きで実現した品質の管理。熊本さんはノウハウの全てを地域の田芋農家に公開している。

次に熊本さんを悩ませたのは軟腐病だ。土壌中の病原菌が悪さをして、芋を腐らせる。水を張った水田に近い環境で育つ田芋。腐敗した部分からは悪臭が発生する。

「対策は色々やった。思いついた対策は全て施した。しかし、一進一退の繰り返し。そんな時、光合成細菌が軟腐病に良いのではないかという論文に触れたんだ。光合成細菌は市販されているものの、高価。60aまで拡げた農場全てに撒く予算は無かった」

奄美大島を歩き回り、島内にあるであろう光合成細菌を探し求めた。発見したのは、農場がある屋仁の土壌から。2019年のことだった。

「灯台下暗しというけど、本当だよね。田芋を腐らせる菌が地元にあれば、対抗する菌も地元にあった。今は採取した種菌を納屋で拡大培養させている。培養が進めば、他の農家の方にも分けて差し上げることができる。自ら種菌を培養させることで学ぶことも多い」

「私の夢は、屋仁地域での農家が増え、伝統の田芋栽培を若い世代に伝承すること。孫達が『あ、そろそろ田芋に芋虫が出るね。なんだか身体がかゆいよ』なんて声をかけてくると微笑ましくなる。科学的根拠など無いのだろうけど、孫は田芋の葉を見ながら季節を感じているんだろうね。私の子供の頃と同じだ」

徹底した土壌と水の管理を行っている「くまさん農園」。自ら培養させた光合成細菌で田芋栽培の宿命とも言われた軟腐病対策に取り組んでいる。「まだ完全とは言えない。しかし、確実に前進している」

安定品質の田芋を出荷することに努力している熊本さん。昨年からは奄美大島で伝統的に栽培されているマコモの栽培にも挑んでいる。内地から様々な品種を取り寄せ、系統選抜を繰り返している。試験栽培は順調だ。

「マコモは順調に栽培出来ても、収穫時の切り口を間違えると一気に水分が抜ける。まだ間違った切り口で出荷している農家も多い。薄皮も剥がしすぎると光合成が進んでしまい、繊維が固くなってしまう。栽培、収穫、販売の全てをゼロベースで見直して『奄美のマコモは美味しいね』と言われるまで頑張りたい」

熊本さんに茨城県潮来市でマコモを栽培する農家から電話が入った。「内地は寒いから、3月頃には掘り起こした株を奄美に送ります。試しに奄美で栽培してください」。「ここ奄美大島は11月でも気温が20度前後。内地は生育が止まってしまうが、奄美では今でもマコモは生育していますよ。これからも情報交換を続けましょう」。声が弾んだ。

「これが屋仁の土。先祖が守ってきた地球の恵なんだ」。つかんだ土の指先から泥がこぼれる。熊本さんは、夕陽に照らされた泥を愛おしく見つめた。

私はカメラを握り、ストロボのスイッチを入れた。
フレームに納めたのは、島の農業に誇りを持つ一人の男。風に揺れる田芋の葉。「田芋って、美味しいよな。葉は肥やしに使えるから、捨てるところがないんだよな」。つぶやいた一言に背中を押され、シャッターを下した。遠くの山が、静かに笑った。

旅の楽しみの一つに「食」がある。名物料理と呼ばれ、スポットライトを浴びる料理もあれば、地域に根ざし、歴史に育まれた古里の味がある。

奄美なら、島の味。プライドを持って食材を育てる農家がいる。島料理を多くの人に味わって欲しいとメニュー開発に力を注ぎ、食の歴史を掘り下げる料理研究家がいる。ブレない味を日々提供している、地元のスーパーがある。

世界自然遺産に登録された奄美大島。自然に触れた後は、島の味にもチャレンジして欲しい。皿の上には、ガイドブックやグルメサイトには書かれることのない、誇りを持った島人の優しさが溢れているから。