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- 島倉千代子の「人を疑わない性格」を多くの人が応援してきた(沢野ひとし)中学生のときに東京・中野から千葉市に引っ越しをした。通学路に青い鋭い棘がある、からたちの生け垣があった。これは防犯も兼ねていた。春に白い花が咲き、秋…日刊ゲンダイDIGITALエンタメ総合
- 青木まり子の「ふるさとはアジア」を聞くと水と緑の風景が蘇る(沢野ひとし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】#33 十数年前に御茶ノ水駅から、明大通りの楽器屋をたまには探索しようと裏路地を歩いていると、千…日刊ゲンダイDIGITALライフ総合
- 娘の卒業式で在校生が披露した「なごり雪」に涙(沢野ひとし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】#32 娘の高校の卒業式に出たのはもう32年も前のことである。自宅から高校までは波打つ大地を歩き…日刊ゲンダイDIGITALライフ総合
- 「今回は」「これはイケマス」…宇崎竜童の粘りと怯まない姿(沢野ひとし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】#31 1975(昭和50)年、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコス…日刊ゲンダイDIGITALエンタメ総合
- 必死で働き続けた母が台所でそっと歌っていた「雪の降る街を」 作曲の中田親子は日本の童謡の宝(沢野ひとし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】#30 小学生の頃、冬になると「雪の降る街を」の曲を何となく口ずさんでいた。その頃の東京は今より…日刊ゲンダイDIGITALライフ総合
- 藤圭子の登場にオヤジどもは「女のやりきれない怨念」に身震い(沢野ひとし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】#29 大正時代に発表された「ゴンドラの唄」は、その後100年が過ぎ、今も長く歌われている。 …日刊ゲンダイDIGITALライフ総合
- マサヤンこと桑名正博の「月のあかり」は、大阪の歌として大事に歌われる(沢野ひとし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】#28 桑名正博は1979(昭和54)年、作曲筒美京平・作詞松本隆という名コンビの「セクシャルバ…日刊ゲンダイDIGITALエンタメ総合
- 名曲の後ろには江藤勲のベースが…誘った娘を邪険にして一人無我の境地で彼の音に集中した(沢野ひとし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】#22 江藤勲さんを知っていますか。 1960年代から日本の歌謡曲は大きく変化した。ロックの…日刊ゲンダイDIGITALエンタメ総合
- プリプリを横浜アリーナで聞いて涙…日本中がダイアモンドのように輝いていた(沢野ひとし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】#21 ガールズバンドといえば、プリンセスプリンセス(プリプリ)が日本の最高級のバンドといえよう…日刊ゲンダイDIGITALライフ総合
- 「いい日旅立ち」を耳にすると日本の原風景が浮かび上がってくる(沢野ひとし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】#20 山口百恵の「いい日旅立ち」が街に流れていたとき、日本は一番幸せな時代だったかもしれない。日刊ゲンダイDIGITALライフ総合
- デヴィッド・ボウイを上回るジュリーの怪しい色気にその世界の男もメロメロ(沢野ひとし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】#19 1970年初めにはグループサウンズは終焉を迎えた。だが化粧にピアスをして、ジュリーこと沢…日刊ゲンダイDIGITALライフ総合
- 在来線の窓には街があり、季節がある…阿久悠の歌謡曲は惚れた女性に口にしたい言葉だらけ(沢野ひとし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】#18 手掛けた曲が5000曲。昭和歌謡曲の天才作詞家、阿久悠が亡くなって、早いもので今年で17…日刊ゲンダイDIGITALエンタメ総合
- 宇多田ヒカルの声が徳之島の青い夏の空に消えていく…「First Love」は今も生き続けている(沢野ひとし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】#17 奄美群島の徳之島に娘が20代の頃に暮らしていた。妻と犬と私で訪ねたことがある。黒い犬だか…日刊ゲンダイDIGITALライフ総合
- 渡辺美里「夏が来た!」を聞くと体中の細胞が動き出し元気になって来る(沢野ひとし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】#16 この数年、夏が年々暑く、早くなった感じを受ける。私が少年時代に千葉にいた頃は、夏至が近づ…日刊ゲンダイDIGITALライフ総合
- ボンクラ小僧が銀座で耳にした「夕月」にしばし立ち止まった(沢野ひろし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】#15 東京・銀座4丁目は日本の中心地である。1963(昭和38)年に角地に三愛ビル、「光の塔」…日刊ゲンダイDIGITALライフ総合
- 「大阪で生まれた女」を聴くたびに…大阪で生まれていないくせに!おまえはなぜ泣くのだ。(沢野ひろし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】#14 歌は出だしが命だ。「踊り~疲れた」「ディスコの~帰り」。コードはG D Em G。 …日刊ゲンダイDIGITALライフ総合
- 「十九の春」は現地のうら若き娘さんが歌うとぐっと胸に刺さる(沢野ひとし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】#12 30代の頃にスキューバダイビングに夢中になっていて、沖縄本島を中心に南西諸島によく出かけ…日刊ゲンダイDIGITALライフ総合
- 「池林房」にはじまり、「五十鈴」「日本晴」まで…ドヤ街の雰囲気が残る新宿で「悪女」を熱唱(沢野ひとし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】 中島みゆきの「悪女」を不意に口ずさむことがある。「マリコの部屋へ~」とカントリー調、フォーク調…日刊ゲンダイDIGITALライフ総合
- メロディーが物悲しい藤山一郎の「長崎の鐘」を学校の帰りに合唱しながらよく歌っていた(沢野ひとし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】 小学生のとき、JR中央線東中野駅の近くに住んでいた。学校は早稲田通りを渡った、上高田の昭和小学…日刊ゲンダイDIGITALライフ総合
- 観光バスの中で中国人が「北国の春」を大合唱 黄河沿いの道は延々と続くポプラ並木(沢野ひとし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】 15年前から中国大陸の面白さに目覚めてきた。2012年の激しい反日デモがあってからも、ひるむこ…日刊ゲンダイDIGITALライフ総合
- 横井久美子は「歌うことは生きること」を実践 チャーミングな笑顔に誰もが魅了された(沢野ひとし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】#7 この数年、親しい友人、編集者、昔からの山仲間、あるいは作家、画家の方々が次々といつの間にか…日刊ゲンダイDIGITALライフ総合
- 満洲からの引き揚げ船に流れた「かえり船」…バタヤンの低い歌声にあちらこちらで嗚咽が(沢野ひとし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】#6 昭和の歌謡曲を聞くと、おじさんと言われる連中は、不意に涙が込み上げてくる。「歌謡曲」という…日刊ゲンダイDIGITALライフ総合
- 山本潤子の透明な声に鳥肌が立つ…京都のやさぐれ天使はさめざめと泣いた(沢野ひとし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】#5 京都・岡崎のロームシアター京都(旧京都会館)に行ったのは、すでに四十数年前のことである。 …日刊ゲンダイDIGITALライフ総合
- 「サボテンの花」はお酒を飲んで聴くと危険…冬の景色が浮かび上がり泣きくずれたくなる(沢野ひろし)…【沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」】#4 歌は出だしが肝心、財津和夫の「サボテンの花」を聴いたとき「ほんの小さな出来事に」のイントロ…日刊ゲンダイDIGITALライフ総合