白鳥さんから
「なにが見えるか教えてください」
と言われたんですよ

川内有緒さん

『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』著者、川内有緒さんインタビュー

2022年の「Yahoo!ニュース|本屋大賞ノンフィクション本大賞」は、川内有緒(かわうち・ありお)さんの『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル)が受賞した。この作品は、川内さんが全盲の白鳥建二さん(53)とアートを巡った旅の記録をつづったもの。白鳥さんは生まれつき強度の弱視で、12歳の頃には光がわかる程度になり、20代半ばで全盲になって、そのころから20年以上も美術鑑賞を続けている。そんな白鳥さんとの交流を経て、「それまで見えていなかったものが見えてきた」と語る川内さんに話を聞いた。(取材・文・樺山美夏、写真:西田香織)

――今回、白鳥さんとのことを書こうと思った経緯を教えてください。

もともと本にするつもりはなくて、流れの中で書き上げていった作品なんですね。20年来の友人でよく一緒にアート鑑賞していた友人のマイティ(佐藤麻衣子さん)から、「白鳥さんとアートを見るとほんと楽しいよ!今度一緒に行こうよ!」って誘われて、「じゃ、行こっか」と軽い気持ちで返事したのがきっかけでした。

向かった先は丸の内にある三菱一号館美術館で、地下鉄に乗っている間に、「目の見えない人がアートを鑑賞するってどういうこと?触ったり、体験するとか?」くらいしか想像できませんでした。それが会場で白鳥さんに会ってはじめて、「あ、私たちが説明するんだ」って気がついたんです。アートの説明なんてしたことなかったけど、みんなであれこれ話しながら鑑賞するのがすごく楽しくて。白鳥さんはおもしろい人だし、一緒に見る体験自体もおもしろく、その後も一緒にアート鑑賞を続けるうちに書きたくなったんですね。

――最初に3人で鑑賞したのはピエール・ボナールの「犬を抱く女」(1922年)でした。マイティさんと川内さんの説明があまりに率直で笑ってしまいました。

白鳥さんから「なにが見えるか教えてください」と言われたんですよ。見たまま感じたまま、「女性が犬を抱いて座っているんだけど、犬の後頭部をやたらと見ています。犬にシラミがいるのかな」って。そしたら白鳥さんが、「へぇー、シラミ?」と笑っておもしろがってくれて。動物にたかるのはノミなのに、シラミだと勘違いしたんですよね。

マイティは当時、水戸芸術館の教育担当の学芸員をしていました。彼女は「私には女性が考えごとをしているように見える」と全然違う見方をしていました。他の作品もそんな感じで、言いたいことを言っているうちに不安になってきて、「作品解説もあるのに私たちのこんな説明でいいんですか?」と白鳥さんに聞いたんです。

川内有緒さん

最初から答えがわかっていたらつまらない

――作品には作家の略歴や詳しい解説がついていますよね。音声ガイドを聞きながら鑑賞する人もいます。

正しい知識を知りたい人がいるのは当然ですよね。目の見えない人がみんな、私たちのような説明を聞きたいわけでもないと思います。でも白鳥さんから、「作品の解説は知らないほうがいいんです。最初から答えがわかっていたらつまらないし、そこに何が描かれているのかみんなで探っていくほうがおもしろいから」と言われて気が楽になりました。

そんな風にアート鑑賞を続けていく中で、人との違いを面白がったり、人の感想を聞いて自分も新しい見方ができるようになったりする楽しみを知りました。それはやっぱりアートの力で、目の前にある作品が、人と違っても言いたいことを言いやすくさせてくれているんですよね。アートは寛容で、どう解釈しても許してくれます。

約2年間、地方の美術館も含めていろんな作品をみんなで鑑賞しました。白鳥さんと一緒だと「伝えよう、伝えよう」と思うから作品をじっくり見るようになるし、そのおかげで過去の出来事を思い出すことも多いので、自分が考えるきっかけにもなるんですよね。

川内有緒さん

――美術館スタッフが、ある印象派の作品に描かれた原っぱを湖だと勘違いしていた話もおもしろかったです。白鳥さんの「目が見える人も、実はちゃんと見えてないんじゃないか」という言葉にはっとさせられました。

私もあの話を聞いたときは、なんておもしろいんだろう!と思いましたね。目が見えている人が見ているものは、全体のほんの一部にすぎないということがわかりました。私の妹は方向音痴で、京都で白鳥さんと待ち合わせてお店を探して迷っていたら、白鳥さんが道案内してくれて無事にたどり着いたことがあったんです。その話を聞いて「すごいね!」っていうと、白鳥さんは「そんなの当たり前じゃん」っていう感じで。目が見えても方向感覚がない人はないし、目が見えなくても方向感覚がある人はある。そういうことはすべてにおいて言えるわけで、全盲だからといって感覚が鋭いといった特別視することではないんです。

過剰な「気遣い」が
当事者を傷つけることもある

――作品の序盤で、川内さんは白鳥さんを気遣ったり心配されたりしています。でも過剰な気遣いは、当事者を傷つけることもあると気づかれたとき、我が身を振り返りました。

アート鑑賞をする際、一緒にいる人の肘を軽くつかむ白鳥さんに、「段差ありますよ」「次、曲がります」と教えていたら、「そういうのは言わなくて大丈夫ですよ」って言われてしまって。実際、白鳥さんは1人で旅行していますから。視覚障害者といっても、どんな人にどの程度のサポートが必要かはいろいろです。そこもまた障害の有無だけで判断できるものではなく、個別のものなのです。

――白鳥さんは居酒屋で酔っ払って、旅行好きで、音楽や耳で聴く読書も好きで。人生を楽しんでいるように見えます。

白鳥さんはすべて、「自分が楽しいと思うかどうか」が活動の基準なんです。私が取材してきた人たちの共通点もそこで、自分が楽しいと何かを突破するときの原動力になる。私もすごく楽しみたい人で、そうなったのは国連職員時代にフランスに住んでいた影響もあります。フランス人って今を楽しむことに貪欲で、いつか楽しむために今は我慢するという考え方はしません。とにかく「今を生きる」ことが優先で、白鳥さんも「今を生きる」人。今幸せだと思った時間は流れていってしまうけれど、後で振り返ったときもその時間を信じられたら幸せ、という人なんです。

――川内さんは白鳥さんのどういうところに魅力を感じますか?

「個」として存在しているところですね。白鳥さんは、「セッション」という名のアート鑑賞ワークショップもやっているんですが、活動を広めてやろうとか、目の見えない人の何かを啓蒙しようとか社会の多様性とかインクルージョンとか、そういうことは口にしない人なんです。「みんながそれぞれ違う音色の何かを奏でて、一緒にセッションできたらいいよね」っていう考え方なので、そういうところがすごくいいなと思います。

ある学校でワークショップをやったときも、先生が「普段しゃべらない子も話せるように頑張ってほしいです」と言ったら、白鳥さんが「いや、しゃべらなくていいんじゃないですか」って。「別に全員がしゃべることを目標にしなくても、その子がそこにいてくれるだけでいいんですよ」と言うと、先生たちはびっくりしたという話がありました。だから白鳥さんのワークショップは、何かをこうなれば成功というのは特になくて、そこにいる人がしたことのすべてが成功のかたちなんですよね。それこそが今本当に必要な考え方だと思っています。特別な能力を組み合わせて「成功」に持っていくのではなく、そこにいる人のあるがままを受け入れるという考えかたです。

川内有緒さん

「頑張ること」を
人に押しつけていませんか?

――成功や生産性を重視する社会の風潮とは真逆ですね。本の中でも、人を役に立つか立たないかで選別する地獄絵図のような風間サチコさんの「ディスリンピック2680」(2018年)に触れていて、優生思想について深く考えさせられました。

能力がある人だけを評価して、成功した人を勝ち組にするっていうことを日本はずっとやってきて、その競争のなかで“負けた人”を「自己責任」で片づけてきました。何かができる「能力」だけに人間の価値を置いてきた結果、そこにうまくフィットしない人は社会の隅に追いやられ、社会にさまざまなゆがみが噴出しています。仕事の成果などとは関係なく、ただ隣にいる人を尊重することを学ばないといけないし、競争原理で使い捨てにされた人たちのことを忘れてはいけないと、私も風間さんの作品の鑑賞やその後の対話を通して気づかされたんですね。

頑張りたい人はもちろん頑張ればいい。でも、「自分が頑張ってるから他の人も同じように頑張るのは当然」という考え方が、社会を窮屈にしています。白鳥さんも子どもの頃から、「目が見える人の何倍も頑張らなきゃいけない」とお祖母ちゃんに言われ続けて育ったのですが、「なぜ盲人は、見える人に近づくように努力しないといけないの?」と疑問を感じていたそうです。その話を聞いたとき、私も無意識のうちに「頑張ること」を人に押しつけてきた1人かもしれないと思って怖くなりました。

寛容や共感が大事とよく言われるようになりましたけど、受け入れてあげようとか、理解してあげようとか、「やってあげる」と思った瞬間に上から目線で差別しているわけですよね。多様性とか言っているうちは実はまだまだで、そういうことをわざわざ叫ばずにいても、障がいがある人もない人も、誰もが自由に行きたい所に行ってやりたいことができる、そういうバリアのない社会に変えなければいけないんです。

川内有緒さん

ノンフィクションを書くことは
いまを生きるための手段

――本の中で、不愉快な差別や非道を目にしたとき、「私も非力ながら声をあげ、それらをぶっ叩いていく人でありたい」と書かれています。SNSでの発信や本の執筆もその手段の1つでしょうか。

私の主戦場はやっぱり本で、本は私のメディアでもあります。広く短く発信するならSNSがいいのかもしれませんが、自分の能力やキャパシティーを考えると、じっくり時間をかけて考えたことを本で伝えるやり方が合っていますね。

――川内さんは、国連(国際連合教育科学文化機関)を辞めて2010年に『パリでメシを食う。』を発表してから作家に転向し、これまでに3作品でノンフィクション関連の賞に輝いています。時間も労力もかかるノンフィクションを書いていこうと思ったのはなぜでしょうか?

もともと読書が好きで、社会で起きていることに強い関心があってノンフィクションばかり読んでいたんです。元々は国際協力の分野で働いていて、アメリカのコンサルティング会社や日本のシンクタンク、パリで国連職員として海外のプロジェクトばかりを手がけるうちに、浮世離れした世界にいるようで現実を生きている感じがしなくなってきたんですね。

「自分の人生これでいいのかな?」って思いはじめた頃、パリで出会った、自分を変えるきっかけを与えてくれるような人を取材しはじめました。それをまとめたのが『パリでメシを食う。』というデビュー作で、自分にとって必要な人たちの話を自分の中に取り込むようなかたちで書いた作品でした。

それが私の作家活動の原点なので、その後も「この人に話を聞けば、自分の中にあるモヤモヤの正体がわかるんじゃないか」と思える人の本ばかり書いてきました。ノンフィクションには、有名人の人生をドラマチックに描いた評伝から事件の真相を追った実録ものまでいろいろありますが、私には「普通の人の普通の人生がおもしろい」という想いがずっとあるんですよね。

白鳥さんの本を書くときはその想いがさらに強まって、日常にあるおもしろさや幸せな時間の連なりを楽しんでもらいながら、あっという間に読み終えたと思ってもらえる本にしたかった。それはやっぱり偽善や美談を嫌う白鳥さんという人の影響も大きくて、障がいのある人が努力して苦難を乗り越えた感動物語とか、悲しい話とか、そういうストーリーじゃないものを書こう、友人同士の他愛もない会話が連なっていく本をと決めていました。

川内有緒さん

――私も、白鳥さんや川内さんたちのアート鑑賞を追体験しながら、笑ったりうなずいたりしているうちに一気に読み終えた「体験型読書」のような気分を味わいました。

そういう感想はすごく多いですね。「バーチャル白鳥さんとアート鑑賞しました」という人も何人もいました。私にとってノンフィクションを書くことは、今この社会で起きていることや、今生きている人たちと関わることなんです。この世界に立ってこの人たちと何かをしていくという、意思表明でもあります。白鳥さんと鑑賞をしてみたいという感想も多くいただき、それも良いと思うのですが、もっとお勧めしたいのは、自分にとっての“白鳥さん”を見つけること。ただ一緒に作品を見て、対話をして、笑いたいと思える人を見つけることです。

人と関わってはじめて、自分の色と自分にない色が混ざり合っておもしろいことが起こるので、そういう風に生きていかないとつまらないですよね。それくらいノンフィクションを書くことが、今を生きるための手段になっているところもあるので、そのライブ感を楽しんでもらえると嬉しいです。

目の見えない白鳥さんとアートを見にいく
川内有緒/集英社インターナショナル

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