2021年の受賞者・上間陽子さんの「それから」
「自分の問題が自分だけの問題じゃないと思えることもある。読書がそういう体験になるといい」
2021年の「Yahoo!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞」受賞作は、沖縄で生きることの絶望と苦しみをつづった上間陽子さんの『海をあげる』(筑摩書房)でした。理不尽な暴力と隣り合わせにある沖縄の日常を「果たし状を書くような気持ちで書いていた」作品は大きな反響を呼びました。それからどんな変化があり、上間さんはどんな日々を送っているのでしょうか? (取材・文:樺山美夏、写真:前田勝也)
優しい人ほど投げた石をキャッチしてくれた
――2021年のノンフィクション本大賞授賞式のスピーチで、『海をあげる』は「パンドラの箱」で、「国のアキレス腱について書いた」作品だというお話をされていました。この本を読んで沖縄の実情を知り、衝撃を受けた読者も多かったのではないかと思います。
そういう感想もありました。あのあと、NHKの番組でも取材があって全国放送されたんです。そのなかで『海をあげる』を読んだ大学院生の方が、「沖縄のこと知らないでしょ?」って叱られているような感じがした、という感想を話されていました。それを聞いたとき、私はこの本で、沖縄の人の生活をないがしろにしてきた政治家たちに石を投げたつもりだったのに、優しい人ほど投げた石をキャッチして胸を痛めているんだな、申し訳ないな、という気持ちになりましたね。
――2022年は沖縄復帰50年ですが、沖縄の状況は何も変わっていません。むしろ、軍事を強化させられてもっとひどい状況になっていると「おにわ」(※)のブログに書かれていましたね。(※上間さんが昨年秋に開所した若年ママ専用シェルター)
大賞を受賞したことで、伝えたいことが遠くにいる人まで届いたことはものすごく嬉しかったんです。受賞後、シェルター開設に必要だった寄付金1000万円も集まったので感謝しています。でも、沖縄自体は何1つ変わっていないし、私がやるべきことも何も変わっていません。目の前で苦しんでいる少女達を少しでも良い方向へ、という思いで今もできることを一生懸命やり続けています。
シェルターで保護している10代のママや暴力を受けている少女たちの退所後の生活をつくるために、要保護児童対策協議会などに頻繁に出るようになったので、大学の研究室には全然行けてないんです。この前、ハッと気づいたら、カレンダーが去年の11月のままでした。
上間さん(左)と「おにわ」寮母の東さよみさん(右)
相手が語りたいという欲望をどう育てるか
――上間さんが続けている聞き取り調査では、暴力によって言葉を奪われた少女たちに寄り添い、誰にも話せなかったことを本人が語り出すまで冷静に向き合っていらっしゃいます。上間さんの活動を取り上げた「ハートネットTV」(NHK教育)に出ていたある少女は、上間さんに相談するとよく泣いていると話していました。
そうなんです。『言葉を失ったあとで』(筑摩書房)という本で信田さよ子さんと対談したときも感じたんですけど、まだまだ私には訓練が必要ですね。信田さんも相手の話を聞きながら、「どういう構造がこの人にこういう語りを可能にしているのか?」と、語りを規定している社会構造の方を知的に俯瞰して分析しているんです。周りの人には単なる興味に見えるかもしれないけれど、その訓練が徹底していて感情が入り込む余地がないというか。同時に語り手に対するエンパワメントが徹底していますね。
だから、信田さんの質問に答えていると、自分がすごく面白いことを話しているような気になるんです。そういう訓練されたインタビューの技術に、私も少しでも近づきたいです。
――『言葉を失ったあとで』のあとがきに、「語りだそうとする人がいて、それを聞こうとするひとがいる場所は、やっぱり希望なのだと私は思う」と書かれていて本当にその通りだなと思いました。インタビューって、希望を拾い集める行為なんですよね。
そう。だから相手が語りたいと思う欲望をどうやって育てるかっていうことも、インタビューの現場では大事ですよね。「この人に話して正しかったんだ、よかったんだ」と相手に思ってもらえるように。それは、とても幸せな聞き取りの場になると思うので。
2021年の贈賞式でスピーチをする上間さん(写真:高橋宗正)
沖縄は戦争前夜の怖さに脅えている
――受賞の直後、国会で『海をあげる』が取り上げられました。参議院議員の有田芳生さんが「アリエルの王国」の一部を朗読し、沖縄戦犠牲者の遺骨を含んでいる土砂を投入して軟弱な地盤の辺野古に基地を移設することについてどう考えているのか?と岸田首相や岸防衛大臣らに質問をしていました。でも首相は「コメントは控える」、と。
事前に有田さんから『海をあげる』を国会で取り上げるというご連絡はいただきました。そのこと自体はありがたかったんですが、沖縄に対する政府の態度は何も変わっていません。それどころか、今年に入ってロシアのウクライナ侵略がはじまり、台湾有事の話も出てきて、沖縄の離島に続々と配備されていた自衛隊がアメリカ軍と合同演習を始めてしまいました。それは沖縄がまた戦場になる可能性が高いということです。でも、国から沖縄の人はどこにどうやって逃げればいいのか、についての話はこれまで一切ありませんでした。
やっぱり沖縄の生活者はないがしろにされるんだと、戦争が起きたあの時と同じように私たちは捨て石でしかないと、改めて痛感しました。ずっと戦争前夜の怖さに脅え続けている毎日です。国会で私の本が取り上げられて、沖縄の痛みを感じてくれた人もいるとは思います。だけど、「やっぱりそこまでなのか」というのが正直な気持ちですね。
先ほども話したように、私が本を書くことは、沖縄をないがしろにしてきた人たちに石を投げるような仕事です。でも、投げた石が当たってほしい人に当たったとしても、倒せるわけじゃない。常にその限界は感じているので、自分ができる目の前のことに1つ1つ取り組んでいくことでなんとか正気を保っています。だから「おにわ」があって本当に良かったなと思っています。
「おにわ」に来る女の子たちは、食べることをめぐる様々な困難があって、1日1食しか食べてないような子ばかりです。だから、ご飯を作るのが好きなスタッフと美味しいものをひとつでも見つけて、それを食べて、一緒にいる時間を味わうということを実践として行うことで、絶望をごまかしている感じです。現状をつぶさに知るということも大事ですけど、生活する場所をちゃんと温め続けることも大事で、両方やっていかないと精神的に無理ですね。
言葉の軽さに抗う
――昨年のインタビューで、「おにわ」の運営はいずれ行政にバトンタッチしたいとおっしゃっていました。
ど真ん中の支援を行政がやってくれれば、余白の部分はいくらでも民間でできると思うんです。けれども今は、民間にもできないことを民間がやらないといけなくなっているように感じています。ただ、それだと支援が必要な人たちの根本的な治癒はできないから、傷の手当てくらいしかやっていないような感覚です。
政治家が、生活者の苦しみに無関心になっていることに連動して、言葉がどんどん軽くなっているように思います。国が人々の暮らしを守り、人々の生活を軸足にするためには、その重要性を政治家が認識する必要があるので。そのために生活者の言葉がどこまで力を持ち続けられるだろうか?という危機感があります。
――ノンフィクションには、言葉が軽くなっていく流れを食い止める力があると思われますか?
ノンフィクションに限らずすべての本は、言葉の軽さに抗うものですよね。言葉の力だけは絶対に手放さないのが本でありノンフィクションです。だから、本がもっと読まれるようになることは、生活者の論理を守ることにもつながるはずなんです。
今は沖縄だけでなく国全体が疲弊して、みんな自分のことで精一杯です。でも本を読むことで他者の当事者性を持って生きると、粘り強くなれるし、自分の問題が自分だけの問題じゃないと思えることもある。読書がそういう体験になるといいな、と思います。特に、ノンフィクションの読み手が増えていくことは、当事者性を持つ人が増えていくことでもあるので、これからもそのために書き続けていきたいですね。
海をあげる 上間陽子/筑摩書房