【ヒットの裏側】2019年ノンフィクション本大賞作

――ブレイディみかこさん著『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、なぜ54万部を売り上げたのか? 版元の新潮社「チーム・ブレイディ」のみなさんに聞きました

(写真提供:新潮社)

昨年の「Yahoo!ニュース|本屋大賞ノンフィクション本大賞」は、英国在住のブレイディみかこさんによる『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』が受賞しました。 「ぼくイエ」の名前でも親しまれるこの作品は、ブレイディさんの息子さんが通うことになった、現地の「元底辺中学校」を舞台にしています。その累計部数はなんと54万部超! 異例の大ヒットを遂げました。なぜ、ここまで売れたのでしょう。刊行に携わった新潮社のみなさんに聞きました。

(インタビュー・文:笹川かおり)

「チーム・ブレイディ」メンバー紹介
堀口晴正さん

堀口晴正さん/出版企画部 ノンフィクション編集部「波」での連載ならび書籍化の担当編集者。過酷な取材対応スケジュールを組んだため、ブレイディさんから「編集H(H for HITODENASHI)」の二つ名をいただく(まことに申し訳ございませんでした)。もちろんそれらすべての現場に同席。本作に関するあらゆる情報を、複数の部署にまたがるチーム・ブレイディ内で共有した。

秋山優さん

秋山優さん/マーケティング営業本部 WEBプロモーション室(刊行時は営業部所属)書籍の販売担当。本の売れ行きデータを分析し、重版の部数やタイミングを検討。販売促進活動のスケジュール管理、戦略プランの立案を担当した。同時に九州・沖縄エリアを中心に書店も担当し、営業活動を行った。思いついたら行動に移さずにはいられず、時としてメンバーを振り回す、チーム・ブレイディのわがままな末っ子。

佐藤舞さん

佐藤舞さん/宣伝部デザイナー。新聞などの広告や、書店で使用するPOP、パネル、ポスター……だけでなく、フェアやキャンペーンの企画も考える宣伝まわりのなんでも屋。特に思い出深いのは、刊行と同時に手掛けた書店員さん別オリジナルPOPと、2020年元旦に新聞各紙に出稿した「エンパシー」をテーマにした新潮社企業広告です。

企画はどうやって生まれたのか

――担当編集の堀口さんが、著者のブレイディみかこさんと出会ったのはどんな経緯だったのですか?

堀口晴正さん。取材はオンラインで行った 堀口晴正さん。取材はオンラインで行った(撮影:編集部)

堀口さん:いまから3年前ですね。自分がブレイディさんを知ったのは、『子どもたちの階級闘争』(みすず書房、2017年)でした。刊行当時に書店で手にとったら……これがね、面白かったんです。「新時代の書き手だ」と思いました。

託児所で起きたミクロなことを描いているのに、イギリスという国のマクロな社会構造を描くことにも成功している。現場で起きていることを切り取る「眼」がいい。「書きっぷり」もいい。初めて会うタイプの書き手でした。感想と一緒にメールで「いつか一緒にお仕事がしたい」「日本に来る機会があったらお会いしませんか」と送ったんですよ。

――その後、『ぼくイエ』の企画にどう繋がったのでしょうか。

堀口さん:新潮社で「新潮ドキュメント賞」という賞があるんですけど、第16回の受賞作が『子どもたちの階級闘争』で決まり、自分が連絡窓口を担当することになって、来日の折にお会いできました。2017年のことでした。

そのときに、自分から「今の現場を書いてください」とお願いしました。ブレイディさんは「自分の働いていた託児所は(英国の)緊縮財政でなくなっちゃって、今はフルタイムで保育士をやってないんです」と言いました。ところがそのあとに、「息子が入った中学校が変わっている」という話をしてくれたんですよ。 小学生までは優等生だった息子さんは、あえて「元底辺中学校」に行くというんです。それを話すブレイディさんが心底楽しそうで……「やりましょう!」と言いました。

著者のブレイディみかこさん。 著者のブレイディみかこさん。昨年の授賞式でトロフィーを掲げる(写真:高橋宗正)

――それから、新潮社の月刊誌『波』(2019年1月号)で連載が始まったんですね。最初に原稿を読んだときの印象を教えてください。

堀口さん:頭に雷が落ちました。現在進行形の実話なのに小説みたいな読み味。文字を読んでいるのに映像を見ている感じがしましたね。音楽や子どもの声が聴こえてくるような感じがして、ものすごく興奮しました。

――全編を通じて、貧困や人種差別などのテーマが描かれています。心に残っているパートはありますか。

堀口さん:あえていうなら、第5章の「誰かの靴を履いてみること」ですね。ここで「エンパシー」(他人の感情や経験などを理解する能力)という、この本の通奏低音となるテーマが登場したわけです。本をつくるときに編集者としてこだわっているのは、本をつらぬく「串」を見つけられるかどうかなのですが、ブレイディさんは連載の5回目で見つけました。うれしかったですね。

ポップなイラスト、真っ黄色な装丁

――「ぼくイエ」の装丁についても聞かせてください。目に鮮やかな黄色い表紙、息子さんを描いたポップなイラスト。ノンフィクションの書籍としては珍しいビジュアルだと感じます。なぜ、このようなつくりにしたのですか。

秋山優さん 秋山優さん(撮影:編集部)

秋山さん:刊行前に、これまでのブレイディさんの本がどんな方に読まれていたのかをリサーチしました。6、7割が男性の読者で、50代以上の方が読んでいた。ノンフィクションジャンルの中心的な読者層だと考えました。

今回は、その枠を超えていける力を持った作品なのではないかと。このみずみずしい筆致を、ノンフィクションをあまり読まない、小説を読む人たちに届けたい。親子の物語なので、親世代にも読んで欲しい。たとえば、20代から40代女性を中心に届けられたら、より心に響くのではないか。ひいては主人公の「ぼく」のような若い世代にも届けたかった。そう考えると、写真がカッチリ入った重厚な装丁ではなくて、親しみやすいイラストをメインにしたら、手にとってもらえるのではないかと考えました。

堀口さん:ただ、これまでの熱心な読者、中高年男性が手に取りづらい装丁にはしたくありませんでした。

それで、「中高年にも中高生にも手に取ってもらえるようなカバーにしてください」って社内のブックデザイナーに無茶振りをしました。中田いくみさんに絵を描き下ろしてもらい、全体に黄色をかぶせて、アイコンとしての『イエローブック』にしようと。

著者のブレイディみかこさん。 昨年のノンフィクション本大賞の授賞式。書店員さんのPOPが「ぼくイエ」の平台を飾った(写真:高橋宗正)

――多くの人に届けるために、まずどんな取り組みをしたのでしょうか。

秋山さん:書店員さんにアピールする際、これまでブレイディさんの著作を担当してきた人文書の担当者にとどまらず、文芸書や文庫などの担当者にもアピールするように努めました。人文書担当以外の方だと、まだブレイディさんのお名前を「知りません」という方も多くて。そういった方たちにどれだけ応援してもらえるかが、鍵になると思っていました。

――結果はどうだったのでしょうか。

秋山さん:読んでもらったときの反応はすこぶるよかった。「心が撃ち抜かれた」という声もあったぐらいで、書店員さんの声はどんどん大きく、増えていきました。書店員さん同士の口コミでも広がり、これまでにない手応えでした。

レジ前で、異例の大展開をしていただいた書店さんもありました。みなさんどうにかしてこの作品を届けたいと懸けてくださったのだと思います。

――のちに50万部を超える大ヒットになります。重版はいつ決めたのでしょうか?

秋山さん:発売から3日目です。すぐさま2刷を決めました。その数日後にも3刷。応募してくださった書店員さんの猛アピールで、見たことないような数字が出て、鳥肌が立ちました。

佐藤舞さん 佐藤舞さん(撮影:編集部)

――読者向けには、どんな取り組みをしましたか?

佐藤さん:読んでくれた方はファンになってくれる確信があったので、「試し読み」サイトを作ったんです。試し読みは1話だけの場合も多いのですが、「はじめに」に加えて、たっぷり4章分を載せました。発売3週間くらい前に開設し、今もずっと読み続けられています。

受賞後、人気は全国に広がった

――「ノンフィクション本大賞」受賞は、どんな影響がありましたか?

秋山さん:とても大きな反響でした。受賞前は累計6万部だったんです。大賞の授賞式は11月6日で、11月の中旬には23万部まで伸びました。当初売れていたのは、ノンフィクション本大賞に投票するなどして、応援してくださった書店さんでした。それも都市部中心だったんですが、受賞決定後からわーっと全国津々浦々に広がって、それからは、郊外や地方のロードサイドにあるこれまではブレイディさんの本を置いていなかったような書店さんでも、どんどん手に取ってもらえるようになりました。

授賞式。秋山さん落涙。 授賞式。秋山さん落涙。このとき、隣の佐藤さんも落涙していたという(写真:高橋宗正)

――授賞式で、秋山さんは大粒の涙を流されていました。あのときの心境は?

秋山さん:たくさんの人に届けるため、長い時間をかけてあらゆる準備をしてきました。授賞式のときは、ああ間違ってなかったなあ、って色々思い出しちゃった感じです。これまでの仕事で、うまくいかないこと、たくさんありました。過去に携わった本で、どんなに面白いと思ってもなかなか届かないこともありましたし、力不足を感じることばかりでした。それだけにぐっときてしまったんですよね。

……いまだに初めて原稿読んだときの心の震えが忘れられないんです。こんなに素晴らしい作品、どうにかして届けたいっていう思いと、絶対に届けなきゃっていう重圧があって。少しはその責任を果たせたんじゃないかと。

事実と向き合うこと=自分を鍛えること

――最後に。いま、出版社としてノンフィクションを刊行し続ける意義をどう考えていますか。

堀口さん:事件、人物もの、調査報道、子育て、病との向き合い方、世界の動き……なんであれ、自分なりの答えを確かめたい、探したいと思って読んでくれる。それは自分を鍛える作業だと思うんです。読み手が事実によって鍛えられる醍醐味を体験できるのは、ノンフィクションの魅力かなあと。

自分はなんのために生きているのか、この世界この時代をどう理解したらいいのか。その問いに、いろんな人が考える補助線を与えてくれるのがノンフィクションの良さだと思います。

佐藤さん:弊社ウェブサイトには、たくさんの感想が寄せられています。小学校高学年の女の子から、シニア世代の方まで。10代からは「大人になる前に出会えてよかった」「物事の見え方はひとつじゃないってわかった」という声が届いていて、励みになりますね。

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書店員さんが教えてくれました『はじめてのノンフィクション本』