Professional2016.12.28

【連載 Yahoo!ニュース×エンジニア】東京・シリコンバレー経由で北九州へ――BCP業務も担うUターンのエンジニア

メディア・マーケティングソリューションズグループメディアカンパニー
ニュース・スポーツ事業本部開発部
阿部 友明

Yahoo!ニュースでは24時間365日、国内外の多様なニュースを発信し続けています。このサービスを円滑にユーザーの皆さんに届けるには、エンジニアの力が不可欠です。彼らの仕事や思いをインタビュー形式で紹介する企画の第1弾は、北九州オフィスでBCP(事業継続計画)業務にも携わるエンジニア。転職で2016年4月にヤフーに入社し、「地方の良さを感じながら、東京と同じ仕事ができる」と胸を張っています。

BCP拠点を担う一人として

――2016年4月に入社し、どのような業務に
Yahoo! JAPANのトップページ、そこにYahoo!ニュース トピックスが並んでいますが、そのリンクをクリックした後に表示される画面の改善や機能追加、そのほかYahoo!ニュースに関するシステム全体の効率化や保守をする仕事に携わっています。私が勤務するのは福岡県北九州市小倉にある北九州オフィスですが、東京オフィスと同じ業務を行っています。

――Yahoo!ニュースは24時間365日稼働、常にニュースを届けるサービス。有事に備えてそのサービスを止めないために、北九州オフィスはBCP拠点でもあります(※2014年4月に自然災害の発生確率が低いとされる北九州市に開設)
北九州オフィスがBCP拠点となってから約2年がたっています。その間にあらゆることを想定した議論と資料作成、それに基づいたシステムの見直しも行われていて、立ち上げに携わった方たちのアウトプットがかなり蓄積されています。私としてはそれらを再度確認し、更新が必要なものや足りないものがないのかを見直す作業を行っています。

――ヤフー入社前にもそういう仕事に携わったことは
実は、東日本大震災のときに「一人BCP」なるものをやったことがあります。大学卒業後、ある大手電機メーカーで仕事をしていたんですが、あの日、東京の交通網は大パニックでした。翌日までその混乱は尾を引いていて、「東京のオフィスがダメになったら、誰かが遠隔からどうにかしないといけないのでは」「自分が住んでいる場所で何かあったとき、スムーズに脱出できるのか」と、危機感を抱いたんです。それで翌週、いてもたってもいられず、実家のある福岡へ戻ったんです。

――仕事はどうされたんですか
幸いVPNもあったのでリモートで仕事はできたんです。どうしても関東にしかいられない人もいますし、「ならば自分で一人BCPだ」と。当時、私がいた会社にそういう体制はありませんでした。それで1週間くらい福岡にいたんですが、東京と常に連絡を取りながら、仕事ができたんですよね。

北九州オフィス内の様子。写真奥がYahoo!ニュース編集部で、手前が開発部

――前職のお話が出ましたが、ヤフー入社前はどのような仕事を
大学では電子機械工学を専攻していて、2000年に新卒で電機メーカーに入社。最初はUNIXサーバの開発に携わっていました。ただ、お恥ずかしい話ですが、入社当初、キーボードを人差し指でたたく程度で……。

――エンジニアなのに!?
大学は理系だったのにありえないですよね(苦笑)。それからいろいろな開発に携わらせてもらい、障害対応にも関わりました。それから2006年にアメリカのシリコンバレーへ行く機会をもらいました。エンジニアとしてあそこで仕事ができたことが、一つ転換点でもありますね。

――感化されるものがありましたか
当時、「いつか起業したい」という思いがあって、それが鮮明になりました。一緒に仕事していた仲間に、10歳上の小太りの中国人の方がいたんです。仕事がものすごくできる人で、その彼に昼休み、「テニスしないか?」と。学生時代にテニス部だったので、「仕事でかなわくとも、これは負けるわけにはいかないな」と。でも、全然勝てない(笑)。それがきっかけで地元のテニスチームに入るようになったんですが、そこで発見があったんです。

――どんな?
全米中のアマチュアプレーヤーすべてのテニススキルと戦績情報が登録されているシステムがあって、小さな大会の結果でもそのシステム上に反映され、全選手がクラス分けされているんです。これは面白いなと思って、実は帰国後、少し時間がたってから一度同じようなシステムを日本でつくって起業しているんですが、シリコンバレーに行っていなければ、そういうこともできなかったと思います。

大学では電子機械工学を専攻もPCスキルは「キーボードを人差し指でたたく程度」

シリコンバレーで考え方が転換

――大手電機メーカー、海外赴任、起業などいろいろな経験を積んで今に至っているわけですが、当初、ヤフーにどのようなイメージを持っていましたか
誰もが知っている、桁違いのPVを稼ぐサービス。そんな規模感のWEBシステムに携われることになれば、自分のスキルアップにつながるなと。テニスのシステム構築していた際に、WEBに興味を持ち始めていて、タイミングよく中途採用募集があったので挑戦しました。

――入社後、新鮮に映ったことや驚きは
みんな、若い。ここでは自分がすごく「オッサン」に思えます(笑)。ただ年齢が若いというだけでなく、自分で自分を管理し、自信を持って仕事をしていますね。自分を磨ける環境と思って飛び込んだ場所は、想像以上でした。あとは、「体育会系のノリ」がないことですかね。

――それが驚きですか(笑)
はい。いい意味で年齢なんて関係ない、フラットで物事を言い合える環境があります。これは仕事をする上でとても大きいと思いますよ。シリコンバレーはまさにそんな環境でした。私自身、アメリカに行く前はゴリゴリの体育会系で、グラスにビールが入っていないと、「どういうことだ」と(笑)。それがあちらで180度、物の考え方が変わって、自分のペースで飲みたいので今はもうビールを注いでほしくない。例えが悪いですが、そういうスタイルのほうが日本でも企業成長していくのではないでしょうか。伸びしろや可能性をすごく感じています。

周りの「若い」エンジニアとともに、Yahoo!ニュースをシステム面から支えている

――入社から半年以上たち、エンジニアの仕事ではいかがでしょうか
自分の仕事の影響力の大きさに、身が引き締まる思いです。家族にもスマホで画面を見せれば簡潔に伝えられますし、自分の仕事がユーザーにより密接になりました。一人のエンジニアとして、やりがいを持って仕事ができています。また、仕事に使っているのは主にPHPです。開発手法が昔のウォーターフォールではなくアジャイルのスクラム開発なので、開発期間が非常に短く効率的だと思います。

――いわゆる「Uターン」ですが、これについては
東日本震災を契機に、私と同じように九州に戻ってきた人が多いと聞きます。とはいえ、大都市圏と同じ仕事内容、条件があるかといえば難しいのが現実でしょう。そう考えれば、私は恵まれています。東京オフィスのみなさんも地方拠点へのケアをすごくしてくれますし。

――物理的距離を感じませんか
感じませんね。東京オフィスにも地方拠点にもテレビ会議室があります。短時間のミーティングでもテレビ会議室を使っていますし、それに加えて席の近くに常時接続したPCがあって、常にコミュニケーションを取っています。事後報告ではなく、働く場所でエンジニアを左右しないというか、同じフィールドで仕事を一緒にしようという姿勢が、私たち地方拠点で働く側に届いています。

――Yahoo!ニュースは東京オフィスが被災して機能しなくなった場合に備え、北九州、大阪、八戸にも拠点を設け、編集者や技術者を配置しています。特に北九州は東日本大震災以降に“BCPの要”として設立したオフィスで、もし有事の際に東京と連絡がとれなくなったら、指揮権はすぐに北九州に移る仕組みです。
その中でBCP拠点のチームとして準備していることは

Yahoo!ニュース トピックスについて、DBを含めたシステム全体を把握し、安全な設計に更新したり、日頃のトラブル分析を行うことで、運用スキルを磨いて緊急時に対応できるようにしています。また、システムが属人化しないように、メンバーが誰でも全システムを触れるよう、スキルの可視化と更新作業の割り振り等も行っています。

――ちなみに2016年4月の熊本地震の際、北九州オフィスではどのような動きを
別の拠点がまず無事で、かつ社員が安全かどうかを第一に考え、動ける者で開発の24時間シフト体制を組みました。私はまだ何もできない状態でしたので、見守っていただけです。Yahoo!ニュース編集部の方たちが普段とは違う情報の届け方をする場合があり、そこで何が起きても技術的な対応をとれるように体制が組まれていましたね。

2016年4月14日、16日に熊本県で震度7を観測。Yahoo!ニュース関連部署は、東京や北九州など全国のオフィス間で連絡を密に取り、円滑な情報伝達に努めた(写真:つのだよしお/アフロ)

北九州とともに成長を

――2017年以降、ヤフーでの展望は
Yahoo!ニュースのシステムの全体像がようやく理解できたところなので、これからいよいよ力にならないといけない。何か障害が起きても見守っていることが多かったものですから、自分の役割や成長はこれからだなと。

――北九州オフィスの使命でもあるBCP業務については
これも同じで、希望しての北九州勤務なので、いずれは自分が中心になって運営できないといけません。本当に何かことが起きた時に、戦力にならないでは意味がありませんからね。そこは自分に課せられたミッションだと思っています。

――最後に福岡出身者から見た、北九州という街はどのように映っていますか
交通インフラは整っていますし、食べ物もおいしい。九州にゆかりがあるなしに関わらず、まずは来ていただいて、街の良さを知ってもらいたいですね。人の良さも心地よい。ただ一方で、私たちのオフィスが北九州にあることを地元の人にあまり知られていないようで、オフィス内では知名度を上げるチームが立ち上がっています。そういう意味でも、北九州オフィスとともに自分が成長できればと。地方の良さを感じながら、東京と同じ仕事ができるのは、本当にいい環境だと声を大にして言いたいですね。

夕暮れ時の北九州。「九州の玄関口」として栄えてきた(写真/アフロ)

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