本間誠也

「沖縄の米軍基地を本土に」―― 引き取り運動への賛否

6/28(木) 9:53 配信

「沖縄の米軍基地を本土に引き取ろう」。そんな運動が全国各地で始まっている。面積で計算すると、国土のわずか0.6%の島々に在日米軍専用施設の70%がひしめく沖縄。「本土も平等に負担すべきだ」「現状は沖縄に対する差別」という沖縄の訴えに、「引き取る」運動は応えることができるのか。沖縄の人たちにどう映っているのか。そもそもこの運動は何を投げ掛けているのか。(フリー記者・本間誠也/Yahoo!ニュース 特集編集部)

「公平ですか? 平等ですか?」

6月初旬の水曜日、那覇市中心部の沖縄県庁前広場。

岸本セツ子さん(79)はこの日も朝9時前から「辺野古新基地NO」「違法工事中止」のプラカードを掲げ、ここに立った。道行く人や辺野古に向かうバスの乗客らにビラを配る。すぐ横には友人の知念栄子さん(74)。辺野古の基地反対運動で知り合ったという2人にとって、朝の行動は日曜を除く日課だという。

那覇市中心街に立つ岸本セツ子さん(左)と知念栄子さん。朝の日課だ(撮影:本間誠也)

ビラには「これが公平ですか? 平等ですか?」の大きな文字。

防衛省の資料などによると、在日米軍専用施設の面積比を都道府県別で見ると、2018年1月現在、沖縄県は70.3%で圧倒的に多い。以下、三沢基地のある青森県の9.0%、厚木基地などを持つ神奈川県の5.6%、横田基地のある東京都の5.0%などと続く。一方で「0%」は全国で34府県に上る。

ビラにもそうした数字が並んでいる。これまでに配布したのは6万枚以上。岸本さんは「年金で作ったビラですから捨てないで、と言うと、みなさん笑って受け取ってくれます」と話す。

岸本さん手作りのボード。数字は2016年1月現在のもの(撮影:本間誠也)

1995年の女児暴行事件や2008年の女子中学生暴行事件、16年にうるま市で起きた20歳女性殺害事件――。そうした事件の数々を、岸本さんは忘れない。幼かった頃の「怖い米兵」の記憶もあり、米軍絡みの出来事には悔しい思いを抱いてきたという。

そんな岸本さんも実は、「米軍基地の7割が沖縄にある」という実態を最近まで詳しく知らなかった。きっかけは2015年5月、米軍普天間飛行場の辺野古移転に反対する県民大会。それに参加した岸本さんは「基地は県外へ!」という資料をもらった。

「初めて知ったんです。沖縄が7割以上で、本土の各県にはほんのわずかしかない、って。だから、全国の多くの人に知ってほしいと思いましたし、こんな不公平、沖縄差別が許されていいのか、と」

沖縄上空を飛ぶ米海兵隊の輸送機・オスプレイ(角田展章/アフロ)

太平洋戦争の際、日本軍は本土防衛のため沖縄で地上戦を展開し、県民の4分の1に当たる9万4000人が犠牲になった。戦後、本土は1952年にいち早く主権を回復したが、沖縄は27年間も米軍統治下に置かれた。そうした記憶は80歳間近の岸本さんらに刻み込まれている。

岸本さんは言う。

「沖縄はいつまで犠牲になるんですか。戦後もずいぶん、基地でつらい目に遭ってきました。沖縄が負担してきた分を本土の人たちは引き取ってほしい。どうしてできないんでしょうか?」

沖縄戦の犠牲者の名前を刻んだ「平和の礎(いしじ)」。日本側だけでなく、米兵の名前も刻まれている(撮影:笹島康仁)

「知らんふりの暴力」という考え

沖縄の言葉でライターを意味する「むぬかちゃー」の知念ウシさん(51)は、那覇市首里のホテルのラウンジに琉装で現れた。沖縄の基地問題に対する本土側の姿勢を「シランフーナー(知らんふり)の暴力」と評し、同名の著書などで早くから「本土による基地の引き取り」を訴えている。

発表する文章や著作のイメージとは異なり、知念さんの表情や語り口は柔らかだった。

知念ウシさん(撮影:本間誠也)

「世論調査では米軍駐留を伴う日米安保には8割の有権者が賛成しています。それならば、本土こそが米軍基地を引き取るべきだと思います」

内閣府の「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」(今年1月)によると、日米安保条約が「役立っている」「どちらかといえば役立っている」は計77.5%に達した。年代別にも大きな差はない。

知念さんは続ける。

「沖縄にある米軍基地は、本土の普通のいい人たちが無意識のうちに、沖縄に押し付けているのだと思います。安保には反対しないけれども、自分が暮らす近くに基地があるのはイヤだ、そんなものは遠い沖縄に置いておけばいい、沖縄の反対運動のことは何となく知っているけど、自分にはあまり関係ない、と」

「自分たちが支持する政策の責任は自分たちで取ってほしい。これ以上、沖縄に押し付けるのはやめて、本土の人は基地を本土に引き取って頑張ってほしい。当事者にならないと、日米地位協定や安保の問題点にも気付かないと思います」

辺野古新基地に反対する沖縄の県民大会。会場の野球場には3万5000人が集まった(小早川渉/アフロ)

米軍基地、かつては「本土9、沖縄1」

1950年代前半、米軍専用施設の面積は「本土9、沖縄1」の割合だった。その後、本土での反対運動の高まりなどにより、本土の基地は縮小。逆に、沖縄では本土からの移転などで増加し、60年代には1対1になった。

50年代後半以降、岐阜と山梨両県の海兵隊基地に加え、関東近郊の米軍施設も住民の反対運動で姿を消し、米軍統治下の沖縄に向かった。その際、「沖縄に持っていくな」という目立った反対運動は本土で起きていない。

日本本土と沖縄の米軍専用施設の面積推移。1972年まで沖縄は米軍施政下

本土から来る基地反対運動の人たちに向かって、知念さんは「沖縄の基地を持ち帰ってくれませんか」と聞いたことがあるという。

「返ってきた言葉は『平和を愛する心優しい沖縄の人はそんなことを言っちゃいけない』でした。沖縄から運動の高揚感は持ち帰るけど、『基地を本土に引き取って、そこでなくす活動をする』と言った人はほとんどいませんでした」

2012年2月には、在沖縄海兵隊の一部、約1500人を岩国基地へ移転させてもよい、と米側が打診してきたことがある。ところが、岩国側の強い反発を受け、当時の民主党政権は即座に拒否。玄葉光一郎外相(当時)は「お願いするつもりはないので安心してほしい」と山口県知事や岩国市長らに回答した。

「私たちも『安心してほしい』という言葉を聞きたい」と知念さんは言う。

「普天間基地の固定化も、辺野古新基地建設も、オスプレイも、『すべてやめますから安心して』と言ってほしい。でも、選挙で(辺野古の新基地反対や米軍基地の縮小という)民意を何度示しても、沖縄だけは別なんですね」

米軍普天間基地とオスプレイ=2017年9月(撮影:笹島康仁)

大阪で誕生「引き取る」運動

「米軍基地の県外移設=本土での引き取り」については、大田昌秀知事(1990年から2期、故人)が強く訴えた。現在の翁長雄志知事も同様だ。

これに呼応する「基地を引き取る運動」は2015年3月、大阪府で初めて旗揚げされた。その後、昨年末までに福岡、新潟、長崎、東京の各都県に誕生。今年に入って山形、滋賀、兵庫、大分、神奈川の各県が加わり、合計10都府県・10団体に拡大している。

皮切りの大阪は「沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動(引き取る行動・大阪)」という名称で、福祉施設に勤務する松本亜季さん(35)が中心となって設立した。

松本亜季さん(撮影:本間誠也)

それまでのおよそ10年間、松本さんは大阪で「普天間基地の無条件撤去」「辺野古計画の白紙撤回」を求めて活動していた。彼女にも「本土が基地を持ち帰って」という声は届いていたが、「沖縄に要らない基地は、どこにも要らない。本土への引き取りは基地の存在を認めることになる」と思い、納得できなかったという。

それが「引き取り」に傾いていく。

2009年当時、鳩山由紀夫首相が「(普天間基地の移設先は)最低でも県外」と約束しても、現状は動かなかった。森本敏防衛相(当時)が「地政学的、軍事的に言うと、普天間基地の移設先が沖縄でなければならない理由はない」と明言しても、受け入れ先は現れない。一方には、安保賛成が国民の8割という現実がある。

この状況下では、安保反対・基地反対の運動は逆に、沖縄の現状を固定化させるだけではないか――。

そんな考えに松本さんは至ったという。

「私個人が日米安保や米軍基地に反対しても『沖縄に差別的な状況を強いている本土の一員』であることに変わりありません。安保賛成派と同じように、安保の恩恵を受けている。それなら、基地を引き取る立場にあるんだと気付かされました」

「引き取る行動・大阪」のパンフレットなど(撮影:本間誠也)

活動を始めて3年余り。メンバー約20人の「大阪」は街頭啓発などの際、「基地を引き取るなんて……」「こんなん、あかん」と言われることはしばしばだ。同時に「沖縄に押し付けてばかりではいけない」「大阪も他人事ではない」と声を掛けられることもあるという。

引き取る会・東京 「私たちは“加害者”」

「沖縄の基地を引き取る会・東京」は昨年2月の発足だ。全国で5番目。事務局長の飯島信さん(70)は「立ち上げの際は勇気というか、覚悟のようなものが必要でした」と振り返る。

「引き取るということは米軍基地を認めるのか」という安保反対派からの声に加え、「騒音被害や治安の悪化が確実なのに誰が賛成するのか」といった批判も予想できた。

「引き取る会・東京」の飯島信さん。東京・新橋で訴える(撮影:本間誠也)

「でも」と飯島さんは言う。

「本土の私たちは沖縄に基地を押し付ける一方、長年、見て見ぬふりをしてきたんです。いや応なく、『加害者』なんです。沖縄から基地を引き取る責任があると思います」

「東京」の中心メンバーは約20人。多くは市民運動に初めて参加したサラリーマンやOLたちだという。安保容認派も少なくない。街頭啓発や勉強会、シンポジウム開催などのほか、会報などを約150人に送付している。

発足メンバーの1人で広告会社勤務の女性(45)には、忘れられないシーンがある。2016年6月の沖縄県民大会。元米海兵隊員の軍属による女性殺害事件に抗議する集会だった。その場で沖縄の女子大学生が「日本本土にお住みのみなさん、今回の事件の第二の加害者はあなたたちです」と訴えたのだ。

この女性メンバーは「指摘されたように私たちも加害者の1人」と感じている。

「引き取る会・東京」の街頭啓発=今年4月(撮影:本間誠也)

「本土は“加害者”か?」 異論、反論も

「引き取り運動」については反論や異論も多い。それは沖縄の側にもある。

元名護市長(2006年から1期)で翁長知事に反対する島袋吉和さん(71)は「沖縄には日本の重要課題である安全保障を担ってきた、沖縄が東アジアを守ってきた、という自負があります」と話した。現在は、北部地域振興協議会の会長で、沖縄防衛協会北部支部の支部長も務める。

「全国で0.6%の県土に米軍専用施設が70%以上、とマスコミは言います。でも、自衛隊の大規模基地を抱える本土の県だってある。大変だ、大変だと言って『引き取れ』という議論になるのは残念です。沖縄の基地は、要となって東アジアを守っているし、抑止力になって日本国民は助かっているんです」

沖縄の民意は単純ではない、とも言う。

「単に米軍基地の賛否を問うたら、沖縄でも反対が多いでしょう。しかし、普天間基地の移設先である辺野古では、(私の感触では)7割が賛成です。名護を中心とする県北部にとって、移設に伴う振興策や再編交付金は大きい。県の予算配分は人口割で、県北部は全体でも1割の人口しかない。仮に国の振興策事業がなかったら、北部の過疎化は今以上に進んでいたと思います」

元名護市長の島袋吉和さん。北部地域振興協議会の事務所で(撮影:本間誠也)

「反対派は『振興策でハコモノだけ造って』とも言いますが、振興策のおかげでハコモノもソフト事業もやってこれた。名護も市長が代わって今年から再編交付金が入ってきます。使い勝手の良い財源ですから大きいですよ。さまざまな施策が打ち出されるでしょう」

沖縄国際大学教授の前泊博盛さん(57)にはキャンパスの研究室で会った。

キャンパスの眼の前が普天間基地。この大学は米軍機の事故現場としても知られる。2004年夏、敷地内にヘリが墜落し、炎上。いま、事故現場跡の碑やすぐ近くのマンションを見ていると、一般人にけが人が出なかったことが奇跡に思える。

沖縄国際大学の米軍ヘリ墜落現場で、機体回収を行う米兵たち。日本の警察は現場検証もできなかった(読売新聞/アフロ)

基地を見下ろす研究室で、前泊さんはこう語った。

「名護の中心部がシャッター商店街なのはなぜか。北部振興事業が地元を潤す事業ではないからです。投下資本の半分は本土のゼネコンにUターン。幾重にもさやが抜かれ、地元には下請け的な仕事しか来ません。しかも、こうした事業は国の補助率が100%ではないので、自治体の借金は増えていくんです」

沖縄経済に基地が恩恵をもたらしたのは遠い昔であり、今は返還されたほうがずっと潤う。実際、空前の沖縄観光ブームを背景に沖縄では観光関連やショッピングモールなどの開発案件が引きも切らず、広大な米軍基地は地域経済の発展を阻害している――。

前泊さんは常々、そう主張しているが、「引き取り運動」には懐疑的だ。

沖縄国際大学の前泊博盛教授(撮影:本間誠也)

「実態としてどれほどの支持を得ているのか。どこまで腹を決めて活動しているのか」

沖縄では復帰後46年間で米兵らが関係した犯罪は約6千件に達し、このうち1割弱は殺人や強姦などの凶悪犯罪だったという。航空機の墜落事故や爆音・騒音被害もある。

「米軍基地がもたらす痛みを知らないからこそ、『本土が引き取る』と言っているのではないでしょうか」

「軍隊を本土に持って行け」とは言えない

沖縄平和運動センター議長の山城博治さん(65)は、沖縄の平和運動、反基地活動を長くけん引してきた。その名を知らぬ県民はいないだろう。座り込み闘争が続く辺野古のキャンプ・シュワブ。そのゲート近くで会うと、肌は日に焼け、声はかれていた。

「辺野古新基地反対」の拠点でマイクを握る山城博治さん(撮影:本間誠也)

「『安保が大事というなら応分の負担もあるべき』と訴えたのは元知事の大田さんですから、気持ちや理念は分からんでもない。でも、賛成はできません。私たちは軍隊反対、戦争反対の立場ですから、『軍隊を本土に持って行け』とは言えない。ここで連帯して基地を阻止する運動であってほしい。安保をなくせ、基地をなくせという声を上げ続けてほしい。私はただひたすら、現場に座り込んで、基地建設を阻みたい。基地をどこかに持って行かせるという議論ではないはずです」

「引き取る会・東京」のアドバイザー、東京大学大学院教授の高橋哲哉さん(62)には、『沖縄の米軍基地「県外移設」を考える』の著書がある。

「鳩山政権は普天間基地について『最低でも県外』と打ち出したのに、拙速さもあって引っ込めざるを得ませんでした。しかし、何よりも足りなかったのは、なぜ沖縄に過度に集中したのか、本土がなぜ引き受けるべきなのか、今の状況は公平で平等といえるのか、という国民への訴えでした」

東京大学大学院教授の高橋哲哉さん(撮影:本間誠也)

本土引き取りについて、高橋さんは「不可能」とは思っていない。実際、鳩山政権ばかりでなく、沖縄国際大学で起きた米軍事故の後には、当時の小泉純一郎政権も沖縄の負担軽減のための本土負担を検討している。

そうした際、最大のネックは本土の移転候補先の抵抗だった。安倍首相も今年2月の国会答弁で、沖縄の負担軽減が進まない理由として「本土の理解が得られない」ことを挙げている。

高橋さんは言う。

「まず、やらなければならないのは具体的な候補先探しではなく、『安保を維持するなら、基地の負担は本土の責任』という意識を広く共有することです。候補地について問われることが多いけれど、引き取りへの理解を浸透させる。それが重要だと思っています」

知らんふりはもうできない。各地の「引き取る会」はそう訴える(撮影:本間誠也)


本間誠也(ほんま・せいや)
北海道新聞記者を経てフリー記者。

[取材]本間誠也
[写真]撮影:本間誠也、笹島康仁 提供:アフロ


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