建設現場などで働く人たちの「アスベスト(石綿)」被害は、訴訟を通じて少しずつ救済の道ができつつある。ところが、救済されるのは建設関係企業などで働く「正社員」ばかり。大工や左官などに代表される「一人親方」は敗訴を続け、救済の枠外にある。“非正規”の立場であっても仕事に誇りを持ち、現場を支えてきたのに……。肺がんなどに苦しむ被害者やその家族たちは、とても納得できていない。(井部正之/Yahoo!ニュース 特集編集部)
大工や板金工、内装工……被害はあらゆる職種に
2017年12月8日の夜。さいたま市・JR浦和駅近くの埼玉会館のホールに、270人ほどが集まってきた。夜に入って気温は3度まで下がり、冷たい雨も降り始めた。参加者の大半は年配者で、壇上には、建設のアスベスト被害者や遺族16人。その人たちは次々と訴えた。
「大工の夫を中皮腫で亡くして4年半。ただただ寂しいです」
「夫はダクト工事をしていて昨年中皮腫で亡くなりました」
「平成9年に石綿肺(アスベストによるじん肺)にかかった。まだ生きてます」
大工、保温工、板金工、内装工、家具取り付け、電気工、ダクト工……。職種の多さに被害の広がりが見える。
アスベストは耐熱性や絶縁性に優れた繊維状の鉱物で、高度経済成長期に使用が急増した。総計約1000万トンが輸入され、その7~8割は建築材料として使われたという。一方で発がん性を持ち、2012年3月の労働安全衛生法施行令改正で使用・製造などが全面禁止になった。国の労災認定を受ける人も毎年約1000人いる。そのうち建設業従事者は半数以上を占め、「最大の被害者」と言われる。
「夢にも思わなかった」
壇上の16人は、アスベストによる健康被害に遭ったとして、国や建材メーカー43社の責任を問う訴訟の原告たちだった。埼玉県川越市に住む大坂春子さん(74)もその1人だ。
「夫は大工として50年以上働いてきました。でも、アスベストの病気になるなんて夢にも思わなくて……」
夫の金雄さんが患ったのは胸膜(肺などを包む膜)中皮腫で、異変に気づいたのは2002年9月だった。春子さんが振り返る。
「夫は毎朝、犬を散歩に連れて行ってたんですよ。その日も朝早く散歩に行って、帰ってきたら、『いつもと同じ距離しか歩いてないのに異常に疲れた』って……。玄関にぺたりと座り込んだのね」
金雄さんは、どこが痛い、ここが痛いと口にする人ではなく、すぐ病院に行かせた。X線写真を撮ったところ、左の肺が真っ白で何も写らない。即入院し、肺にたまった水を抜いた。抜いた水は赤っぽく、バケツのような容器に20センチほどもたまった。原因が分からず、医師も不思議がったという。
金雄さんは背中の痛みなどを抱えつつも、1週間ほどでいったん退院した。その後、病院を転々。それでも病名や原因は分からない。4カ月後、東京都港区の芝診療所で、ようやく診断が出た。アスベストを吸ったことによる胸膜中皮腫で、もう治療はできない状態だったという。
「その時、はっきりね、『この先、6カ月持つかな』って先生に言われて。えーって驚いちゃって……」
「なんでこんな病気に?」
金雄さんの体重は60キロから40キロにまで激減した。痛みも止まらない。再度の入院中、金雄さんは痛みを抑えるモルヒネの使用を嫌がり、脂汗をかきながらぎりぎりまで我慢していた。春子さんは痛がる背中をさすってあげることしかできない。
一度、帰宅が許された。久しぶりのわが家で金雄さんは風呂に入る。そこで金雄さんは「なんでこんなになったんだ、なんでこんな病気になったんだ」と男泣きしたという。
秋田県生まれの金雄さんは中学校卒業後、大工に弟子入りした。当時は「大工の弟子は5年間」という習慣があり、さらに1年間の奉公もした。その間は小遣いをもらう程度で、「給料」はない。それを終えると、師匠から「明日からは来ても来なくてもいい」と言われ、一人前と認められる。そういう世界だった。
独り立ちした金雄さんは、夜行列車で東京へ行く。1958年、21歳。東京タワーが完成した年と重なる。同じ秋田県出身の春子さんは中卒で「集団就職」し、静岡県の紡績工場に勤めていた。お見合いで互いを気に入り、その8日後に結婚式を挙げる。春子さんは「即席ラーメンとか、インスタント食品がはやり始めた時代だった。だから『俺たちも即席婚だな』『時代の先端だね』って」と振り返る。
金雄さんは腕も良く、バブル景気崩壊後の不況でも仕事に困らなかったという。「施主さんが喜んでくれる。最高の幸せだ」が口ぐせ。そうして50年以上、家を建て続けた。その金雄さんが、現場で吸ったアスベストによる中皮腫で倒れたのである。
医師から、金雄さんは最後には寝たきりになり、誰が来たかも分からなくなる、と説明されていた。でも、そうはならなかった。最後まで点滴を持って自分で歩いてトイレに行く。医師も「化け物だな」と言ったという。
2003年5月22日、金雄さんと春子さんは病室にいた。独身だった長男の結婚相手について、「あの看護師がいいね」などと春子さんに話している最中、急に黙り込んだと思ったら、やがて息を引き取った。65歳だった。
「大工だから自分の家は自分で造りたい」という願いは叶わなかった。そしてこの時、春子さんは息子も同じ事態に陥るとは考えてもいなかった。
家族3人で建設現場に
アスベスト被害が日本で大きな問題になったのは、2005年である。金雄さんが他界して2年ほど後のことだ。
兵庫県尼崎市にある機械メーカー・クボタの工場周辺で、住民の中皮腫が次々と見つかった。翌2006年には大阪・泉南地域の石綿紡織工場における健康被害を巡り、国の責任を問う国家賠償訴訟も始まった。訴訟の動きはその後、全国に広がり、春子さんも加わる。
実は、春子さん一家は、家族ぐるみで現場仕事に関わっていた。
春子さん自身は、3人の子どもの一番下を幼稚園に入れた頃から30年近く、金雄さんの「手伝い」として現場に出ている。電動工具を使った建材の切断や穴開け。15~20キロもある壁材の下階からの押し上げ。屋根上の高所作業。できることは何でも手伝ったという。
長男の誠さんも父に憧れ、高校を中退して大工になった。やがて親子3人で一緒の現場に出るようになる。その息子にも異変が出た。2011年7月、健康診断の血液検査で異常が見つかったのだ。
「まさかアスベスト(の病気)なんて思わなかったけど、お父さんと同じく、『肩が痛い、腕が痛い、背中が痛い』と言い出して、不安になって……」
がんの早期発見のため、誠さんは特殊な検査薬でがん細胞に目印をつける「PET検査」を受けた。その結果は「異常なし」。ところが、背中の痛みはひどくなるばかりで、1年余りの後、「肺や心臓の裏側にがんがある」と指摘されてしまう。別の病院でさらに検査すると、金雄さんと同じ「胸膜中皮腫」と診断された。がんが心臓にへばりつき、手術もできない。
そして、これも金雄さんの時と同様、「余命6カ月」と宣告された。
「悪いことは続くわけよね……」
抗がん剤治療を始めた誠さんは、嘔吐など激しい副作用に直面する。食事もろくにできなくなり、その治療も打ち切った。
2014年3月6日だった。春子さんが病院に行くと、いつもは「毎日なんて来なくていいよ」と言う誠さんが「お母さん、今日は帰らないでね」と言う。午後、吐血。泣きながら「お母さん、俺まだ死にたくない。まだまだ死にたくない。いっぱいやりたいことある」と繰り返す。
春子さんが「誠、誠」と呼びながら手を握り続ける。誠さんはひきつけを起こしながらも手を握り返していたが、だんだんその力は弱まり、3時間ほどで亡くなった。46歳。「俺、死にたくない、っていうのが最後の言葉でした。いつもなら『何言ってんの、頑張ろうね』と返せたはずなの。でも、言えなかった……」
切り捨てられる「一人親方」
国や建材メーカー43社がアスベストをきちんと規制せず、対策を講じなかったことが健康被害の原因──。そう主張する集団訴訟の原告団に春子さんは加わっている。国や建材メーカーは、責任を認めて賠償すると共に、基金制度を創設して訴訟に参加していない建設のアスベスト被害者についても補償・救済せよ、という訴えだ。同様の訴訟は全国14カ所で進行しており、原告を全て足すと822人というマンモス訴訟である。
14裁判のうち、既に8裁判で判決が出ており、2017年10月の東京高裁を含め、国相手には原告が7連勝中だ。建材メーカーに対しても、その高裁判決を含む3判決で一部勝訴した。それらの判決はおおむね、1971~1980年には国や建材メーカーはアスベストを吸うことで中皮腫などを発症する危険性を認識していたと認定し、きちんとした規制をしなかったり、製品の危険性を知らせなかったりした、と指摘している。
こうした中、春子さんら「一人親方」の被害者や遺族は敗訴を続けている。なぜなのか。
一連の判決は、関連法の保護対象は労働安全衛生法の定める「労働者」とし、一人親方や零細事業主をその対象外としているからだ。一人親方は現場で重要な役割を負っているのに、法的には「個人事業主」。そのため、「労働者」ではなく「事業主」とされ、法による救済の対象にならない、という理屈だ。
春子さんはそうした判決に納得できない。
「一人親方や零細事業主であっても、現場で働く労働者に変わりはないでしょう? 同じ現場で同じように働いている。どこが違うのかしら、と思っちゃう」
首都圏建設アスベスト東京訴訟で弁護団の副団長を務める鈴木剛弁護士は、管理職であっても権限のない「名ばかり管理職」にそっくりだ、と指摘する。企業側は「雇用」によって生じる労災保険などのコストを負担したくないため、大工などは「一人親方にさせられてきた側面がある」というわけだ。
「一人親方といっても、以前にいた工務店(会社)の仕事しかしてない人が多いんです。社員という立場を外され、独立させられて仕事している。雇っている側からすれば(一人親方にしてしまえば)社会保険はいらない。何かあっても責任を取らなくていい。非常に都合がいい。今だと大工は数年で一人親方にさせられて、放り出されます」
国や建材メーカーは一連の訴訟で「労働者に当たらない一人親方等が危険を回避することができず、不利益を被ったとしても、石綿関連疾患の発症は本人の責任である」などと反論している。多くの判決もその主張を認めてきた。
最近は、一人親方について、実質的には労働者と変わりがないと認める判決もわずかに出てはいる。ただ、その基準はあいまいだという。「神奈川訴訟」弁護団の田井勝弁護士は「日給・月給だったか、請負契約だったか……。裁判所はそういう細かいところで、一人親方を救済するかどうかをみている。実質、裁判所のさじ加減次第です」と話す。
「一人親方」が雇用の調整弁にも
親子3人で仕事をしてきた春子さん一家の誰も、アスベストの危険性を聞いたことがなかった。それは、一人親方や零細事業主だった他の原告たちも同じである。
東京都武蔵村山市の吉田重男さん(69)は、一緒に左官・タイル工として働いた兄2人を石綿肺がん、石綿肺で亡くし、自分もアスベストによる胸の病気「びまん性胸膜肥厚(きょうまくひこう)」を発症した。
「ビル建設に50年以上携わってきたことに誇りを持っています。しかし、現役の時、国や製造会社はもちろん、ゼネコンの監督からも『アスベストが病気の原因になる』という説明は一切受けておりません」
神奈川県大磯町の望月道子さん(67)は、シングルマザーとして娘を育て上げるため、約30年建設現場の清掃に携わってきた。やはり、アスベストが原因の肺がんを発症している。
「ハウスメーカーさんが協力業者を対象に開く『安全大会』っていうのがあって、何度も行きました。転落事故の対策なんかの話はありましたけど、アスベストの『ア』の字も聞いたことなかったです」
一般住宅でも学校でも公共施設でもトンネルでも、至るところにアスベストはあった。その危険性を国や建材メーカーがきちんと知らせず、必要な対策を講じなかったことは、一連の裁判で裏付けられた。しかし、亡くなった人は戻らない、だからせめて補償を、と多くの被害者や遺族は訴えている。
「苦しんで苦しんで、もがいてもがいて……」
夫と長男を亡くした春子さんは言う。
「アスベスト(による中皮腫)はね、本当に苦しんで苦しんで、もがいてもがいて亡くなっていくの。国が責任を認めて(建設被害者の補償・救済の)基金制度を作ってくれたらいいけど、控訴(や上告)したからその気はないんでしょう? 国(厚生労働省)にも交渉で行ったけど、私たちの言うことをこれっぽっちも聞き入れないよ」
実は、現場で手伝っていた春子さんの肺にも、アスベストを吸い込むことでできる「胸膜プラーク(胸膜肥厚斑)」が見つかっている。それ自体は病気ではなく、自覚症状もない。だが、それなりの量のアスベストを吸った証拠でもあり、普通の人より中皮腫などの発症リスクは高い。
「私もいつ発症するかわかりません。明日どうなるかと思うと、不安で不安で。2人の尋常じゃない苦しみを見てきたから、私じゃ耐えられないと思う。だから、いつも仏様に向かって言うのは『私が元気なうちに、お兄ちゃんもお父さんも迎えにきて』ってこと。(訴訟の時に)裁判長の前でもはっきり言いました。(中皮腫などを)発症して、苦しんで亡くなるのは嫌だって」
井部正之(いべ・まさゆき)
ジャーナリスト。1972年生まれ。米国ミシガン州の地方紙カメラマン、業界誌記者を経てフリーに。「アジアプレス」所属。
[取材]井部正之
[写真]撮影:井部正之、提供:EFAラボラトリーズ、落合伸行さん