「20年続いた民主党・民進党が新しい形で生まれ変わった」――。枝野幸男元官房長官(53)を代表とする新党「立憲民主党」が結成された。衆議院選挙に向け、民進党が事実上「分裂」する中で、希望の党への合流をしないという決断をした枝野氏。決断の背景には何があったのか。2日深夜、衆議院議員会館で単独インタビューに応じた。
(ノンフィクションライター・中原一歩/Yahoo!ニュース 特集編集部)
衆議院の解散から4日、もぬけの殻となった深夜の衆議院議員会館。10月2日、枝野幸男氏は都内のホテルで記者会見を開き、「新党」の立ち上げを宣言。民主主義と立憲主義がおろそかになっていることが、いまの政治の混迷の原因とし、党名を「立憲民主党」とした。壇上に上がったのは枝野氏ひとり。会見でも「構成員は現在、私一人。これから呼びかけていく」と強調した。
枝野氏が新党を立ち上げるべきだという方向で最終的に腹を固めたのは、会見当日(10月2日)の朝。希望の党への合流ではなく新党しかないと考え始めたのは、その前日(10月1日)の夕方以降だという。この1日の夕方、枝野氏は「希望の党」への合流を決断した前原誠司・民進党代表と都内で面会している。わずか1カ月前に民進党の代表選を共に戦い、民主党発足から20年、一時は政権をとった野党第1党を牽引し続けてきた2人。会見では前原氏と袂を分かった理由について「認識の違いがあった」と繰り返した。
希望の党への合流は難しいと思っていた
――いつ、自分が新党を設立しようと考えたのか?
ほぼ考えが固まったのは日曜日(10月1日)の夕方です。ただ、その前からいくつか可能性があると考えていた。そういう段階から、私が、みんなに声をかけてやっていくんだろうなという話は、長妻(昭)さんとか何人かの方と話していました。自分が代表になろうと思ったというよりも、党を誰かが立ち上げないといけない。とすれば自分の役目だよな、と。この事態になんとか対応する責任、役割を私が負っているんだろうなというふうに考えた。
――前原代表との「認識の違い」とは具体的には何を指すのか?
個別のこれということではなくて、全体なんですよ。
――枝野さんも希望の党に合流すると考えていたか。
民進党の理念・政策が希望の党の理念・政策と100%一致すれば、それは同じ党ということですから、それは難しいだろうと。だから概ね一致すれば、ありえると。また、両院議員総会に出席した民進党の議員全員が(希望の党の)希望通りの公認を受けられるとは、私は思っていませんでした。しかし、そこは「まあ、なるほどな」という合理的な例外(候補者の非公認)があり得るとは思っていました。
――とはいえ、希望の党に民進党が合流するのはそもそも無理があったのではないか?
その後の展開を知っているから、そういうふうに思われるだけ。私は正直言って難しいよね、と思っていましたので、両院議員総会の前日に前原さんからこういうことで進んでいるので了解してほしいと言われた時も、「にわかには賛成できない」と申し上げましたし、正直難しいと思っていました。
――にもかかわらず、なぜ両院議員総会で前原代表に一任してしまったのか?
そこまで党代表である前原さんが、両院議員総会でおっしゃった以上は、概ねどちら(希望の党の公認と理念政策の概ねの一致)も確保されると。選んだばかりのリーダーですからね。全員の公認を得るのは難しい、という認識を持っていた方は少なからずいらっしゃると思います。しかし、それなりのプロセスを経た上で、代表が自信を持っておっしゃる以上、これは託すほかなかった。
全員がそういう認識をされて、党内で承認したんだから。それは代表の言う通りに実現されるだろうと、期待をして待つのが組織人としてのあり方だという認識でした。
希望の党の「政策協定書」が背中を押した
枝野氏が会見でも繰り返したのは「仲間」という言葉だった。この単独インタビューの時点では、希望の党の公認リストは発表されておらず、民進党から合流を希望する「仲間」の誰が公認され、誰が公認されないかわからない状況だった。そんな中、希望の党が公認候補予定者に示したとされる「政策協定書」の存在が明らかになった。「現在の安全保障法制については適切に運用」「憲法改正を支持」「外国人に対する地方参政権の付与に反対すること」など保守性の強い文言が並ぶ。
――この希望の党の「政策協定書」の存在をいつ知ったか?
昨日(10月1日)の夕方です。え、こんなの出回ってたの、と。
――実際のその中身を見た感想は?
その段階では(希望の党とは異なる)新党で行くしかないなと、ほぼ固めていたので、それ(政策協定書)が新党旗揚げの背中を押したのは間違いないです。ただ、それだけじゃない。もっと大きな意味での理念、政策が我々とはかなり違うな、ということの裏付けではあるよねと。
――新党立ち上げで、理念、政策が一致する集団が誕生した。わかりやすくなったのでは。
記者会見をして正式に決めたということで、精神的には非常に楽になっているという側面はありますけれども、民進党が事実上、解党したことについては、プラスマイナス。民進党に問題があったとすれば、理念・政策の幅が大きすぎたことではない。
――民進党という野党第1党が、希望の党にのまれてしまった。
のまれたというのは、評価の問題で、私は残念ながら20年続いた民主党・民進党が違う形で(立憲民主党として)生まれ変わったと。今回のことはそういう側面もあると思っています。
――大義はこちらにある、と。
あちら(希望の党)も大義はあると思ってらっしゃるから、そういう行動をされているんだと思います。もちろん20年積み重ねてきたものを新しい政党として新たに歴史を刻んでいく部分と、そういった蓄積をしっかり引き継いで活かしていく部分と両面があります。後者の面で、十分に活かしていくと。逆に言うと、それがあるからこそ、過去の蓄積とは違うものに加わることはできないと。
連合からの支援は変わらない
――会見で「連合の支持をとりつけた」という発言があった。
少なくとも民進党にいた人間が、立憲民主党の構成員になると。選挙をたたかうと。従来(民進党の)推薦が決まっている人については、従来通り(連合は、立憲民主党の候補者を)応援しますということですし、両院議員総会のプロセスが始まって以降、新しい党になろうが無所属であろうが、その(連合の)姿勢は変わってらっしゃらないんじゃないかな。
――原発問題に対して、立憲民主党としてはどういう考えか。
一日も早い原発ゼロを目指して、明確な工程表を作る。
――期限は?
期限を言うことは無責任。現にいまわれわれは野党なんですから、与党でなければ工程表に示したプロセスの大部分は踏めない。民主党政権の時代は与党でした。野党が年限を立てるのは無責任だと思います。
枝野幸男が目指すリーダー像
――会見では、トップダウンではなくボトムアップ型の社会、リーダーシップを目指すと話していたが、具体的には?
上から高圧的にコンセンサスをとっていくのではなく、下からコンセンサスを積み重ねていく。これがこれからの民主主義のあり方ではないかと考えています。経済も、強いものをもうけさせてそこからトリクルダウンをさせるのではなくて、一人ひとりが豊かになっていく。それが結果的に経済成長につながっていく。
――上から高圧的に、とは小池さんを意識しているのか?
いや、ぼくが意識しているのは安倍さんです。
中原一歩(なかはら・いっぽ)
1977年生まれ。ノンフィクションライター。「食と政治」をテーマに、雑誌や週刊誌をはじめ、テレビやラジオの構成作家としても活動している。著書に『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』など。最新刊『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』
[写真]
撮影:岡本裕志
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝