腎臓が人間の健康を大きく左右する――医療の現場ではそれが新たな常識になりつつある。その役割は、尿をつくるだけにあらず。腎臓こそが臓器同士をつなぐ“人体の要”であり、わたしたちの寿命に直結していることがわかってきたという。医療現場からの最新情報をレポートするとともに、「腎臓」を守る意味を探る。(取材・文=NHKスペシャル「人体」取材班/編集=Yahoo!ニュース 特集編集部)
医療現場で対応が進む「腎臓ケア」
イギリス南部、ウェスト・サセックス州にある「ワージング病院」。地方都市の病院が、“腎臓”に焦点をあてた先進的な医療で注目を浴びている。
感染症で入院中の、64歳の女性患者。順調に回復し、ベッドの上で身体を起こしてのんびりと過ごしている。そこへ突然、2人の看護師が駆けつけた。病院に導入された最新医療システムが、女性の腎臓に危機が迫っていることを警告したからだ。看護師は、女性に高血圧の持病があることを確認し、ただちに医師に相談。やってきた集中治療医のリチャード・ベン医師は、患者に意外な指示を出した。
「しばらくの間、高血圧の薬を、やめてもらいます」
「薬をやめること」が、腎臓を守るための医療の一環なのだという。ベン医師は言う。「高血圧の薬の中には、腎臓にダメージを与えるものがあります。ふだんなら飲んだほうが良い薬も、腎臓が弱っている今はやめなければなりません。まずは腎臓を回復させることが最優先。そうしないと、深刻な事態に陥る可能性があるのです」
高血圧の治療をいったんやめてまで回避したい、“深刻な事態”とは何か。それは、「急性腎障害(AKI)」だ。
「AKIになった場合、10~15%が死亡することもある非常に致死率の高い病気であることがわかってきました」と、京都大学大学院医学研究科の柳田素子教授は言う。AKIはいま、世界の医療現場で大きな問題となっているという。
腎臓を襲う、AKIの恐怖
聞き慣れない病名かもしれないが、AKIは決して珍しい病気ではない。2013年、アメリカ腎臓学会の調査チームの医師たちが、世界中で発表された154本の医学論文から300万人を超える患者のデータを抽出・分析したところ、入院患者全体のうち5人に1人がAKIを発症していたと発表した。AKIの発症率は、西ヨーロッパで20.1%、北米では24.5%、東アジアで14.7%。医療体制が整った病院という環境下にいるはずの入院患者が、これほどの確率でAKIを発症していたことに多くの医師が衝撃を受けたと、ベン医師は言う。「集中治療室(ICU)の患者に限ると、発症率が30%を超えるデータも複数ありました。これは医療現場にとって深刻な問題です」
入院患者の発症率が高いうえ、致死率も高いという実態。「これには私たちもとても驚きました」と、柳田教授は振り返る。人工透析技術の発達のおかげで、“腎臓が悪くなっただけで”死に至ることはほとんどなく、死因として書かれることも少ない。脳や心臓といった「生命に直接関わる」臓器と比べるとどうしても地味な印象で、腎臓病も一般にはあまり恐れられていない傾向がある。「AKIになると、それに伴って肺や心臓、あるいは脳といった重要な臓器に炎症が出たり、障害が起きたりすることがわかってきました。そのため、結果として多臓器不全を引き起こしてしまう。また、逆に、多臓器不全の結果としてAKIが起きることもあります。だから致死率が高いのだと考えられます」(柳田教授)
ヨーロッパ集中治療医学会の研究委員長を務める英サリー大学のルイ・フォルニ名誉教授は、これまで単に「多臓器不全」といわれて亡くなっていた患者の中に、AKIが関係している人が大勢いる可能性があると指摘する。「AKIは世界的な問題です。少し治療を変えるだけで助けられた可能性のある患者が、毎年大量に亡くなっています。その数は、ヨーロッパだけで毎年20万人にもなります」
自覚症状なき「死に至る病」
AKI自体には、ほとんど自覚症状がない。重症になれば「尿の量が減る」などの症状が見えてくるが、その段階では既に「多臓器不全が進行していることもある」(柳田教授)という
気づきにくい腎臓の異常をいち早く察知するため、英サリー大学のフォルニ名誉教授らのグループは、AKIの早期警告システムを開発した。血液検査や尿検査の結果はもちろん、患者の病歴や、心拍数、呼吸数などを集めたビッグデータを解析し、腎臓の状態をリアルタイムで判定する。冒頭に登場した英ワージング病院でも、試験的に導入されている。
「AKIの警告が出た場合の対策は、非常にシンプルです」と、同病院で治療にあたるベン医師は言う。
「まず、患者が脱水状態にならないよう、水分補給や点滴をします。腎臓は脱水状態になるとダメージを受けやすいからです。もう一つが、薬をやめること。腎臓に害を与える薬を、一時的にやめてもらい、まずは腎臓を回復させるのです。こうした対策をすることで、病院では患者の死亡率を減らすことに成功しました」
冒頭の事例で取り上げた女性患者も、1週間ほど高血圧の薬をやめたことで、腎臓が回復。高血圧の治療も再開し、無事、退院していったという。
国内でもAKI予防へ
AKIを予防する対策は日本でも始まっている。京都大学医学部附属病院では、腎臓を専門とする腎臓内科の医師が、他の臓器の病気の治療にも積極的に関わる取り組みを始めた。主治医と連携しながら、患者の腎臓の状態に目を配り、薬の量をきめ細かく調節することで、AKIの発症を防ごうとしている。
画像診断の際に使う「造影剤」や、がん治療に用いる一部の「抗がん剤」は、治療のために欠かせない大切な薬だが、同時に腎臓に負担をかけてしまう特徴もある。しかし、「これまでの医療現場では、いちいち腎臓の専門医に問い合わせることは少なく、患者の腎臓にまで目が行き届かないケースも多かった」と、柳田教授は言う。「AKIの深刻さが明らかになるにつれ、医療現場での連携の重要性が指摘され始めています」
AKIは、長期的な健康状態にも大きな影響を与えることがわかってきている。「慢性腎臓病」との関連だ。慢性腎臓病は、推定患者数が1330万人にのぼり、日本人の大人の8人に1人がかかっている国民病だが、徐々に進行していく疾患群であり、急性疾患であるAKIとは直接の関係はないと思われていた。しかし、「実際には、症状の軽いAKIを繰り返すことでダメージが蓄積して慢性腎臓病につながったり、症状の重いAKIをきっかけとして一気に慢性腎臓病になるなど、AKIが関係しているケースも多くある」(柳田教授)という。
実際、心筋梗塞、脳卒中、高血圧、COPD(慢性閉塞性肺疾患)など、よく知られたさまざまな病気を悪化させる背景に、慢性腎臓病があることがわかってきた。
柳田教授は言う。「わたしたちの体の中には、臓器同士が連携するネットワークがあります。腎臓はそのネットワークの要となっていて、他の臓器と深く結びついています。そのため、腎臓が悪くなると、他の臓器も悪くなる。また、他の臓器が病気になると、腎臓も悪くなるのです。こうした関係は、『心腎連関』『脳腎連関』『肺腎連関』『肝腎連関』などと呼ばれ、医学の世界で重要なキーワードとして、研究が進められています。腎臓は健康長寿のカギを握る臓器といってよいと思います」
水分と薬の摂り方がカギに
AKIを発症するのは入院患者だけとは限らない。特に高齢になると、体のどこかに異常を抱えていることが多く、AKIになりやすい。また、若い人でも過度の脱水状態からAKIを発症することがある。腎臓を守りAKIの発症を防ぐために、日常生活ではどのような対策をとったらよいのだろうか。
もっとも基本となるのは、こまめに水分補給することだ。水分を適切に補って腎臓をいたわる必要がある。水分補給のコツを柳田教授に聞いた。「のどが渇く感じがなくても、いつも飲み物を手近において、水分摂取を心がけるとよいでしょう」
そして、もう一つ気をつけたいのが薬の摂取の仕方だ。健康のためにと、余分な薬を飲んでしまうと、腎臓に負担をかける原因となる。柳田教授によると、とくに腎臓に負担が大きい薬の1つに「鎮痛剤」があるという。「市販の頭痛薬などを『痛くなりそうだから』と頻繁に飲んでしまう人がいるが、これはやめたほうがいいです。鎮痛薬を自己判断で飲む場合に関しては、“水の飲み方”とは逆で『痛いと感じない時は、飲まない』という心がけが大切です」
なかなか治らないのであれば、医師と相談しよう。正しい薬の使い方をすることで、痛みを減らすこともできるし、腎臓を守ることにもなる。
最新医学で、腎臓が私たちの健康寿命を大きく左右する臓器であることが、次々と分かってきている。腎臓は、尿をつくるだけの臓器ではない。自分の腎臓の「本当の役割」を知り、意識的にケアすることで、健康生活を手に入れたい。
NHKスペシャル「人体 ~神秘の巨大ネットワーク~」
第1集「“腎臓”が寿命を決める」10月1日(日)夜9時~(NHK総合)
番組では、AKIのほかにも、私たちの寿命まで左右する腎臓の驚くべき働きの最新知見を特集する。