「朝、布団からなかなか出られない」「最近、成績が落ちてきた」「ささいなことで暴力を振るう」。こうした子どもたちの異変は、慢性的な睡眠不足が要因になっているケースがあるという。わずかな睡眠不足が積み重なり、さまざまな病気のリスクが高まる状態は「睡眠負債」とも呼ばれる。この睡眠負債が背景にあるのではないかというのだ。ある専門医療機関では年間4000人近くの睡眠に悩む子どもが受診する。子どもの睡眠負債、その実態に迫った。(取材・文=NHK「くうねるあそぶ 子ども応援宣言」取材班/編集=Yahoo!ニュース 特集編集部)
睡眠に悩む子どもの「駆け込み寺」
「最近は眠れている? しんどくないか?」
「痛い、頭とか肩が痛い」
兵庫県神戸市の「子どもの睡眠と発達医療センター」。医師の問いかけに小学4年生の男児が答える。目は疲れ切っている。
1年ほど前から、朝、身体がだるく、布団から起き上がることができなくなったという。学校へはほとんど通えていない。寝起きする時間は日によってバラバラで、昼過ぎまで眠り、夕方から覚醒して活動する日も多い。睡眠のリズムの乱れで毎日、1時間ずつ睡眠サイクルがずれていく「非24時間型 睡眠覚醒症候群(睡眠障害)」と診断された。
なぜ男児は複雑な睡眠サイクルになってしまったのか。インターネットの動画やゲームに夢中になり、夜ふかしを続けたことが原因だった。小学校入学前から、寝るのは夜12時を回っていた。次第に身体のだるさや頭や肩の痛みを感じるようになり、ある日突然、朝起きられなくなったという。
「睡眠リズムが乱れて自分ではコントロールできなくなっている。入院をして専門の治療をしなければ、このままじゃ、あなたの身体が悲鳴をあげちゃうよ」医師はそう伝えた。
同センターには、睡眠リズムの乱れから不登校になるなど睡眠に悩む子どもらが、年間4000人近く受診に訪れる。多くの子どもに共通するのは、幼少期からのわずかな睡眠不足が、じわじわと積み上がっていき、親や本人が気づかないうちに身体や心に不調をもたらしている状況だ。この「まるで借金(負債)のように蓄積した睡眠不足」は睡眠研究の分野で「睡眠負債」と呼ばれ、近年注目されている。
熊本大学名誉教授で同センター設立に関わった三池輝久医師は、脳や身体の基盤が出来上がる乳幼児期の睡眠の重要性を指摘する。ここで睡眠が足りていないと、成長・発達に必要なホルモンが十分に分泌されず、脳や身体の成育が阻害されてしまうという。
「恐ろしいのは、乳幼児期の睡眠不足により、睡眠のリズムを司る『体内時計』が混乱することです。そうなると、一生涯にわたり、何時に寝て何時に起きるなどの睡眠パターンが整わない恐れがある」
「慢性的な睡眠不足が続くと、体内時計の混乱や脳機能の低下から「小児慢性疲労症候群」を発症する。」と三池医師は警鐘を鳴らす。頭痛・腹痛、イライラなどの自律神経系の症状が出始め、記憶力や判断力、やる気が低下し、強い倦怠感に支配されるのだ。勉強に集中できず、当然、成績は低下する。「まるでお年寄りの認知症と似た状態が脳の中で引き起こされてしまう」と、三池医師は言う。
睡眠負債は大人でも影響を自覚しにくいことが指摘されている。子ども自身が自分の身体の微細な変化や不調を自覚して伝えることは難しく、親も気づきにくい。その間にもじわじわと負債が蓄積され、気づいたときには重症化しているケースがあるという。
真面目な子が追い込まれる
同センターが入院患者100人を対象に、睡眠障害になった背景を調査したところ、半数以上の要因が「部活動」や「塾」だった。年々、部活動や塾が早朝・深夜におよぶようになり、真面目に打ち込む子どもほど睡眠障害に陥る環境が加速している。
同センターで治療を続けてきたアイさん(取材当時15歳)は、もともと活発な性格で、小学生の時はバスケットボールチームの主将も務めていた。ところが中学入学後に、めまいや胃の痛みを感じるようになり、ある日突然、朝起きられなくなった。家を出発する10分前になってもアイさんは布団から出られず、母親が必死に頬をさすって声をかけても全く応答がない。ようやく、身体が動くようになったのは登校時間を1時間以上過ぎた朝9時。この日は2時間目の途中から登校した。
その後、遅刻を繰り返すうちに、周囲からは冷たい目で見られるようになった。「『絶対にあいつは朝来ない』『怠けてるんじゃないか』と陰口をたたかれるのがつらい。学校へ行きたくないわけではない、身体が言うことをきかないんだ」とアイさんは話す。
いくつもの病院を回った末にたどり着いた同センターで睡眠障害と診断される。原因は、アイさんが部活や塾を優先するため徐々に睡眠時間を減らしていったことだと指摘された。
アイさんは小学校高学年の時から慢性的な睡眠不足だったという。夜11時に寝て、起きるのは朝7時過ぎ。それが中学に入るとさらに削られていく。塾通いが始まり、寝るのは夜12時に。一方で、起床はバスケットボール部の朝練のために朝6時に早まった。小学校の時に比べ、1日2時間も睡眠時間を削っていたのだ。
アイさんはセンターに2カ月半ほど入院。朝、人工的に作り出した強い光を浴びることで、目覚めのホルモンの分泌を促す「高照度光療法」や規則正しく運動や食事をすることで正しい睡眠リズムを取り戻す治療を続けた。それから2年、アイさんは学校生活を送れるまでに回復。今春、第1志望の高校に見事合格した。しかし、今でも何かのタイミングで元の生活に戻るかもしれないという、睡眠負債の恐怖におびえながら過ごしている。
睡眠負債に陥りがちな3つのタイミング
アイさんの治療にも関わった三池医師は、30年にわたり約4000人の子どもたちを治療してきた。子どもが睡眠リズムを乱すタイミングは3つあるという。
まずは保育園・幼稚園から小学校へ入学する段階で生じる環境の変化「小1ギャップ」。これまで自分のペースで寝起きをしていた子どもが、朝は7時に起きて登校しなければならなくなる。ここで、30分~1時間ほど合計睡眠時間が短くなる子どもが現れる。
この睡眠リズムのズレが修正できないと、ホルモンバランスが乱れ、起床時に機嫌が悪い、朝食を食べない、腹痛や頭痛を訴えるなどの兆候が現れるが、多くの子どもはささいな症状が見過ごされ、睡眠負債が蓄積したまま過ごしてしまう。
次に「小5プロブレム」だ。習い事や、中学受験に備えて学習塾に通う子どもが急増し、睡眠時間が削られる。しかし、ここでもまだ何とか乗り切ってしまう子どもが多いのが現実だという。
医療機関を受診する子どもが最も多くなるのが、中学校入学のタイミング「中1ギャップ」だ。中学入学を機に部活動を始める子どもが増える。朝練をする部活も多く、起床は朝6時に。放課後の部活動の後に塾や習い事に通う子どもも増え、睡眠時間は小学生の時よりさらに1~2時間短くなる。ここでいよいよ睡眠負債に持ちこたえられず、慢性的な疲労感を訴える子どもが現れるという。
気持ちの上では、部活や勉強に打ち込みたいが、身体がだるくてやる気が起きない。授業も集中ができない。朝の必要な時間に体温が上がらないため布団から出られず、そのまま不登校になってしまう。現に、文部科学省の平成26年度の調査では不登校になった子どもの3人に1人は「不登校のきっかけ」を「生活リズムの乱れ」と回答している。
この3つのタイミングをどう過ごすか。三池医師は、「徹底して、生活リズムを崩さないこと」と話す。その上で乳幼児期の過ごし方が特に重要だという。この時期に、夜7時~朝7時の夜間に合計10時間寝るようにする。そして朝は必ず7時に起きる習慣を予め付けておけば「小1ギャップ」を回避することができる。小学生になってからもなるべく合計9~10時間は睡眠をとることが望ましい。夜9時までには寝られるよう、習い事などを親が調整することが大切だ。
重症化すると元に戻すには長い年月を要する。未然に対策を打つ「予防」が睡眠負債を蓄積しないために何よりも大切だという。さらには、それを個々の家庭に任せるだけでなく、学校を含めた地域全体の問題として取り組んでいくことが必須だと三池氏は話す。
地域ぐるみで「睡眠負債」を予防する
大阪府堺市の三原台中学校では、学校や地域をあげて子どもの睡眠を守る取り組みが始まっている。
「睡眠記録表を書いて」
教師のかけ声に応じて、生徒たちがペンを走らせる。時間軸がひかれた横棒のグラフに、眠っている時間を塗りつぶしていく。毎日、寝るのは深夜1時を回るのが当たり前という女子生徒。「布団に入ってから、ついスマホのLINEグループを使い、友だちどうしでやり取りをしてしまう」からだという。
同中学では2年前からこうした試みを年に3回実施している。2週間分の睡眠時間をデータ化することで、感覚に頼らない、具体的な指導ができるという。指導を始めたきっかけは、明確な理由なく遅刻がちだったり不登校になった子どもに取ったアンケートだった。
9割以上の生徒が「夜寝る時間が12時以降」「夜間の睡眠時間が極端に少ない」など生活リズムに乱れがあるのが分かった。こうした事態を未然に防ぐため、堺市三原台地区では睡眠の専門家である三池医師の助言を受けながら、睡眠の重要性を理解してもらう授業を行うなどの「睡眠教育=みんいく」をスタートさせた。
睡眠記録表をもとに、教師たちが睡眠に問題のある生徒の支援策を検討する。この日は、生徒のうち50人が議題となっていた。多くが深夜2時、3時に寝るのは当たり前で、睡眠時間が極端に短い。夜の合計睡眠時間が毎日3時間という生徒もいた。多くの生徒は部活や塾などを必死に頑張る、優等生タイプの子どもたちだった。
ある3年生の女子生徒は、寝るのは毎日深夜2~3時。しかし起床は決まって7時。遅刻はほとんどない。なぜ寝るのが遅くなるのか。「塾の宿題が終わらない」という。多くの難関高校合格者を送り出す有名学習塾に通っている。女子生徒は学校の休み時間も塾の宿題に追われていた。
さらに最近、模試の成績が振るわず、このままだとクラスを一つ落とすと講師から告げられていた。プレッシャーからますます睡眠時間を削って勉強をするようになったという。
堺市の「みんいく」を立ち上げた木田哲生教諭(現・堺市教育委員会)は「こんな生活を続けていたら、何かのイベント(挫折)をきっかけに心も身体も折れてしまい、取り返しのつかないことになる。今は異常な状態なんだということを保護者にも理解してもらわなあかん」と強く訴える。
堺市三原台地区は、地域の幼稚園や保育園、学校、地域の健全育成会や子ども会、PTA、睡眠の専門医を巻き込んだ「みんいく地域づくり推進委員会」を発足し、地域をあげて子どもの睡眠を守る取り組みを進めている。
週に1日は地区内の全ての部活動を休みにする「ノークラブデー」を作り、子どもたちの負担を減らしたり、毎月10日を「はよねるデー」と呼び、夜9時までに寝るのを目標に、学校は宿題の量を減らしたり、青色防犯パトカーで地域にアナウンスをするなどの啓発活動を行っている。
木田教諭の調査では、乳幼児期から睡眠サイクルが乱れている子は小学校でも乱れ、小学校で乱れている子どもは中学校でも乱れている。前段階で必ず芽があるという状況だ。乳幼児期から切れ目のない支援を行うことで、三池医師が挙げる「小1ギャップ」や「中1ギャップ」を回避することにもつながるという。
こうした結果、三原台地区の小中学校では休みがちだった子どもの32%が睡眠とともに登校状況も改善。また、授業中に集中ができるかという問いに対しても、できたと答えた生徒の割合が増えたという。さらには「自分にはよいところがあると思いますか」という質問に対して肯定的な回答をした生徒の割合が1年で増え、多くの生徒に自己肯定感が増すという結果も出ている。
「みんいく」は、福井県若狭町や青森県三戸市など他の地域にも広がってきている。三池医師は言う。「子どもに睡眠時間を削らせるほどのノルマを課していないか。子どもの睡眠負債の問題は、実は私たち大人に突きつけられているのです」
NHK「くうねるあそぶ ~ねる子よ育て!~」は8月19日午後8時~生放送(NHK Eテレ)
いま話題の「睡眠負債」。実は日本の子どもは世界で最も睡眠時間が短く、睡眠負債の問題は深刻だ。どうすれば解消できるのか。子どもの快眠をとり戻す驚きの技とは。松岡修造さんや又吉直樹さんなどゲストと一緒に考える。