民進党“次世代のエース”だった細野豪志衆議院議員(45)が、8月8日に離党届を出した。「裸一貫、1人で立ち上がる決意をした」と新党結成を打ち出している。民主党政権では原発事故担当相や環境相を歴任し、党務でも幹事長や政調会長を務めた。いま、何を見据え、何をしようとしているのか。離党届を出した翌日、衆議院議員会館の事務所でインタビューに応じた。
(鈴木毅/Yahoo!ニュース 特集編集部)
――離党届の提出から一夜明けて、率直な気持ちは?
2年間考え続けて、その上で決断したので、まったく迷いはありません。だから、本当に新しいスタートだな、という気分です。いま自民党だけではダメだと感じている国民も多い一方で、野党側に政権の受け皿がない。そこに応えるのは、いまの政治の世界に生きる人間の責任じゃないかと思う。その意味で、私の中で、「いまこれが必要なんだ」という“腹落ち”はしています。
――この2年間、何を考えてきたのですか。
民進党のあり方です。きっかけは2年前の安保法制の国会でした。当時、私は党政調会長でしたが、党は廃案を求めて「反対」に突き進み、対案を国会に提出できなかった。日本には、北朝鮮問題など現実的な脅威があります。それに対して答えを持たずに、政府の案にただ反対するというのは、政権を目指す政党として「まずい」と思いました。翌年の参院選で共産党と共闘することになり、次は衆院選でも、という流れができてきたので、ある時点から党を離れて新しいものを作ったほうがいいのではないかと考え始めたのです。
――「ある時点」とは?
今年に入ってからです。
政権担当能力とは何だったか
細野氏の動きが目に見えて加速したのは、今年4月、月刊誌『中央公論』に改憲私案を寄稿したときだ。私案は、「乳幼児から高校までの教育無償化」「大災害などの緊急時の国会機能確保」「地方自治体の自主的判断権の拡充」を3本柱とする内容で、これも「今年に入ってから」具体的にまとめ始めたという。寄稿では、この時期に私案を発表した理由について、「わが党が提案型政党になる最後のチャンスと捉えているからだ」と書いた。直後に、蓮舫代表のもとで務めていた代表代行の職を「いまの執行部は改憲に消極的だ」として辞任し、自身の党内グループ「自誓会」の会長も退いた。
――改憲私案を公表したのも、今回の離党につながっているのですか。
そうですね。憲法は、国の基本中の基本にかかわる政策です。国会議員をやっている以上は何かしらの見識があるべきで、安倍政権のいかなる動きがあっても、自分たちの案を持ってドーンと構えているべきです。
これまで何回かの政権交代を経験して、国民の政党を見る目が変わってきている気がしています。野党の役割は政府をチェックするだけでは十分ではなくて、いざというときに政権を担い得ること。「反対」ばかりしていることを国民は求めていないと思うんです。残念ながら、その辺の感覚が民進党の中でズレてきていて、私との間でも非常にズレが大きくなっていました。
安全保障を現実的に考えられるか
――安保法制の際に反対に終始したことで、政権交代の可能性が遠のいたと?
長い目で見たときに失ったものは大きいです。2002年から03年にかけてあった小泉政権での有事法制の議論では、民主党は修正案を出して、最終的に与野党協議で法案を成立させました。共産党などから反対の声も大きかったのですが、我々は安全保障に責任を持つのだという態度を示すことで、その後の政権に近づいた感触がありました。安全保障を現実的に考えているかどうかは、政権を取る資格と言ってもいいかもしれません。いま「憲法」「安全保障」「共産党」の3つが原因となって、全体状況として民進党が政権政党として国民からみなされていないのだと思います。
――自分自身が党を立て直すという選択肢はなかったんですか。
前原(誠司。民進党所属・衆議院議員)さんとはこの間も話をしまして、私とかなり考えが近いと思います。ただ、私はやっぱり「民進党を変える」のは非常に難しいと思っています。というのは、この2年間、党内で「共産党と組むべきではない」「憲法をきちんと出すべきだ」「安保法制は党として法案を出すべきだ」とずっと言ってきたのは私だ、という思いがあるわけですよ。それができないのは、いまの民進党を構成している議員全体として、そういうスタンスだからです。代表は影響力が大きいですが、代表が変わったとしても民進党の方向性が変わるとは思えませんでした。
離党はリスクだが、あえてとる
私に代表選への出馬を持ち掛けてくれた人もいましたが、仮に代表になっても、私が思う方向に持っていくのは無理だと思いました。代表選があってもなくても、私はこのタイミングしかないと思っていたので、結論が変わることはなかったんです。
――党内で思いを共有する仲間とムーブメント作っていくこともできたのではないですか?
それは考えました。実はこの2年間、何度かそういうことを頭の中でシミュレーションしてきました。でも、それを断念してきた理由は、常に「何人来てくれるか」「資金が集まるか」という問題でした。最後は自分で腹を決めるしかない。自分の中で一つの結論が出ているわけですから、今回は「1人でもやる」と決めたのです。
党を離れることは支持基盤を失う可能性もあるから、大きなリスクです。実際、私個人がもっとも安定的に議員を続けられるのは、民進党にとどまることです。だけど、リスクを取らない人間に「一緒にやろう」と言う人はいませんから。
細野氏は2000年の総選挙で民主党から初当選し、現在6期目。09年に政権交代を果たした民主党が3年3カ月で下野して以来、失った党勢を回復するため、維新の党との新党構想を進めるなど党の再生を模索してきた。しかし、昨年3月に民進党が誕生した後も支持率は低迷した。
今回の離党に際し、こだわったのは新しい政権政党をつくるための旗印だ。そこには「5つの理念」を掲げた。
1) 納税者・働く者の立場に立ち、多様性を大切にする内政
2) 現実主義に立脚した外交安全保障
3) 立憲主義に基づいた憲法改正の提案、特に、憲法8章改正による地方自治の確立
4) 第4次産業革命に適応した経済・社会保障改革の提案
5) 情報公開による透明性の高い政治の実現
――そこまで「新党結成」にこだわるのは、なぜですか。
健全な民主主義に向けて、野党は再編をして、もう一度、政権政党を作り直したほうが国民のためになると思うからです。
私は民主党という政党が黎明期で上り調子の時に入って、この党で育ててもらって、チャンスをもらって仕事をしてきました。その意味では、先輩たちが作ってきたものに寄りかかってきたのです。新しく作ることは、本当に大変だったと思います。それを自分でやるべき時期が来ているのではないか、チャレンジしてみようと考えたんです。
――新党は、どのような形になるのですか?
組み合わせとか顔ぶれとか形から入るのはなくて、理念や政策からだと思ったので、まずは旗を上げたのです。それが今回の5つの理念です。選挙互助的な組織を作っても何の意味もない。理念の一致なき政党は結局、後で苦労します。そのうえで、中心となる「核」を作りたいと思っています。大きな動きにならなくても、核があって目指すものが共有できれば、人が集まりやすくなります。
新党は誰とやるのか
――小池百合子・東京都知事と連携はしないのですか?
それはこれからですね。昨日(8日)まで私は民進党の人間でしたから、ケジメをつけたいと思っていました。いろいろな人と話はするけど、それは民進党の議員としての一定の枠内での話です。今日からは一議員になるので、自由度は相当高まります。民進党も人もそれ以外の人たちも連絡をくれるので、積極的に会っていこうと思います。
――4月に民進党を離党した長島昭久衆院議員や、渡辺喜美参院議員、松沢成文参院議員の名前も出ています。
それぞれよく知っていますが、幅広く話してみます。あまり慌てずに。
――2大政党を目指すとなると、来年12月までには必ず衆院選があります。
総選挙の前までに形にしていかないと。選択肢にならないといけませんから。
――野党再編が起こらないと、なかなか人数も集まりません。
まずは旗を立てて、そこで何人集まってくれるかということです。そのための核を作りたいと思います。それと、選挙戦で国民に訴えていく上で重要なのは、誰がトップになるか、誰がそれを言うか、です。私自身は、「自分が」という気持ちはありません。捨て石でもいいから、とにかく形を作れればいい。
――旗のもとに人数が集まる具体的な根拠はあるんですか?
私が「いけるんじゃないか」と思う源泉は、やはり国民世論です。自民党政権以外の政権政党をつくってほしいという声はかなり大きいと感じます。
――自民党との違いに何を打ち出しますか。
政権交代可能な政党にするために、大きな立ち位置としては、与党の政策と8割くらい重なっていないと難しいと思います。これが極端に離れてしまうと、国民は「どうなってしまうんだろう」と不安を抱えるでしょう。たとえば外交安全保障は違いを際立たせる必要はなくて、党派を超えてやればいいと思います。
ただ、政党として「個人の視点」と「国家の視点」の割合をどう考えるか、という部分はあります。私自身は個人が6、国家は4くらいがいいと考えていますが、いまの民進党は7:3。共産党は10:0かもしれない。逆に自民党は4:6、いまの安倍政権は3:7くらいかもしれません。
国家なき、政府なき国民はものすごく不幸ですから、国家の持続性は極めて重要です。ただし、国家はあくまで国民のために存在するんだという原則を忘れた時に暴走するわけです。今の安倍政権、自民党は、その原則への意識が弱いと思います。
憲法改正で地方自治を確立したい
政策の違いの部分ですが、今回、憲法8章改正を提唱しました。地方の自治を確立するという意味で国のあり方にかかわる重要な部分ですが、自民党ではあまり議論されていないし、主要項目にも上がっていない。地方自治については日本維新の会は積極的ですし、たとえば大村秀章愛知県知事や川勝平太静岡県知事も発言しています。小池都知事もどう考えているか聞いてみたいですね。
――改憲私案では「21世紀型の教育を受ける権利」として、義務教育の無償を乳幼児期の教育から中等教育(高校)まで拡充することも提案しています。
人生の初期の段階でチャンスを失っている若者たちの立場で、きちんと発言していく政党は必要だと思います。民進党はそういう役割を果たしてきたかもしれないが、自民党はそこがやや弱い。
ただ民進党も、その財源をどうするのか、具体的に誰に負担してもらうのかは、口を閉ざしてきた面があります。そこは、高齢者にもいろいろな経済状況の方がいて、資産がある人にはご協力いただきたいということを言わないといけない時期にきています。
判断しなきゃいけない時がくる
――どの政党も、シルバー世代の反発を買うことは恐れています。
人口も多いし、投票率も高いですから、高齢者の皆さんに負担してもらって若い人たちの教育や子育てを充実させようと言うのは、勇気のいることです。ただ、いまの70代は、戦後の高度成長期を経験してお金に余裕がある人たちも増えていますし、若い人たちが自分たちよりも厳しい立場にいることもわかっています。たとえば、高齢で資産のある方には年金を辞退していただいて、若い人への奨学金や幼児教育にまわす。若い人たちにも声を上げてもらって、高齢者の人たちに理解を求めることが重要です。
事務所の議員執務室には、ケネディ米大統領のポートレートが飾られている。1962年のキューバ危機のときの写真だという。「政治家というのは、判断をしなくちゃいけないときがある。きわどい判断であればあるほど、判断を保留したいと思うんですよ。だけど、それが許されないケースがある」。細野氏の場合、それが東日本大震災の原発事故だったという。
今回の判断もそうだったのかと聞くと、こう答えた。
「原発事故のときの判断に比べれば、屁みたいなもんです。最悪の最悪でも、1人になって、選挙で落ちて、個人に戻るだけ。そんなこと国家には何の影響もないですから」
新党結成に向けて、どれだけの道筋が描けているのか、判然とはしない。新党を呼び水に大規模な政界再編への流れをつくることはできるのだろうか。そのとき、細野氏は政権交代可能な野党勢力の中心にいるのだろうか。
最後に細野氏は、昨年から始めたという囲碁に引っ掛けて、こう語った。
「布石は打ってあります」
鈴木毅(すずき・つよし)
1972年、東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒、政策・メディア研究科修了後、朝日新聞社に入社。「週刊朝日」副編集長、「AERA」副編集長、朝日新聞経済部などを経て2016年10月末に退社し、株式会社POWER NEWSを立ち上げ。
[写真]
撮影:塩田亮吾
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝