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田川基成

朝鮮学校のいま 「在日」生徒たちの胸の内

2017/04/27(木) 11:38 配信

オリジナル

日本には66校の朝鮮学校がある。植民地時代の朝鮮から日本に渡った人々の子弟らに民族教育を行うため、終戦直後に各地で誕生した。最近では「補助金打ち切り」などで注目されているが、校舎内の様子を知る機会はそう多くない。そこでは、どんな授業や部活動が行われ、生徒や先生たちは何を考えているのだろうか。学校に通うのは日本に住む「在日韓国・朝鮮人」たちで、いずれも10代の若者だ。66校の一つにカメラが入り、子どもたちに密着した。その様子を2回に分けて報告する。(Yahoo!ニュース 特集編集部)

まず、45秒の動画であらすじを視聴していただきたい。

神奈川朝鮮中高級学校 校舎は高台に

朝8時45分。始業のチャイムが鳴った。坂道を駆け上がってきた生徒たちも一息つき、ホームルームが始まる。中学1年生のクラスでは、教師が前日のニュースについて語り聞かせていた。どこの学校にもありそうな、朝の1コマである。ここはJR横浜駅から歩いて10分ほどの「神奈川朝鮮中高級学校」。横浜市神奈川区の高台にある。

高台の校舎正門を朝、生徒たちがくぐる(撮影:田川基成)

日本の学校と様子が違うとしたら、一つは服装かもしれない。女性教師と女生徒たちは朝鮮の民族衣装「チマチョゴリ」を着ている。教師が語るニュースも日本関連ではなく、北朝鮮関連。取り上げたのは韓国のハンギョレ新聞日本語版が今年1月25日に報じた「『北朝鮮水害支援』オバマの最後の贈り物」だった。

女性の教師と生徒は朝鮮の民族衣装「チマチョゴリ」を着用している(撮影:田川基成)

ここには、主に在日4世の子どもたちが通っている。日本の中学・高校に相当する6学年、174人(2016年度時点)が学ぶ。朝鮮学校は日本の法律上、料理学校や自動車学校などと同じく「各種学校」の位置付けで、義務教育や高等教育を担う正規の学校としては認められていない。

神奈川朝鮮中高級学校に併設されている「横浜朝鮮初級学校」の校舎外観。「創立70周年」の赤いハングル文字が目立つ(撮影:田川基成)

校内では原則、朝鮮語

学校内で使われる言葉は原則朝鮮語だ。掲示物もハングルが目立つ。もっとも生徒たちは日本で生まれ育っており、母語は日本語。生徒同士の会話や授業のやり取りに耳を澄ますと、時折、日本語も聞こえてくる。

教室に掲示された時間割はハングル=上。教科書もハングル=下(撮影:いずれも田川基成)

中学2年生の必須科目は、朝鮮語、日本語、理科、数学など11科目だ。授業内容や教科書は日本の学習指導要領に基づいている、と学校側は説明する。「生徒たちは日本社会で永住する」という前提で教育されており、内容によっては日本語の表記も教えるという。それでも朝鮮の歴史や朝鮮語といった「民族科目」が全体の4分の1を占める。

音楽の授業では朝鮮の歌も練習する(撮影:田川基成)

日本語の授業もある(撮影:田川基成)

理科の授業。ノートをのぞき込むと、「岩石」の学習中だった(撮影:田川基成)

体育の授業。課外活動では運動部も盛んだ(撮影:田川基成)

ピアノの周囲に集まり、北朝鮮で歌われている民謡を合唱(撮影:田川基成)

朝鮮学校の教育とは? 校長語る

「民族科目」を軸にしながら、結局、朝鮮学校では何を教えるのだろうか。同校の金龍権(キム・リョンゴン)校長(61)はこう語る。

「要は外国人じゃないですか。ふと、自分を見失う場合があると思うんですよね。(そんな時に)『自分はどういう存在なのか』をちゃんと分かる(ように教育する)。朝鮮民族としての気持ち、精神、文化、歴史を学び、しっかり知識も学んで、日本でも外国でも活躍できる人材を育てることが朝鮮学校の理念だと思います」

「自分がどういう存在なのかを教える」と語る金龍権校長(撮影:田川基成)

高校生の教室に北朝鮮指導者の肖像画

高校生の朝鮮語の授業をのぞいた。この日は、第2次世界大戦下の日本で獄死した詩人、尹東柱(ユン・ドンジュ)の「たやすく書かれた詩」の朗読だった。大きな身振り手振りで、教師が熱の入った授業を行っている。

教室の前方には、独裁国家北朝鮮の指導者である故金日成・金正日の肖像画が掛かっていた。

教室の前方には故金日成・金正日という北朝鮮指導者の肖像画(撮影:田川基成)

──なぜ、肖像画を?

金校長に理由を尋ねると、日本国内で民族教育が困難だった頃に支えてくれたことに対する感謝の気持ちからです、との答えが返ってきた。

朝鮮学校、戦後直後に500校超

朝鮮学校はそもそも、どういう歴史を持っているのだろうか。

日本の植民地だった1910年代中ごろから、釜山や済州島など主に朝鮮半島の南部から多くの人々が日本に来た。土木建設工事や炭鉱の採炭現場などで働きつつ、家族を日本に呼び寄せるなどして各地に朝鮮人の集住地区ができていく。ただ、そうした人たちが日本本土で子弟に朝鮮語を教えることは禁じられていた。

日本語訛りの朝鮮語を改めるよう呼び掛ける掲示板。神奈川朝鮮中高級学校で。かつては日本本土で朝鮮語の教育は禁じられていた(撮影:田川基成)

日本在住の朝鮮人は終戦時に約200万人に上ったと言われている。大半は徴用や戦時の経済需要に引き寄せられた人たち。日本本土で暮らした経験は浅く、1945年の終戦から翌年にかけて約150万人が朝鮮半島に戻ったとされる。

その一方、日本本土に生活圏を築きつつあった約55万人の朝鮮人はそこに留まることを選択した。朝鮮語を話せなくなった子供たちも少なくなかった。だから、朝鮮にいつ戻っても困らないように、と朝鮮学校が各地に作られたという。

終戦直後の混乱期。日本人も朝鮮人も貧困にあえぐ中、朝鮮人たちは1946年10月までに500を超える学校を各地に立ち上げた。

1955年ごろの朝鮮学校の様子(写真:神奈川朝鮮中高級学校提供)

日韓の冷遇 北朝鮮の支援

朝鮮学校はその後、「冷戦」の荒波に放り出されていく。朝鮮半島は1948年、ソ連が支援する社会主義国・北朝鮮と、米国などが支援する資本主義国・韓国に分断された。すると、朝鮮学校の運営母体だった在日本朝鮮人連盟(朝連)は北朝鮮政府を支持。これに対し、GHQ(連合国軍総司令部)の占領下にあった日本政府は朝連を強制解散させ、朝鮮学校の閉鎖を指示した。

祖国の分断と日本政府の姿勢。その状況下で、北朝鮮政府は在日朝鮮人の民族教育に関心を寄せ、支援を始めた。一方の韓国は日本政府に対し、朝鮮学校の閉鎖を要請し、朝鮮学校による民族教育を敵視した。

神奈川朝鮮中高級学校のサッカー部の練習。昔は神奈川の地域大会に出場できなかったが、制度変更により中体連や高総体に出場可能となった(撮影:田川基成)

水野直樹・文京洙著『在日朝鮮人』(岩波新書、2015年)によると、北朝鮮は1957年に教育援助金の送金を始めた。現在も朝鮮学校全体に年間約1億円の援助金があるという。

では、実際に今はどんな教育が行われ、生徒たちは何を考えて日々を過ごしているのだろうか。動画でその肉声と表情を見てほしい。

北朝鮮賛美の教育では? 校長「感謝の気持ちは当然」

朝鮮学校は、北朝鮮の現体制をたたえる教育をしているのではないか。誰もが感じる問いを金校長にぶつけてみた。

取材に答える金校長(撮影:田川基成)

金校長は「たたえるという表現が合っているかどうかは別として、支援してもらったという感謝の気持ちが教育内容に反映されているのは事実」と答え、こう続けた。

「朝鮮は長い間、大国のいろいろな侵略とか、そういう歴史的経験があるわけです。その中で自主的に、自分たちの民族の尊厳を持って生きていく。在日の教育もそういう理念があり、連綿と続いている。(同じ朝鮮半島出身者やその子弟であっても軸足は)朝鮮民主主義人民共和国(の側)にある、と私たちは思っているわけですよ。急に始めたわけじゃないんですよ」

金校長は「(北)朝鮮に恩義を感じるのは当然」と言う(撮影:田川基成)

独裁国家であり、政治犯の処刑も行われる北朝鮮。いくら「祖国」とはいえ、そういった国に恩義や義理を感じる気持ちは、日本人にとって理解しがたい─。そう問うと、金校長は言った。

「もう朝鮮とは切り離せない。切り離したら、朝鮮学校の存在意義って何なのかな、と。語学だけなら『朝鮮語学校』を作って(普段は)日本学校に行けばいいじゃないですか? でも、それだけではない。在日という特殊な位置にいる人たちが日本で頑張っていけるのも、そういうのがあるからです」

生徒たちに質問「君たちの祖国はどこ?」

卒業を目前に控えた高校3年生のクラスに足を運んだ。取材は1月31日。通常授業はこの週で最後だという。

取材に応じてくれたのは4人だ。舞踊部に所属する孫聖順(ソン・ソンスン)さん、バスケ部の姜侑那(カン・ユナ)さんの女子2人、そしてサッカー部の宋貴奉(ソウ・キボン)さん、崔希幹(チェ・フィガン)さんの男子2人。4人とも母語は日本語だ。

孫聖順さんは舞踊部で活動中。朝鮮学校の教師になるのが夢(撮影:田川基成)

まず、「祖国はどこだと思いますか」と尋ねた。

孫さん「私は故郷、朝鮮にある」
崔さん「国籍は朝鮮。在留カードにある故郷とか出身は韓国の方です」
孫さん「私は逆。故郷みたいのは朝鮮だけど、国籍は韓国」

崔希幹さんはサッカー部。将来は大学教師になって人権を研究したいと言う(撮影:田川基成)

残る2人にも「祖国はどこか」と聞いてみた。

姜さん「私も聖順と一緒の考え(故郷は北朝鮮)です」
宋さん「国籍上は韓国だけど、祖国は朝鮮です」

朝鮮籍は崔さんだけで、他の3人は韓国籍だ。それでも4人とも「朝鮮民主主義人民共和国は祖国だ」と思っている。

学校側によると、生徒のうち、朝鮮籍は32%、韓国籍が63%。日本国籍も5%になるという。「朝鮮籍」は“北朝鮮籍”ではない。1947年に外国人登録令が施行された際、旧植民地である朝鮮半島出身者を示す「記号」として作られたのが朝鮮籍であり、50年以降、韓国籍への移行が認められている。

姜侑那さん(上)はバスケットボール部。看護師を目指している。宋貴奉さん(下)はサッカー部。私大の理工学部で学び、高齢者や障害者などが安心して暮らせる社会を作りたいと考えている(撮影:いずれも田川基成)

修学旅行は「見たことのない北朝鮮」へ

朝鮮学校の高校3年生は修学旅行で北朝鮮を訪れる。「民族教育の集大成」という位置付けだ。高3の“祖国訪問”は1980年代に始まり、当初は成績優秀者など限られた生徒のみが対象だった。80年代後半からは高3全員が対象となったという。以前は新潟港発の貨客船を使っていた。日本政府が2006年に制裁措置で北朝鮮籍の船舶往来を禁止してからは、飛行機を北京で乗り継いで訪問している。

取材に答える高校3年生たち。生徒たちには韓国籍や日本国籍の人もいる(撮影:田川基成)

修学旅行は約2週間。首都・平壌(ピョンヤン)や観光名所の白頭山などを巡り、同年代の軍人たちとも交流する。多くの生徒にとって初めて目にする“祖国“。そこで何を感じたのだろうか。

スマホに収められた修学旅行先・北朝鮮での1コマ。左端が孫聖順さん(撮影:田川基成)

まず、姜さんが語る。

「朝鮮という存在は(多くの日本人は)良いイメージは持っていないと思うし、私もそういう社会に住んでいるので、正直ちょっと(行く前は)心配なところがありました」

孫さんもこう言った。

「自分の祖国と言っても、全然イメージが湧かないし、日本ではあまりいいイメージはないし、行くって決まった時も、親とかは『大丈夫?』みたいな」

旅のあとで「祖国に恩返しを」

現地で何を感じたのか。宋さんは「めっちゃ(日本では)アウェイ感があった」と言って、こう続けた。「実際に朝鮮を訪れたら本当にホームみたい。バスでホテルに着いた時、めっちゃ歓迎してくれた。『朝鮮から支えてもらっている』って、身をもって知ることができました」

写真の詰まったスマホを見せ合い、修学旅行の思い出を語り合う(撮影:田川基成)

崔さんは「人として当たり前の権利が保障されていた2週間」と振り返る。

「生まれて初めて、心置きなく朝鮮人として堂々と街を歩けて、自分の国の言葉を使えて。日本人なら(日本で)当たり前のようにできることが、(自分たち朝鮮人は)実は踏みにじられていて…。自分は朝鮮人だったという認識を深めることができ、とてもうれしかったです。(北朝鮮の)生活水準は高くなかったけど、みんな幸せに見えた。そういう人間味を感じることができて、日本ではできない体験をしたな、と」

修学旅行で撮った多くの写真。フォルダ名は「祖国訪問」だった(撮影:田川基成)

自分は朝鮮人だと再認識した、と生徒たちは口をそろえる。姜さんも「朝鮮人として生まれたことに、あらためて誇り、うれしさを感じましたし、これから堂々と朝鮮人として生きていくんだ、という気持ちが強くなりました」と話す。

宋さんは「今まで(北朝鮮は)少し離れた感じがしましたけど、行ってからは『常に祖国が守ってくれているんだ』って。どんな形にしろ、恩返しをしなくては」と言い切った。

「北朝鮮はすばらしい」となぜ思えるのか?

拉致問題やミサイル発射、核開発などの影響で、北朝鮮に好印象を持つ人は多くない。生徒たちもそんな日本で育った。それなのに、わずか2週間の旅でなぜ「朝鮮民主主義人民共和国はすばらしい」と口にするようになったのだろうか。彼の地で何かを吹き込まれた可能性はないのだろうか。

疑問の手掛かりを得ようと、愛知県立大学の山本かほり教授を訪ねた。

愛知県立大学の山本かほり教授。専門は社会学(撮影:オルタスジャパン)

山本教授は2011年から毎週のように愛知県内の朝鮮学校に通い、聞き取り調査を続けている。北朝鮮への修学旅行にも4度同行した。

それらを通して「日本社会で朝鮮人が朝鮮人として生きていくための自己肯定感を養う場所。それが朝鮮学校」と考えている。子供たちは、同胞に囲まれて青春時代を過ごすため、日本社会との大きなあつれきを感じることもなく、朝鮮人として成長できるのだ、と。

山本教授が同行した修学旅行で出会った北朝鮮の人たち 修学旅行生は現地で歓待を受けたという(写真:山本かほり教授提供)

山本教授に問いを重ねた。

──高校3年生たちが、祖国とのつながりや自分たちの同胞社会を大切に思っていることは理解できます。でも、彼らの思いはあまりにも熱く、そこに何とも言えぬ不自然さを感じます。

「そう思うのは分かります。私にも葛藤はありました。でも、子どもたちが現地で温かく歓待されているのを見ると、修学旅行の体験が全て演技やフィクションだったとは思いません。(北朝鮮に行くと)良いものしか見せない、って言われますけども、町の中を走っていると、嫌なもの、貧しさ、大変さとか、いっぱい見えます。あなた(記者)がそう思いたいのは、そこが北朝鮮だからでしょう? 『北だから変なんだ』って頭から信じ込む、その認識こそ問われるべきではないでしょうか」

笑い合う神奈川朝鮮中高級学校の生徒たち。教室の様子は日本の学校と変わらない(撮影:田川基成)

長年にわたる朝鮮学校と北朝鮮との密接な関係。現在、その関係が問題視され、日本で批判が高まっている。朝鮮学校をどのように考えるべきか。4月28日配信の後編では、「朝鮮学校への公的支援のあり方」を軸に報告する。

記事中盤にあるのと同じ動画です。

※本文中で「中学1年生」「高校3年生」などと表記しましたが、「各種学校」のため厳密には「中級部1年生」「高級部3年生」と呼ばれています。

 [制作協力]
                        オルタスジャパン
                             [写真]
                        撮影:田川基成
         写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝

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