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川島小鳥

「私は、ずっと無学だった」沖縄のオバアが通う学び舎

2015/12/24(木) 12:02 配信

オリジナル

「読み書きができない」。そんな現実と向き合いながら、この70年を過ごしてきた人々がいる。戦中戦後の混乱の中で教育の機会を奪われた彼らは、80歳を超えた今、「学び」を始めている。「読み書きがしたい......」純粋な勉強への思いとともに、今日も机に向かう。
(Yahoo!ニュース編集部)

写真:川島小鳥

学校に行けなかったオジイ、オバア

2010年の国勢調査によると、小中学校に在籍したことがない、または小学校を卒業していない「未就学者」の割合は、全国では約0.1%。それに対して沖縄は6倍の0.6%で、その値の高さは全国で1位となっている。
戦中戦後の混乱期に義務教育を受けることができなかった人数は、沖縄県の調査によると、県内で約1600人。その多くは、小学校の教育、読み書きを学ぶ機会すら失ったままの人たちだ。3年前、そんな人々のための「学びの場所」が沖縄市にできた。
教室には「勉強をしたい」というオジイ、オバアたちが通っている。

「私は無学です。無学だと思っています」

石川静子さん(81)が毎日向き合うのは、小学生用の学習教材。


「漢字が書けないから。字を書きなさいって言われたら、書けないです」

写真:川島小鳥

石川さんが教育の機会を失ったのは、小学四年生の頃。戦争で父親を亡くしたことがきっかけだった。


「父が亡くなったから、学校は行けない感じになった。親の手助けをしないといけないと心の中で決めていたので、学校は行かなくてもいい、親の手伝いしよう、働こうと思った」


そして、当時女性の働き手の多かった洋裁店へ働きに出た。石川さんが勤めたその店は、偶然にも高校の通学路に面していた。そのため、自分と同い年くらいの高校生が登下校する姿を目にしながら働く日々だった。


「うらやましかったです。私も学校通いたいなって。同級生が遠足で来たときなんて、私は隠れて店に出られなかったです。奥にひっこんで、見ることができませんでした。悔しいやら......」

洋裁店での5年間の修行を終え、結婚して独立。夫婦で洋服店を始めたが、漢字が書けないことから悔しい思いは続いた。例えば、洋服を仕立てる客の身体を採寸する時、サイズ表にその客の名前を書くことができない。採寸後にはいつも「すみませんが、お名前を書いていただけますか」と客にお願いするしかなかった。時には、子どもたちが代筆することもあったという。自分の店での50年間は、ずっとそんな日々だった。

戦争が、私たちの文字と青春を奪った

太平洋戦争末期、アメリカ軍が沖縄に上陸し、住民を巻き込んだ激しい戦闘がくりひろげられた。沖縄戦は、民間人を巻き込んだ国内最大の地上戦で9万人あまりもの民間人が犠牲になったといわれる。
その戦いは、戦後も様々な所に影を落とした。


沖縄県は2011年度から「義務教育未修了者支援事業」として、1932〜41年生まれの人が夜間学校等で学ぶ際に助成金を出している。戦中戦後の混乱によって未就学者となった人を対象とする支援は、全国で沖縄県だけだ。
それを受けて、石川さんが通うNPO法人エンカレッジは、沖縄戦の混乱で義務教育を受けられなかったお年寄りのためのクラスを4年前に開設。現在は6名の生徒が通っている。

写真:川島小鳥

写真:川島小鳥

授業は平日午後1時から4時までの3時間、国語・数学・英語・理科・社会の5教科を行っている。授業で使うのは通常の教科書ではなく、生徒それぞれの習熟度に合わせた教材。各授業の間には20分の休憩を設けているが、手を休める生徒は誰もいない。

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「1日も早く、読み書きができるように」

「数学が得意」という名嘉眞隆雄さん(82)も、戦中戦後の混乱期に学習の機会を奪われた一人だ。名嘉眞さんは小学4年生に上がる時に、戦争の激化に伴って学校に行けなくなった。そして終戦を迎え中学校に入学したが、担任から「学校の会費を納めていないのは、君ひとり」と大勢の前で言われたことがきっかけで、入学から1週間で中学校へも行かなくなり、経済的な事情もあって働き始めた。

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働き手として10代を過ごした後、母親が営んでいた衣料品店を引き継いだ。商売が軌道に乗り始めて事業を拡大しようとした時に、読み書きができない辛さを思い知らされたと言う。それは銀行と融資の話を進めていた時、必要な条件面では問題がなかったものの、最後の書類作成のときに、読み書きができないことで融資を受けることができなかったのだ。


「銀行側も、仕方なかったと思う。
 読み書きができないとみなされる......悔しかった......」


その後結婚し、読み書きができる妻の助けがあり、やっと融資を受けることができたという。

写真:川島小鳥

今、名嘉眞さんが学ぶ理由。


「孫と手紙のやり取りがしたい......近くに住んでいないから、一年に一回会えるかどうか。でも電話は嫌いなんです。子や孫と手紙のやりとりをしたいから、一日も早く読み書きができるようになりたいんです」

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「しわくちゃババアだけど、小学生」

嘉納初子さん(83)。エンカレッジが義務教育未修了者のクラスを作ったきっかけは、嘉納さんの息子がエンカレッジに働きかけをしたからだった。「近くに勉強ができるところがあれば行きたい」と息子さんの前で漏らしたことがあるという嘉納さん。しばらく経ったある日、自宅に大きい茶封筒が届いた。開けてみると「戦中戦後の混乱期における義務教育未修了者支援事業」を始めたエンカレッジの入学案内だった。

写真:川島小鳥

今では、ここに来るのが何よりの楽しみで、午後からの授業を欠かさず受けるため、家の用事は午前中にすべて済ませるという。

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嘉納さんは石川静子さんの3歳年上の実姉。第1期生として自分が学び始めてから妹の静子さんを誘い、今では2人で机を並べて学んでいる。

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「今が楽しくて仕方が無い」という嘉納さん。周りからは「いまさら学んで何になる?」と言われるが、「何のためっていうけど、楽しいから。何にもならんけど、知恵つける!」と、学ぶことを謳歌している。

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「生きること」と「学ぶこと」

姉の嘉納さんに誘われて、勉強を始めた石川さんも「今が一番楽しい」と言う。

写真:川島小鳥

「今、とても楽しいんです。小学生に戻った気持ちで」


勉強を始めて、徐々に読める漢字も増えてきた。そのおかげで、最近は楽しみが一つ増えたという。それは読書。姉の嘉納さんと2人で流行の小説を覗き込みながら、話が弾む。


「普通は習わない漢字がある。
 『齧(かじ)りやすい』とか、こんな字は習ったことないでしょ?」


やはり気になるのは、漢字のことのようだ。
かつて過ごすことができなかった子ども時代を、今、取り戻している。

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戦争が奪うのは、人命や街のような形あるものだけではない。戦争によって教育を奪われた人々は、その現実と向き合いながら70年間を過ごしてきた。そして今、心から学びを必要と感じ、学びを取り戻そうとしている。学ぶ気持ちに、歳は関係ない。


過ぎ去った時間を振り返るだけでなく、これからの日々を見つめ、オジイとオバアたちは、今日も勉強机に向かっている。

写真:川島小鳥

写真・川島小鳥 
1980年生まれ、写真家。
著書に写真集『BABY BABY』、『未来ちゃん』、『明星』、
『未来ちゃんの未来』(ウィスット・ポンニミットとの共著)、『おやすみ神たち』(谷川俊太郎との共著)など。
2011年に『未来ちゃん』で第42回講談社出版文化賞写真賞、2015年に『明星』で第40回木村伊兵衛写真賞を受賞。

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