マグロの代名詞と言えば、青森県大間の港に水揚げされる「大間マグロ」。2017年1月5日。新春の風物詩となった東京都中央卸売市場(築地市場)のマグロの初競りの主役も、やはり大間だった。しかし、ここ数年、高品質のマグロのブランドとして定着しつつある地域がある。それが長崎県の離島、壱岐だ。地域の名声をマグロに託し、初競りという舞台で「日本一」を目指すマグロ漁師たち。一攫千金だけではない、マグロに賭けた壱岐の男たちのブランド確立までの物語。
(ノンフィクションライター・中原一歩/Yahoo!ニュース編集部)
大間に追いつけ、追い越せ
九州と朝鮮半島を隔てる対馬海峡に浮かぶ離島、壱岐。この島は古くから漁業の島として栄えてきた。マグロ漁が盛んになったのは昭和30年頃からだという。とくに島の北端にある人口およそ6000人の勝本町は、壱岐最大のマグロの水揚げ量を誇る。
勝本に70人いるマグロ漁師に「会長」の呼び名で慕われ、過去に2回、300キロを超える超大物を釣り上げた中村稔(48)は、島のスーパースターだ。中村は先祖代々、漁師の家に生まれた。父もマグロ漁師として、その名を馳せた人物である。
そんな中村はもとより、全国のマグロ漁師が「今年こそ」と意気込むのが、正月に築地市場で行われる初競りである。
「マグロの最高級ブランドといえば青森県の『大間』であることは間違いない。けれども、自分たちの海で獲れたマグロも品質では負けない自信がある。全国のマグロ漁師が大間に追いつけ、追い越せ、そんな思いで正月を迎えていると思います」(中村)
一口にマグロと言っても種類はさまざまだ。築地で「ジャンボ」と呼ばれる、氷詰で生のまま空輸されてくる外国産のマグロもあれば、孵化したばかりのマグロの稚魚を生け簀で育てた養殖マグロや、回転寿司に重宝される外国産の冷凍マグロもある。
その中でもとくに高級とされるのが、大間や勝本などで獲れる天然の本マグロ(クロマグロ)だ。1匹当たりの価格は150万円前後。大物になると300万円を超える場合もある。初競りともなると、ご祝儀相場で価格は青天井。2013年には「1億5540万円」という破格値が飛び出し、これが決定打となって大間は、高級本マグロの産地として全国にその名前を轟かせることになる。
しかし、マグロの産地は何も大間だけではない。
毎年、春から初夏にかけて、沖縄の南方沖で孵化したマグロの幼魚は、黒潮に乗り、餌となるイワシやトビウオ、イカなどを捕食しながら日本近海に現れる。黒潮が鹿児島の沖合で日本海と太平洋に分かれると、マグロの群れも二つに分かれて北上。晩秋から新年にかけて、その群れの一部が本州と北海道を隔てる津軽海峡に到達する。つまり、日本列島はマグロの回遊路の内側に存在し、マグロの水揚げ港は全国に点在するのだ。
マグロの産地として定着するためには、品質のよいマグロをコンスタントに出荷しなければならない。しかし、それだけでは「ブランド」にはならない。マグロを通じて地域の名前が全国区の知名度を得る最大のチャンス、それが、正月の風物詩としてメディアがこぞって取り上げる初競りなのだ。中でも、その日の最高値をつけたマグロには「一番マグロ」の称号が与えられる。
「一晩で自分が釣り上げた魚が数百万円、いや、それ以上に化ける。それもうれしかばってん、一番マグロを仕留めたら、壱岐、そして勝本の名前が全国に轟くでしょう。自分ひとりの儲けよりも、地域の名前が世に出ることのほうが何倍もうれしい。『勝本の一本釣り』のブランドは、地域のみんなで作り上げたのですから」(中村)
「勝本のマグロは使えない」の言葉に奮起
マグロの価格を左右するのが築地市場の「仲卸(仲買人)」の存在だ。
仲卸は「荷受け(卸会社)」が開催する競りに参加し、飲食店やスーパーの注文に応じて品物を調達する役割を担っている。築地には200軒ほどのマグロを扱う仲卸があるが、1年を通じて本マグロの競りに参加し、実際に買い切る仲卸は5、6軒しかない。
築地でも最高峰の本マグロを競り落とす「石司商店」の篠田貴之社長は、マグロは釣るのも博打だが、買うのも博打だと笑う。
「一度、競りに参加すれば、少なくとも数百万円、数を買った日には1000万円を超える支払いを覚悟しなければならない。競り落としたマグロの代金は、数日以内に現金で荷受けに支払うのが築地の流儀。それを毎日続けることができなければ、本マグロは扱うことができません」
マグロが旬を迎える11月から12月は悪天候が続き、時化(しけ)で船が沖に出られない日が続く。そうなると、天然の本マグロの入荷数が一ケタ台という日もあり、価格は高騰する。
篠田のように本マグロだけで勝負をしている仲卸は「上物師」と呼ばれ、築地でも一目置かれる存在だ。しかし、本当の怖さは価格だけではない。マグロの品質の良し悪しを見抜けるかどうか。その目利きの確かさにかかっている。
なぜなら、マグロほど個体差が激しく、季節、海の状態、水揚げ時の天候や気温、漁法、釣り上げてからの処理、輸送時の保存状態などによって、品質が大きく異なる魚は他にないからだ。
中村には苦い経験がある。15年前、視察で訪れた築地市場で、勝本のマグロを競り落とした仲卸を訪ねた時のことだ。店の主人は、解体したばかりのマグロの一部を、黙って中村に差し出した。
「口に入れた途端、顔をしかめるほど酸っぱく、まずかったとです。自分たちが釣った自信のあるマグロのはずなのに、ボソボソとした食感で、脂がまったくない。大間のマグロと食べ比べると、その差は歴然でした」
この時、仲卸に言われた一言が中村のマグロに対する意識を根底から変えた。
「だから勝本のマグロは使えない」
マグロの鮮度は「釣ったあと」が勝負
実は、中村が口にしたマグロは「ヤケ」が回っていたのだ。ヤケとは、体温の急上昇によって魚の身が変質した状態を指す。人間が全力で走った際に、全身の筋肉が急激な運動によって炎症を起こし、腫れて傷みが発生する状態と同じだと、篠田は説明する。
「漁師の多くは、マグロがかかると無理やりにでも釣り上げようとする。ヤケは魚が体を激しく左右に振って抵抗し、暴れるときに発生する。どの魚がヤケているか、腹を割らないマルの状態で見極める『目利き』こそが仲卸の力量。けれども、最終的に腹を割ってみるとまったく使えない魚だったこともあるので、最後まで気が抜けない。あまりにもひどいものは、事故品として競りのあとでも支払いを協議する場合もあります」
2003年、中村は、漁師仲間と共に「マグロ研究会」を設立した。会長に就任すると、高品質のマグロを提供するために生産地では何をすべきか研究を始める。中村は築地の仲卸の元を訪ね、教えを乞うた。すると大間ではヤケを防ぎ、鮮度を保つための工夫が随所に施されていることがわかった。
釣り上げる直前、電気ショッカーという特殊な機械を使ってマグロを仮死状態にして、一気に海中から引き上げる。釣り上げたあと、すばやく尾の付け根を切り落とし、エラを引き抜くと同時に、マグロの大動脈に刃を入れ、内臓といっしょに余分な血を一気に放出させる。そして、針金に似た専用の道具をマグロの脳天に突き刺し、一気に神経を破壊し、マグロの身質を安定させる。
こうした「血抜き」とか「神経締め」と呼ばれる作業は個人差がある。篠田によれば、大間でもすべての漁師が徹底しているわけではないという。
「同じ産地でも、『あの船の魚はまたヤケた』『あの船は血抜きが徹底しているから身質がすこぶるいい』など、船によっても違いがあります。こうした個別の情報も、目利きには重要なんです。大間だからいいのではなく、大間のどの漁師が釣った魚なのかが重要なんです」
それから中村は、築地から「今日の品物はヤケが回っていた」と報告を受けると、釣り上げた漁師の元を訪ね、どのように釣り上げたのか、釣ってからどのように処理し、保存したかなど、徹底した聞き取り調査を行った。
こうした「粗探し」を快く思わなかった漁師もいただろう。当時、中村は30代半ばで集落では若手の部類だった。
それでも年上の漁師など同業者が中村の意見に耳を貸したのには理由があると、先輩漁師の尾形一成(53)は言う。
「彼は勝本の稼ぎ頭でした。誰もがボウズの日にも必ず魚を仕留めて帰ってくる。だからといって、偉そうに振る舞うのではなく、通常は絶対に他人には教えないマグロ釣りの仕掛けや、餌となるトビウオやイカが生きているように見える針の仕込み方などの企業秘密の技術を、聞かれれば誰にでも惜しみなく教えていました。事実、それが現在の勝本の一本釣りのスタイルとなって定着しています」
そもそも「釣り」を生業とする漁師は「個」としてのプライドが高く、人付き合いを苦手にする者も多い。「個」として生きる上では、その釣果も自己責任である。悪天候など自然の不可抗力があっても、すべてが自分の責任という厳しい世界だ。けれども中村は、自分だけが高品質のマグロを釣って儲けても仕方がないと、そういった考え方を一蹴する。
「自分だけがよかマグロを獲っても、勝本の評判が上がるわけではなか。ばってん、ひとりの漁師が手を抜いて、事故品を出してしもうたら、勝本のマグロはヤケてるかもしれん、と風評が立ってしまい、本当は高品質のものでも、高く買わない理由にされてしまう。それが悔しかったとです。だから集落全体で徹底する必要があった。そうでもしないと、後発の勝本はとうてい大間には追いつくことができないと思いました」
かかってから釣り上げるまで2時間
勝本の一本釣りの特徴は特注の竿とリールを使うことだ。こうした漁具を使えば、100キロクラスのマグロであれば、20分もあれば十分に釣り上げることができる。
しかし、食いついた獲物を、中村は一気に釣り上げようとはしない。
上下に揺れる船と竿の「タメ」を利用し、2時間近くわざと魚を遊ばせる。そして、ジリジリと少しずつリールを巻き取っていく。言うまでもなく、マグロへの負荷を減らし、ヤケを防ぐための工夫だ。釣り上げたあとの神経締め、血抜き、氷を使った急速冷蔵も抜かりはない。
中村が中心となって確立したこの釣りの作法は、勝本のすべての漁師に徹底されている。
勝本の漁師たちのこうした取り組みは、数年を経て確実に成果を上げる。それまで、どんなに立派なマグロを競りに出しても1キロ当たり5000円程度だったものが、ここ数年で1キロ当たり4万5000円を叩き出すまでになった。2013年の暮れには、286キロのマグロが1100万円で落札された。
こうして勝本は「東の大間、西の壱岐」と並び称されるようになり、築地でも一目置かれる存在となる。
「喜びを分かち合うのが勝本の漁師」
「勝本」が本マグロのブランドとして浸透してくると、それまで仕事を求めて島外に転出していた若手が地元に戻り、漁師を生業にするようになった。
農林水産省が発表する漁業経営調査(平成27年度版)によると、全国でマグロ漁などに従事する漁師の平均年齢は64.7歳。それに比べると勝本の漁師は若く、30代、40代が中心だ。
勝本の漁師は年齢に関係なく仲が良い。漁師といえば寡黙で頑固というイメージが先行するが、ここでは違う。中村を中心に漁師同士が技術や情報を教え合いながら、切磋琢磨している。中村の背中を追ってマグロ漁師となった松尾五郎(39)は言う。
「ふとか(大きい)魚を釣った気分は何ともいえんですよ。そん時は仲間や家族に感謝をし、心から喜びを分かち合います。大物が釣れるたびに地域の結びつきを強めていくのが勝本の漁師なんです」
2017年1月5日。築地市場で行われた初競りは「大間マグロ」の圧勝で終わった。勝本など全国の港で水揚げされたマグロを尻目に、青森県大間産のマグロ(212キロ)が、2013年の1億5540万円に次ぐ史上2番目の7420万円の高値で落札されたのだ。
中村もマグロを出荷したが、57.6キロと型が小さく、大間に遠く及ばなかった。それでも競り場には壱岐・勝本産のマグロがずらりと十数本並んだ。
1月に入るとマグロは津軽海峡から姿を消し、餌を求めて日本海沿岸を南下する。初競りこそ逃したが、中村は今日も長年の釣りで痛めた右腕を庇いながら逆巻く海峡に船を進める。
「板子一枚下は地獄だよ」
文字通り、生命をかけ、生活をかけ、漁師としてのプライドをかけた勝本の漁師の大勝負は、島で「やまぜがえし」と呼ばれる春一番が吹く頃まで続く。
中原一歩(なかはら・いっぽ)
1977年生まれ。ノンフィクションライター。「食と政治」をテーマに、雑誌や週刊誌をはじめ、テレビやラジオの構成作家としても活動している。著書に『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』など。最新刊『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』。
[写真]
撮影:TAKEZO
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝