岡本裕志

障害者殺傷事件の背景に―― 「優生思想」と「隔離」の怖さ

2016/12/28(水) 11:14 配信

障害者にとって2016年は喜びと悲しみに揺れた1年だった。4月に障害者差別解消法が施行され、6月に改正障害者総合支援法も公布。障害者の生活を支える法整備に喜んだ。だが、直後の7月26日、神奈川県相模原市での相模原障害者殺傷事件が発生。19人の障害者が殺害され、27人が重軽傷を負うという戦後最大の被害者数を出す殺傷事件となった。長く日本の障害者運動を牽引してきた日本障害者協議会の藤井克徳代表にこの1年を振り返ってもらうと、藤井氏は相模原事件の背景の障害者政策を巡る問題──弱者を社会的に排除する「優生思想」という考え方や隔離的な実情に言及した。(ジャーナリスト・森健/Yahoo!ニュース編集部)

障害者の2016年

──2016年は障害者にとって多くの出来事がありました。振り返って、どうお感じですか。

かつてない、非常にドラスティック(激烈)な年だったと思います。

4月に「障害者差別解消法」が施行されました。これは障害者への差別を許さない新しい社会の規範づくりで、多くの障害者が待ち望んでいた法律です。ところが、7月、神奈川県の津久井やまゆり園での相模原障害者殺傷事件が起きた。

その後、9月にはブラジル・リオでのパラリンピックで盛り上がりを見せましたが、8月、10月と視覚障害者が電車のホームから転落する事故が相次ぎました。そう考えると、今年はよかった面と厳しい面が極端に混在した1年でした。

リオ・パラリンピックで選手村に入る日本選手団。2014年から障害者スポーツの所管は厚生労働省から文部科学省へと移管された。リオ・パラリンピックの日本選手団の成績は、金メダル0個に終わった(写真: 日刊スポーツ/アフロ)

10月、全盲男性が線路に転落、特急にはねられ死亡した近鉄大阪線河内国分駅のホーム。藤井さんは「周囲の人が声をかけるという善意に頼っていては事故はなくならない。障害者のみならず、高齢者などのためにもホームドアの設置が必要」と語る(写真: 毎日新聞社/アフロ)

──「障害者差別解消法」は藤井さんも法案整備の段階から深く提言や議論に加わってきたと聞いています。

日本では1970年に「障害者基本法」という法律ができていましたが、差別や虐待を防ぐ効力がなかった。そこで、2006年、国連で「障害者権利条約」が採択された流れを受け、差別防止など実効力を上げていくためにつくったのが「障害者差別解消法」でした。

この法でとくに大事なのが差別のとらえ方で、二点で規定しています。一つは「障害を理由に入店や乗車を断る」といった「不当な差別」。もう一つは「合理的配慮の不提供」です。「合理的配慮」とは、障害者に対する一般的な支援策をいうのではありません。あくまでも個々人に合わせた支援を意味します。たとえば、改札口を広くして車いすを通れるようにする、視覚障害者のために券売機に点字を振る、などは一般支援策になります。車いす使用者に対するホームから電車への移動、ホームで困っているさまざまな障害者への駅員による個々に応じた支援、これが合理的配慮にあたります。「個々に応じた」がミソですね。合理的配慮の大切さを法にうたったことは大きいと思います。

──ただ、この差別解消法が施行された数カ月後に、あの痛ましい事件が起きました。

あのとき思いました。私たちがいままで障害者運動で積み上げてきたものは何だったのかと。音を立てて崩れたような感じでした。

藤井克徳(ふじい・かつのり)1949年福井県生まれ。1957年福井大学付属春山小学校入学、1970年青森県立盲学校高等部専攻科卒業後、都立小平養護学校(現在の都立小平特別支援学校)勤務。その後、教諭資格取得に伴って1976年より同校教諭。1981年共同作業所全国連絡会(現・きょうされん)事務局長。1982年都立小平養護学校退職。1994年、きょうされん常務理事、埼玉大学教育学部非常勤講師(2005年まで)(撮影: 岡本裕志)

質問を投げかけると、出来事の日時や法律の条文など返ってくる言葉はよどみない。全盲のため資料を目で確認できないハンデがあるが、それを感じさせない論旨の明晰さがある。

藤井克徳さんはこの数十年来、障害者運動で中心となってきた人物である。

子どもの頃から弱視で育ち、1970年、東京都立小平養護学校(現特別支援学校)に勤務。その後、青年障害者が集まって仕事ができる共同作業所「あさやけ作業所」を1974年に創設。

1981年、共同作業所の全国組織、共同作業所全国連絡会(現きょうされん)の事務局長に就任、1994年には全国的に障害者団体が団結した「日本障害者協議会」の代表となる。90年代後半、40代後半で全盲となるが、2009年、閣議決定で設置された「障がい者制度改革推進本部」では議長代理に就任、今年施行された障害者差別解消法の立案にも関わってきた。

そんな藤井さんだからこそ、7月26日の事件は筆舌に尽くしがたい衝撃だった。

相模原障害者殺傷事件の衝撃

事件は同日2時45分頃、神奈川県相模原市にある津久井やまゆり園という障害者施設(定員160人)で起きた。元職員植松聖(当時26)は刃物を持って同園に侵入。利用者19人を殺害、職員を含む27人に重軽傷を負わせた。この19人という犠牲者数は戦後の殺人事件として最多だったが、神奈川県警は「家族(遺族)の意向」として死傷者の氏名を伏せるという異例の対応をとった。

一方、事件後まもなく、植松容疑者は同園利用者の殺害計画を周囲に公表していたことが判明。今年(2016年)2月には計画を記した手紙を衆院議長公邸に持参していた(同手紙には自らは「心神喪失」を理由に無罪となる措置を依願)。同月自主退職すると、他害のおそれもあるとみなされ、緊急措置入院(措置入院とは、医師と行政の判断による強制的な入院)で10日ほど保護された。だが、それから4カ月あまり、彼は実際に凶行に及んだ。

──7月26日の朝、どんなふうにニュースを知りましたか。

あの日、私は朝早く起きて、原稿を書いていました。すると、4時半頃でしたか、NHKラジオで「相模原の障害者施設で殺傷事件が起こり、2人死亡」と第一報が流れてきた。こんな時間に何が起きたのだろうと思いました。そして5時、6時と時間が過ぎていくと、「5人」「19人」と被害者の数が増えていった。

あまりの衝撃に、途中から私はボーっとしてしまって……食卓に着いたのですが、何を食べたのかも覚えていない。そのまま東京・中野の「きょうされん」(旧・共同作業所全国連絡会)の事務所に着いて、情報収集をしました。全貌が分かってきたのは、お昼ぐらいだったように思います。

頻繁に救急車両が行き交う「津久井やまゆり園」の周辺。2016年7月26日早朝の光景(写真: 読売新聞/アフロ)

──周囲のスタッフや障害当事者にも相当な動揺が広がったのでは。

きょうされんのスタッフもみな口が重くなって、事務所全体が重い空気に覆われていました。

その後、知的障害、精神障害の当事者の人たちから、電話、メール、手紙、たくさんいただきました。とりわけ彼らの心を揺さぶったのは「元職員が加害者だった」ことでした。日が経つにつれ、自分の施設の職員さんまで疑ってしまったり、近所の人に変に見られているのではと思ってしまったり、という声も続きました。

もう一つ恐れたのは、加害者の考え方です。衆議院議長への手紙にあった「障害者は生きていても仕方がないから、安楽死させた方がいい」という主張。これはすべての障害者に向けられた言葉で、恐怖を覚える言葉でした。

優生思想に後押しされた虐行

事件後の8月5日、藤井さんは日本障害者協議会代表として声明を発表した。そこで触れたのが、第二次世界大戦時のナチス・ドイツの「T4作戦」だった。

〈容疑者の衆院議長にあてた手紙文の「障害者は生きていても仕方がない」「安楽死させた方がいい」は、ナチス政権下でくり広げられた「価値なき生命の抹殺作戦」(T4作戦)と重なります〉

「価値なき生命」とは働けない者、兵隊になれない者という意味で、対象は知的障害者と精神障害者が中心だった。藤井さんは2015年、NHKとともにドイツに向かい、20万人以上の障害者が殺されたこのT4作戦を取材した。虐殺の背景には、社会の役に立たないものは殺してかまわないという考え方があった。この考え方に近いものを植松容疑者がもっていたのではと藤井さんは懸念する。

「遺伝性障害は生涯にわたってお金がかかります。それはあなたのお金です」と訴え、障害者を安楽死させることを促したナチスの月刊誌の表紙。「T4作戦」は1939年から始められ、約20万人の障害者がガス室などで虐殺された。この手法はその後ユダヤ人の虐殺(ホロコースト)へと受け継がれた(写真: Alamy/アフロ)

私はこの事件は2つの観点から見る必要があると思います。

まず、植松聖容疑者なる者の際立った「異常さ」。重い障害者を標的にしたこと、衆議院議長への手紙の内容と実際に持参したこと、50分間で46人も刺し続けたこと。考えも行動も異常ずくめです。

反面、この事件には、彼個人の「異常さ」だけで片づけられない問題があります。彼が抱いていた「優生思想」です。彼は「障害者は不幸を作ることしかできません」と考えていた。残念ながら、こうした考えはいま社会全体を覆っているようにも思います。つまり、社会に根を下ろしている優生思想に後押しされた虐行とも言えるのです。

──どんなところに、優生思想が社会に根を下ろしていることを感じますか。

私自身は前々から感じていました。政治や行政のリーダーが、くり返し露骨な発言をしています。

たとえば、石原慎太郎氏は東京都知事在職中の1999年9月、都立府中療育センターを視察した際、「ああいう人ってのは人格あるのかね」と発言しました。2009年には、鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(当時)が、自身のブログにこう書きました。

〈高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている。結果、擁護(※注「養護」)施設に行く子供が増えてしまった〉

つい最近では2015年の秋、茨城県の教育委員会の長谷川智恵子委員が特別支援学校を視察し、「妊娠初期段階で(障害の有無が)分かるようにできないか」「茨城県では(障害児の出産を)減らしていける方向になったらいい」と発言しました。

公的で、要職にある人間が平気で障害者への差別を語るのですから、優生思想はこの国に広く根深く潜んでいるのだろうと推察できます。

では、そうした思想がどこから出てくるのか。考えるに、「生産性」「効率」「速度」「経済性」といった言葉が人間の価値を決めるような風潮と関係しているような気がします。

石原慎太郎都知事、初登庁(1999年4月23日)。「人格発言」の報道後、障害者団体が都に抗議。それに対し「一人の人間として思い悩むことを問いかけた」と都議会で答弁した(写真: 毎日新聞社/アフロ)

「隔離」という異常事態

──確かに「役に立つかどうか」を重視する考え方は、いま広く世の中に広がっているのを感じます。一方、8月の声明では、施設の防犯策だけを高めようとするのはあまりに浅薄な対応と批判しました。

そうです。あの事件の際、大量殺人の衝撃に埋もれてしまった議論が3つあります。

第一に、あの津久井やまゆり園という大型施設をどう考えるか。高尾山のふもとに約150人、滞在は無期限。これは客観的に言えば「隔離」なんです。しかし、事件そのものがあまりに衝撃的だったためか、入所施設のありようについてはまったく論じられなかった。

第二に、匿名報道。今回は「家族の要望」で匿名となったというのですが、この判断に違和感を禁じえません。家族からは他の兄弟や姉妹の就職や結婚に影響するという声もあるそうです。亡くなった被害者はすべて成人に達していて、家族とは人格は別の存在です。匿名報道自体が、個々の尊重からは遠く、結果的には問題の隠ぺいにもつながりかねません。日本の障害問題の本質の一端を表しているのではないでしょうか(編集部注:12月19日、神奈川県警は家族の同意が得られたとして負傷者2人の実名を初めて公表した)。

第三に、あれだけ凄惨な事件があった現場に、事件後約3カ月を経ても60人ほどが住んでいるという事実。あのような事件があったら、ふつうは辛さや怖さから逃れたくなるのではないでしょうか。行政の言い分として「慣れた場所がいいのでは」などとありますが、詭弁としか聞こえません。障害者だから許されるのだと思います。

この3点は、いずれも異常なことです。言い方を変えれば、障害ゆえに許されるのであり、障害ゆえの異常と言っていいのではないでしょうか。150人も入所していなければ、19人が亡くなり、27人が重軽傷を負うこともなかったかもしれない。この環境自体が人権侵害なんです。しかし、このことについて国や神奈川県の検証は向き合っていません。基本的にはメディアも同様です。極めて残念です。

事件当時157人が入所していた神奈川県の指定管理施設「津久井やまゆり園」。被疑者の植松聖は午前2時頃、東棟1階の居室の窓ガラスを割って侵入、19人を殺害、27人に重軽傷を負わせた(写真: 毎日新聞社/アフロ)

──2004年に厚生労働省は「入院医療中心から地域生活中心へ」という方策を掲げ、障害者が病院や施設ではなく、地域の中でともに暮らしていく社会を目指しました。その理念のもと整備されたのが障害者自立支援法(2005年成立。2013年に障害者総合支援法に改正)です。同法は障害者が地域の中で暮らしやすくなるよう福祉サービスを受けられる法整備でしたが……。

「地域へ移行」という理念や方向性はよかったんです。問題は、障害者が地域で生活を維持していくときの公的支援があまりに不十分なことです。最近は小規模で障害者がともに生活するグループホームもありますが、圧倒的に不足しています。「地域生活」の実態は「障害当事者の高齢化した親に丸投げ」なんです。

さらに、財政効率論や社会防衛論に基づく政策が見え隠れするのです。障害者が本格的に地域で暮らすとなると、ヘルパーやグループホームなどを大幅に整備しなければならない。また、個々に対する所得補償も今の障害基礎年金(多くは2級で月額6万5000円)だけではどうにもならないと思います。その点で、施設への集約政策が有効とみているのが行政の本音ではないでしょうか。加えて、この集約政策は隔離政策とも通底するもので、「障害者は危うい者」とする考え方と重なっているのです。さすがに、言い方はそう露骨ではありませんが、変わらない入所施設偏重政策を見れば、お金をかけたくないという財政効率論、そしてもう一つ(責任能力に欠ける人による犯罪を予防するという)社会防衛論が政策の基本にあることは明らかです。

藤井さんがここで指摘したのは「社会的入院」という問題だ。

社会的入院・入所とは、医療的な理由ではなく、地域での受け皿がないという社会的な理由で医療機関・施設に入っていることをいう。この入所者数が、日本は世界で際立って多い。「平成28年版 障害者白書」によれば、身体障害者が7万3000人、知的障害者が11万9000人、精神障害者が31万3000人、実に計50万5000人が入所している。知的障害者の6~7人に1人は入所しており、精神障害者では1年以上の入院が20万人以上もいる(厚生労働省・患者調査)。

こうした日本の現状は世界と比較すると異様だ。OECD(経済開発協力機構)の先進国での精神病床の平均入院日数は36日だが、日本の平均入院日数は298日。人口10万人あたりの精神科の病床数は、OECD加盟国平均は68床だが、日本はその4倍の269床もある。藤井さんは、WHOの統計資料をもとに「世界のすべての精神科病床の2割が日本に集中している」という。建前としての理念は掲げるも、事実上、障害者は隔離された施設や病院にいつまででも入れておけ、というのが日本の障害者政策の実相だ。

だが、そんないびつな環境をただちに弾劾することもまた難しい。なぜなら今回の相模原事件では、植松容疑者自身も一時緊急措置入院させられていた(2016年12月現在、責任能力の有無を見極めるため、精神鑑定で留置)。植松容疑者が精神疾患であるかどうかははっきりしないが、措置入院問題を大きく浮上させたことは間違いない。

藤井さんは、相模原事件は障害問題の「パンドラの匣(はこ)」を開けてしまった感があるという。

事件を風化させないための手がかり

──植松容疑者の蛮行の裏に、障害者を地域がどう受け入れるかという問題があったわけですね。

むろん、彼の言動は絶対に容認できません。捜査当局、司法は厳しく真相を解明してほしい。同時に、今回の事件は、日本社会が積み残してきた障害者に関わる問題や課題を一気に噴出させました。それは、知的障害者の入所施設偏重政策、社会的入院の問題を含む精神医療のあり方、障害者個々の経済基盤の脆弱さ、家族の過剰な負担、根強い障害者差別……などです。これらの問題現象ですが、このこと自体が「障害者はかわいそう」とか「障害があればやむを得ないのでは」といった偏見を助長し、ひいては優生思想的な考え方を醸成するのではないでしょうか。

政府も国会も、あげてこれらの課題に向き合うことが犠牲者への償いになる道だと思います。遅れに遅れた日本の障害者政策のターニングポイントとすべきで、そこに真剣に向かうときに、優生思想と対峙する明確なメッセージが発せられるのではないでしょうか。

その点で気がかりなのは、すでに事件の風化が始まっていることです。何としても風化させてはなりません。

──どうすれば風化させないことができますか。

いくつかの手がかりがあります。その一つとして、日本も2014年に批准した国連の障害者権利条約を活かすことです。たとえば、その中の第17条にはこうあります。

〈全ての障害者は、他の者との平等を基礎として、その心身がそのままの状態で尊重される権利を有する〉

つまり、障害者が社会や他者に合わせて努力せよということではなく、社会の側から障害者に近づいていこうということ。これはまさに優生思想とは正反対の考え方で、国際的にも大事な考え方とされています。

人は誰しも病気や事故、高齢などによって障害をうける可能性があります。厳密に言えば、亡くなる寸前には例外なく障害をくぐるのです。自身の一生涯という観点に立てば、あるいは親族まで視野に入れれば、障害の有る無しの二項対立という構図がいかに意味がないかが分かるように思います。

こうした考え方に立つと、特別な聴診器を得るように、障害のある人の声なき声が、そしてやまゆり園の19人の犠牲者たちが最期に言おうとしたことが聴こえてくるはずです。きっと自身の人生の質にもかけがえのないものをもたらしてくれるに違いありません。一人ひとりがほんのわずかでも想像力を働かせるのも、風化を防ぐことにつながります。

やまゆり園事件は、障害のある人の社会参加とはどうあるべきかをはからずも明らかにしてしまったと藤井さんは言う。「国会、政府、市民が一緒になって考えるということが、犠牲になった19人の御霊(みたま)に対して我々ができることではないか」(藤井さん)(撮影: 岡本裕志)


森健(もり・けん)
1968年東京都生まれ。ジャーナリスト。2012年、『つなみ――被災地の子どもたちの作文集』で大宅壮一ノンフィクション賞、2015年『小倉昌男 祈りと経営』で小学館ノンフィクション大賞を受賞。著書に『反動世代』、『ビッグデータ社会の希望と憂鬱』、『勤めないという生き方』、『グーグル・アマゾン化する社会』、『人体改造の世紀』など。
公式サイト

[写真]
撮影:岡本裕志
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝

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