2012年4月、自民党が野党時代に策定された「自民党憲法改正草案」。野党はもちろん、日本弁護士連合会など各界から批判が寄せられている。この草案、現行憲法と何が異なり、何が問題なのか。長く憲法議論を主導してきた担当者、船田元・前自民党憲法改正推進本部長、野党からは江田五月・前民進党憲法調査会長にその中身を問うた。「9条」では「戦力の不保持」が「国防軍」に変更され、13条では「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」と国家的な意味合いが強く押し出されていた。ここでは「表現の自由」「家族」「緊急事態条項」について聞く。(ジャーナリスト・岩崎大輔、森健/Yahoo!ニュース編集部)
「変更」だけでなく「削除」「新設」もある自民党草案
自民党改正草案には、13条の「公共の福祉」から「公益及び公の秩序」への変更のように、現行憲法から各種表現を変更し、意味も変えているものが少なくない。
中には、まるごと新たに設定された条文もある。
たとえば、21条の「表現の自由」では、1項は現行憲法を踏襲しているが、よく見ると「前項の規定にかかわらず」として、自由に制限を加えた2項が新設されている。
項目がまるごと新設されたところもある。「家族」や「緊急事態条項」という項目だ。
「家族」には「互いに助け合わなければならない」と、道徳的な価値観が持ち込まれ、「緊急事態条項」では戦争など「武力攻撃」といった惨禍を想定しつつ、「何人も(中略)措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない」と、強制的な服従義務規定を記している。
なぜそのように変更されたのか、「『自民党草案』が変えたもの 与野党憲法担当者に問う」と同様、船田元・前自民党憲法改正推進本部長にその意図を尋ねるとともに、江田五月・前民進党憲法調査会長に野党としての意見を聞いた。
21条:現行法「一切の表現の自由を保障する」に、制限を加える条項を新設
現行憲法第3章の21条「表現の自由」。現状では「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」となっている。
ところが、改正草案ではこの21条に2項が設けられ、「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」と制約が付された。
この場合の「公益及び公の秩序を害すること」が具体的にどんな活動で、どの程度のものなのかは示されていない。そのため、集会や出版を行う表現の自由について、行政や警察などの「公」側が恣意的な解釈を広げられる記述になっている。
護憲派で知られる伊藤真弁護士は著書でこう指摘する。
<「公益及び公の秩序を害することを目的とした」とつけたことによって、「政府の方針」とは違う表現活動や集会・デモなどにも規制がかかる可能性があります。たとえば政府が原発再稼動を決めた場合に、脱原発集会やデモは許されない、ということにもなります>(『赤ペンチェック 自民党憲法改正草案』)
こうした懸念について尋ねると、船田氏もその可能性を否定しなかった。
デモや集会には「公益及び公の秩序を害する」ものがあるかもしれない
船田元・前自民党憲法改正推進本部長
21条の「表現の自由」でも「公益及び公の秩序」と新たな文言が出ていますので、表現の自由、集会、結社、言論、の自由について不安視される方が多いようです。自民党としては、それらの自由を侵害するつもりはなく、やや誤解を招く書き方でもあるかもしれません。
憲法というものを考えるとき、国の制度的な面がハードとするなら、憲法でハードを整えるのは当然の話。ただし、思想や信教、表現といったソフトに憲法が立ち入るのはよろしくないという議論は党内でもあります。
ただ、デモや集会といった運動をどう考えるか。ここは議論が必要ですが、広い意味でその中に「公益及び公の秩序」というものと照らして、よほどのものであれば、それを「害する」という見方が出てくる可能性もあります。あえて言うなら、かつての騒乱罪(戦前、自由民権運動などの鎮圧のために制定)につながるようなものを想定して記したのかもしれません。そうした批判が寄せられることは、この改正草案の起草者たちは覚悟して書いていると思います。
この文言の意図は、権力者にとって気に障ることはさせないということ
江田五月・前民進党憲法調査会長
これはひどい文言です。権力側が意に沿わない報道を「公の秩序を害する」と判断したら法律違反として罰せられると読めます。自由自在に解釈でき、権力が介入しやすい。
昨年6月、自民党の若手議員で組織する「文化芸術懇話会」の勉強会に招かれた作家が「沖縄の二つの新聞は潰さないといけない」と暴言を吐き、参加した自民党の議員も同調しました。こうした場面で、権力側から気に入らない報道機関に対して「公益及び公の秩序」が持ちだされる可能性もある。結局、「公の秩序を害すること」という文言を入れる意図は、権力者にとって気に障ることはさせないということです。本来の自由は、権力者、体制が気に障ることをしても咎められないものです。
いまさらの話かもしれませんが、戦前や戦争中は、権力にとって不都合な自由な出版はできませんでした。戦後71年間、自由に報道ができたのですが、その根拠にあったのが「表現の自由」を保障する現行憲法です。この自民党改正草案の条文は、その自由を覆しかねない悪条文です。
24条:絆を大切にすべき、と「家族」条文を新設
現行憲法24条は「婚姻は両性の合意のみに基いて成立」と記している。ここで意図されているのは、戦前にしばしば起きていた一族係累による不当な結婚への介入の防止だ。旧民法が規定する「家制度」では、婚姻=結婚には家長(戸主)の同意が必須であり、個人の自由意思よりも家の維持という目的が優先された。そうした社会への反省から、戦後の現行憲法では、結婚はその当事者自身の「両性の合意のみに基いて成立し」と記したことで家制度に制限を加えた。
ところが、自民党改正草案はそんな戦前の制度を想起させるような新しい条文を24条の冒頭に置いた。
<家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない>
戦前の「教育勅語」には、「父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ」(親に孝行し、兄弟仲よく、夫婦仲睦まじく)といった文言があるが、改正草案の新条文の「家族」には、そんな道徳的価値観が滲んでいる。
個人主義は行き過ぎ、家族の絆を大切にすべきという意見
船田元・前自民党憲法改正推進本部長
24条に追加した「家族」条文は、弁護士会からも「個人の主義主張に手を突っ込んだ上、生き方にも口を出すのか」とひどく批判を受けました。同様に、各議員が地元に帰った際、地元の県連などでも「これはどういう条文か」という批判や疑問が数多く寄せられています。そうした批判を受けて、現在は党内でも「憲法に書き込むのは草案全体の価値を下げる」という意見が複数上がっています。
また、「家族」の規定については、「日本会議」(保守主義を標榜する民間団体。会員に安倍首相や稲田朋美防衛相など閣僚も多数)の考え方と同じだとの批判もあります。日本会議からそう言われて書いたわけではないでしょうが、2012年の改正草案の策定メンバーに考えが近い人が多かったのは確かでしょう。ただ、それ以前から自民党では、昨今家族の絆が薄くなり、個人主義が行き過ぎではないかという世情の変化に対する反省はもっていました。そうした変化に対して、やはり家族の絆を大切にすべき、という意見は複数ありました。
ただ、憲法はスローガンではなく、普遍的なものです。家族という生き方に関わる価値観を憲法に書きこむのは馴染まないと私も思っています。国の仕組みや制度が憲法のハード面だとしたら、思想・信条といった内面のソフト面です。そこに踏み込むべきではない。党内でもそうした意見が増えています。戦前の「教育勅語」にも家族観への言及がありますが、そういうものに引っ張られてしまったのかなと感じています。
つまらない価値観の押し付け
江田五月・前民進党憲法調査会長
「家族が互いに助け合わねばならない」という記述は、まったく論評に値しないものです。
こんなつまらない価値観を押し付けたいのなら、思い切って「国民は25歳までに結婚して、2人以上子どもをつくれ」と書き込んでもらったほうがせいせいします。
自民党の一派は、戦前や昭和の古き良き家族観を持ち込みたいのだろうが、そんな価値観は時代と合わないし、そんなことを憲法に書き込もうとすれば、国民の側から反発を招きます。これは自民党員の家訓で十分です。
「緊急事態条項」の追加――「戒厳令」との違いは
第二次安倍政権が憲法改正の論議を進める際に、たびたび言及してきたのが「緊急事態条項」だ。
「武力攻撃、内乱による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態」において、首相が「緊急事態」を宣言でき、国民は指示に従わなければならないという内容だ。穏やかならざる内容だが、同条項が生まれたのは東日本大震災での原発事故で避難指示や対応策に必要だと考えられたからだとされる。
武力による攻撃などの戦時も想定され、いわゆる「戒厳令」が想起される内容だが、戒厳令では軍が統治権をもつのに対し、緊急事態条項は政府が一切の命令を出すという点が異なる。とはいえ、仮に「緊急事態」という状況になったとして、政府が国民に対して命令を出すという点には抵抗感を覚える人も少なくないだろう。
他国との比較で必要と考えた
船田元・前自民党憲法改正推進本部長
この条項を入れたのは、多くの国の憲法において書かれている緊急事態に対する条項が日本国憲法にはなかったからです。それは必要だという議論がありました。国会議員としては、そうした他国との比較で必要と考えた。また、憲法として、法で定めたものの確度を高める法定主義、規律密度を高めたいという思いもあり、「緊急事態条項」の条文はやや詳しく、分量が多くなっています。
ただ、この条項への反応はたしかによいとは言えません。2014年1月から自民党は憲法キャラバン隊を組み、この改正草案の周知キャンペーンを行いました。各地を回っているとき、寄せられた不安の声で多かったのがこの条項でした。政府が緊急事態を宣言したら「何でもできてしまうのでは」と戒厳令のように捉える女性が多かった。戦争に連なるような、そんな不安がこの条文にはあるかもしれません。
総括すれば、現在は党内でもこの改正草案は「エッジが立ちすぎた」という意見が多く、これを改憲議論のベースにはせず、過去の「歴史的文書」という扱いにしたいという意見が増えています。
なぜなら、憲法改正はできるだけ多くの国民の理解を得なければならず、それは当然、国会においても他の党から合意を得やすいものでなくてはならないからです。だとするなら、憲法改正を提案する際には新たな気持ちで臨みたい。この改正草案は党の総務会も通った正式な文書ですが、現在はそのまま使う文書ではなく、過去に存在した「歴史的文書」という認識で議論を進められればと思っています。
災害など緊急事態への対応のために憲法を改正する必然性はない
江田五月・前民進党憲法調査会長
緊急事態条項はじつは旧民主党時代から、我々も検討していた項目です。ただ、それには東日本大震災が関係しています。あの原発事故収束策の一つに、東京消防庁の持っている特殊な放水車を使えないか、という話が出ました。だが、東京消防庁の指揮権は東京都知事がもっており、国が関与できないと言われた。国家の一大事にそうした困難が多く生じたので、緊急事態に対応できる条項が必要ではないかと考えたのです。
しかし、その後、現行の災害対策基本法、災害救助法なども駆使すれば、国が東京消防庁を動かせることもわかりました。仮に齟齬があるならその部分だけ修正すればいい。
要は、新たな条項を用いてまで憲法を改正する必然性はないというのが現時点の党の結論です。この条項は首相への権限集中があり、戒厳令のような不当な人権制約につながる恐れがあります。緊急事態を口実に基本的人権を制限したいがゆえに、この条項を潜り込ませたとも解釈できます。
原発事故は大変な事態でしたが、例外的なことを憲法に設けて国民の権利や自由に制限をかけてよいのか。国民への制限という議論には、もっと議員は慎重になるべきです。
こまごまと批判はしましたが、全体としてこの改正草案には大いに問題があります。今後自民党がこの改正草案にこだわるとすれば、徹底して議論を戦わせなければならないでしょう。
改憲は安倍首相の祖父・岸信介元首相の悲願でした。もし安倍首相が悲願を叶えるために憲法を改正したいというのでしたら、憲法をおもちゃにしていることになります。そんなことは断じて許せません。
すでに始まっている改憲の議論
「自民党草案は『個人』の前に『公』や『国家』があるんです」
そう江田氏が指摘するように、現行憲法と比べると、自民党改正草案は多くの点において国家が前面に出たように映る内容だ。
9条では「国防軍」の設置や軍事裁判所としての「審判所」など積極的な戦力が肯定される一方、「基本的人権」を確認する97条が削除され、複数の条文で「公益及び公の秩序」という国家としての権利が前面に出された。
そして、「個人」が「人」という不特定の単語に変更されて「個人」の権利が曖昧になる一方、集会や結社といった「表現の自由」では、「デモのような運動」まで「公益」を「害する」とみなす解釈が否定されない。「婚姻」に関しては「家族」という価値観が持ち込まれ、有事に際しての「緊急事態条項」も新設される。
これらの各所をはじめ、2012年草案全体からうかがえるのは、自民党の野党時代に策定され、「保守としての性格を出すためにエッジを立たせすぎた」(船田氏)という背景だ。
船田氏によれば、今後の議論すべきテーマの流れはおよそできているという。
「すでに、2014年秋、2015年春の2回にわたって国会の憲法審査会で審議を行っており、緊急事態条項、環境権、財政規律について議論を進めることは社民・共産以外の政党とは合意できています」
もちろん議論の方向性が決まったからといって、発議できる条文がすぐに確定されるわけではない。
具体的な手続きは、衆参両院の憲法審査会で改正したい条文案に関する議決がとられ、そこで過半数で賛成されると、改正案は衆参両院の本会議に送られる。そこで3分の2が賛成すれば、憲法改正案が発議される。そこまで進んで、国民投票が行われるという流れだ。
だが、国民投票の段階では、国民側は「賛成/反対」しか意見表明できない。だとすれば、大事なのは、今秋の臨時国会から始まる衆参の憲法審査会での議論に耳を傾けることだろう。その議論を支持したり、批判したりすることが、実質的な議論への参加となる。
憲法という国家の骨組みを前に、何を残し、何を変えるのか。国民にとって憲法を見つめなおす試練が始まっている。
岩崎大輔(いわさき・だいすけ)
1973年静岡県生まれ。ジャーナリスト、講談社「FRIDAY」記者。主な著書に『ダークサイド・オブ・小泉純一郎「異形の宰相」の蹉跌』、『団塊ジュニアのカリスマに「ジャンプ」で好きな漫画を聞きに行ってみた』など。
森健(もり・けん)
1968年東京都生まれ。ジャーナリスト。2012年、『「つなみ」の子どもたち』で大宅壮一ノンフィクション賞、2015年『小倉昌男祈りと経営』で小学館ノンフィクション大賞を受賞。
公式サイト
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撮影:岡本裕志
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝
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