岡本裕志

「自民党草案」が変えたもの――与野党憲法担当者に問う

2016/10/6(木) 11:45 配信

臨時国会で憲法改正論議が始まる。「憲法はどうあるべきか。その案を国民に提示するのは、私たち国会議員の責任であります」。9月26日、安倍晋三首相は所信表明演説でそう語り、憲法審査会の議論を深めていこうと訴えた。その議論のベースとなっているのが、2012年4月、自民党が野党時代に策定した「自民党 日本国憲法改正草案」である。だが、この草案に対し、野党はもちろん、弁護士会や学術界など各方面から「立憲主義の崩壊だ」「戦前の明治憲法への回帰だ」といった批判が寄せられている。この改正草案、何が書かれており、何が現行憲法と異なるのか。自民党、民進党で長く憲法議論を主導してきた担当者2人、船田元・前自民党憲法改正本部長、江田五月・前民進党憲法調査会長に尋ねた。(ジャーナリスト・岩崎大輔、森健/Yahoo!ニュース編集部)

何が変えられたのか

「わが党の案をベースにしながらどう3分の2を構築していくか。これがまさに政治の技術だ」

参院選直後の7月11日、安倍首相は会見でそう述べた。「わが党の案」とは、2012年4月に策定した「自民党憲法改正草案」のことだ。この草案の発表時、自民党総裁だった谷垣禎一氏は「自民党の憲法改正の考え方を国民に問う」と述べたが、改憲派の小林節慶應義塾大学名誉教授は「国家権力と国民の関係が逆転し」「完全に国が主体になっている」(注1)、護憲派で知られる伊藤真弁護士は「近代憲法の基本を蔑(ないがし)ろにした看過できない問題点が多く含まれている」(注2)と批判した。

(注1)樋口陽一、小林節『「憲法改正」の真実』2016年3月、集英社刊
(注2)伊藤真「自由民主党「日本国憲法改正草案」について」2013年1月、web公開

たしかに同草案を現行の日本国憲法と比べると、憲法の骨格ともいえる「国民主権」や「基本的人権」に関する重要な点でいくつも変更がある。主要な変更点を挙げると、次の8点だ。

列記したこれらの内容、ちょっとした言葉の「言い換え」程度に映るかもしれないが、その言い換えが憲法というものの骨格自体の変化につながっている。

たとえば現行の日本国憲法97条では、第10章「最高法規」として「基本的人権」が記されている。

<第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。>

ところが、自民党改正草案では、97条はまるごと「削除」されている。

これに対し、日本弁護士連合会(日弁連)は、2014年2月、会の総意として全面的な批判となる意見書を発表した。戦前の大日本帝国憲法のもと、天皇から与えられた「臣民の権利」さえ抑圧された経験があり、日本国憲法では97条を設けることであらためて基本的人権の「永久・不可侵」を確認したと意見書は指摘した。

また、言葉の言い換えが重大な変化をもたらしたものもある。

たとえば、現行憲法で使われている「公共の福祉」という言葉は、改正草案では「公益及び公の秩序」と変更されている。日弁連によれば、「公共の福祉」とは「人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理であるとする考え方」でその主体は国民である。だが、「公」という言葉の主体は「国家」である。改正草案では、国家の論理を優先しており、「基本的人権は有名無実なものとなる」と指摘した。

つまり、日弁連は、自民党の改正草案の主体は「国民」ではなく、「国家」だというのだ。

いったいこの改正草案で自民党は何を意図し、野党は何を問題視しているのか。

9条:「戦争放棄」から、国防軍を保持する「安全保障」へと変化

現行憲法と改正草案を比較したとき、最初に気づく大きな変化が「9条」だろう。現行憲法で9条の章名は「戦争の放棄」だが、改正草案では「安全保障」となっている。条文を見ても、違いは明らかだ。

現行憲法では条文の2項に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」「国の交戦権は、これを認めない」と明確に戦力の不保持・不行使を謳っている。だが、改正草案では「自衛権の発動を妨げるものではない」「国防軍を保持する」と「軍」の存在を認め、戦力の保持を肯定している。

同時に、改正草案の3項では「国は、主権と独立を守るため、国民と協力して」とあえて国民への「協力」を求める文言を出したうえで、領土・領海・領空の保全を謳っている。

また、もう一つの大きな特徴は、2項の5に「国防軍に審判所を置く」と、いわゆる軍事裁判所の設置を認めていることだ。現行憲法は76条で、軍事裁判所のような「特別裁判所」は設置できないとしている。改正草案でもその条文はほぼ引き継がれているが、一方で通常の裁判所とは異なる「審判所」という機関を新設していた。

大きな変化が見られる「9条」について、船田元・前自民党憲法改正推進本部長は「9条改正は自民党の党是」と述べ、江田五月・前民進党憲法調査会長は「これを改正すると軍事化に歯止めがきかなくなる」と強く反発する。

現行憲法は、軍事法廷などの特別裁判所は設置できないと定めており、最高裁を頂点とする裁判所のみが司法を担う(写真: アフロ)

冷戦当時とは異なる危うい世界状況

船田元・前自民党憲法改正推進本部長

9条は素直に読むと、自衛隊の存在も「違憲」と捉えられます。そんな憲法を長い間、政府は「解釈」することで対応してきました。

しかし、冷戦当時と異なり、いまの世界状況で「戦力不保持」を主張するのは難しいでしょう。北朝鮮は核武装化を進め、中国は南シナ海を埋め立て、軍事拠点化を進め、安全保障の見直しを迫られてもいる。この危うい状況下で、自衛隊を憲法上の位置づけが曖昧な存在にしておくのは安全保障上、問題だと思われます。この9条を、日本の自衛権などの問題として改正すべきというのは、もともと自民党の党是でもありました。

たしかに「国防軍」という名前には党内でも「勇まし過ぎる」という懸念の声もあります。この改正草案立案時、私自身は落選中で議論に参加できていなかったのですが、「国防軍」という名称には安倍首相の意向が強かったと聞いています。英語表記で「Self Defense Force」ではなく、「National Defense Force」にしたいと考えて「国防軍」としたということです。

また、ご指摘のように「審判所」とは、軍事裁判所のことです。軍隊が活動するうえで、一般の法律とは異なる軍法はどうしても必要です。たとえば一般法しかないまま他国の紛争地へ行き、銃撃戦で他国の兵を負傷させたとします。一般法の刑法で捉えれば、それは傷害罪や銃刀法違反罪になってしまう。軍事法規定がないと、自ずと兵士が困った立場におかれてしまうのです。その一方で、「軍事裁判」という響きは「戦前を思い出す」という批判もありました。そこで、軍事裁判所の名称を使わず、審判所としたのです。

自衛隊は国民に理解されている現実もあります。そんな現実と解釈のギャップも限界に近づいている。だとすれば、9条改正は必須と思います。

船田元(ふなだ・はじめ)1953年、栃木県宇都宮市生まれ。1976年、慶應義塾大学卒業。1979年、25歳で衆院議員に初当選。1992年、39歳で経済企画庁長官に。1993年、新生党結成に参画。1997年、自民党復党。2014年、憲法改正推進本部長。当選11回(撮影: 岡本裕志)

国防「軍」となった自衛隊の活動にどこで歯止めをかけられるのか

江田五月・前民進党憲法調査会長

江田五月(えだ・さつき)1941年、岡山県岡山市生まれ。東京大学在学中の1965年、司法試験に合格。判事補を経て、1977年、急逝した父・三郎氏の遺志を継ぎ、参院全国区で初当選。その後、衆院4回、参院3回当選し、科学技術庁長官、参院議長、法相、環境相を歴任。民進党最高顧問、憲法調査会会長も務めた。前回の参院選に立候補せずに引退。現在は地元・岡山での弁護士活動に加え、公益財団法人日中友好会館会長(撮影: 岡本裕志)

民進党の憲法調査会では、9条の1項、2項はそのまま保持が党の方針です。ただ、そのうえで、新たに3、4項を設ける案が出ています。3項で「自衛権」を認め、4項で「集団安全保障権」を認める。現行憲法には明文の記載はありませんが、長いこと「個別的自衛権はある」と解釈をしてきました。それなら「自衛権」を条文にしっかりと明記しようというのが狙いです。旧民主党時代から個別的自衛権を憲法に加えることは党内で合意できています。

しかし、昨年集団的自衛権を認める「安全保障関連法制」が成立しました。そんな変化のあとで、自衛隊が「(国防)軍」と変われば、どこで歯止めをかけられるのか危ぶまれます。

そうした自衛隊への懸念の一つが、「審判所」という軍事裁判所規定です。旧民主党時代を振り返っても、軍法会議をつくるか否かの議論もしていません。実際、現行憲法には76条に「特別裁判所は、これを設置することができない」とあり、軍事裁判所は設けられません。自民党の草案にもこの条文は残されています。にもかかわらず、自民党改正草案の9条5項に「国防軍に審判所を置く」とし、抜け道を残しました。

安保関連法が成立したことで、自衛隊が海外に出る機会が今後増えるかもしれません。そこへ「審判所」という軍法会議を設置するという。審判所ができれば、軍法会議を伴う活動、つまり、より武器使用が増えるような活動が行われる可能性が高まるでしょう。

そうした起こりうる変化を考えると、自衛隊を国防軍にすること、その軍のための法規をつくることは、いずれも賛成できません。そのようなものは必要ありません。

13条:現行法「公共の福祉」と自民党草案「公益及び公の秩序」との違い

現行憲法の第3章「国民の権利と義務」には、国民にとってもっとも重要な「基本的人権」や自由や権利が記されている。

だが、改正草案では前述のように「公共の福祉」という言葉が「公益及び公の秩序」に変わった。具体的にどんな変化があるのか。たとえばこんなケースで考えてみる。

国が主導する工業地帯や道路の開発の結果、周辺に公害が発生、公害病にかかった住民が国を訴えたとする。「国(国民)の産業発展・経済成長・交通インフラ充実」の権利と「地域住民の健康」の権利の衝突を司法が調整するが、その司法判断において、2つの権利に上下関係はない。これが現行憲法の「公共の福祉」の考え方で、2000年に判決が出た尼崎公害訴訟(写真参照)はそんな事例だろう。

だが、もしこれが改正草案の「公益及び公の秩序に反しない限り」という文言となれば、どうなるか。国の主張は「公益」として優先されるべきもの、住民の主張はそれに反する「私益」という意味合いが生じ、司法判断は国側に有利に傾く──そんな可能性を否定できない。

自民党がつくった「日本国憲法改正草案Q&A増補版」でも、こう記されている。

<「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活のことを意味します。個人が人権を主張する場合に、人々の社会生活に迷惑を掛けてはならないのは、当然のことです。>

13条のもう一つの変化が、「個人」という単語から「個」が抜けたことだ。単独の個人ではなく、複数人ないしは漠然としたイメージの「人」という言葉に変えられている。

思想や良心の自由についても変化がある。現行憲法では「侵してはならない」というあらゆる権力介入への強い禁止表現が使われているが、改正草案では「保障する」となっており、「自由」に関して、国家が許可して与えてあげているような表現となっている。

これについて尋ねると、船田氏は戦後の裁判で個人の利益を優先したことに反省があると語った。

1988年に始まった尼崎公害訴訟では、道路による大気汚染の被害をめぐり、住民が、国、阪神高速道路公団および9企業を訴えた。2000年、国・公団に損害賠償を命じる神戸地裁の判決が下り、原告・被告ともに控訴したが、その後、和解が成立した(写真: 毎日新聞社/アフロ)

「私益」より「公益」が優先することがある

船田元・前自民党憲法改正推進本部長

13条の「公共の福祉」という言葉は、改正草案では「公益及び公の秩序」と変えました。これはかねてより「公共の福祉」という概念がわかりにくいのでは、という意見があったためです。

意図するところは、「公益」対「私益」で争った際、「私益」よりも「公益」が優先することがありますということです。

たとえば、ある道路を拡幅するという話が起きると、「環境か開発か」との議論になります。道路の近くに暮らす人は騒音への不満が出ますが、道路ができれば、多数の人の利便が高まり、経済効果が上がります。その時、どちらを尊重するか。戦後の裁判では、公共事業を進めるよりも、個人の利益を尊重する判決が多く出ました。しかし、いま考えると、すべてそうした判決でよかったのかどうか。もちろん、常に公共の利益を優先させろと言いたいのではありません。「公益」と「私益」を天秤にかけるとき、裁判所は公正な判断をしてほしいという考えで、この表現としたのです。

また、「秩序」という言葉にしたことで、国家の「治安維持」のような印象を持つ方が多いかもしれませんが、必ずしも国家を優先することを意識したものではありません。改正草案の「公の秩序」の意図としては「公共の福祉」と同じく、個人の「私益」と「私益」がぶつかった際、うまく調整する概念と考えています。

また、「個人」を「人」に変えたのも考えがあります。「個人」という言葉は「個人主義」の考えに通じるという意見がありました。個人主義という概念は西洋で生まれたものですが、私たち日本人が大事にすべきなのは、個人というより、国民の一人、地域社会を構成する一員、家族を構成する一員ではないか。行き過ぎた個人主義を尊重するのはどうかという議論が党内にあったのです。そういう位置づけをすべきという議論から、「個人」を「人」に変えたのです。

(撮影: 岡本裕志)

自民党草案は「個人」の前に「公」や「国家」がある

江田五月・前民進党憲法調査会長

「公共の福祉」という概念が「公益及び公の秩序」と変更され、「個人」が改正草案では「人」となって「個」の字が消えました。これは、憲法「改正」どころの話ではなく、「新設」というほどの大きな変化です。

「公共の福祉」は、個人と個人の人権がぶつかった場合に機能する調整原理というのが憲法学での理解です。対して、「公の秩序」は個人が主体ではなく、「公の中にあらかじめ秩序がある」という発想が原点です。これは主体が「個人」ではなく、「国家」という思想で、近代的な「憲法」というものが規定する概念と正反対です。

たとえば、公的施設の建設に際して、「個人」と「国家」で権利を争ったとき、この改正草案の憲法のもとでは、国家の利益が、個人すなわち国民の利益より優先される可能性があります。

つまり、自民党改正草案では、「個人」の前に「公」や「国家」があるんです。本来、近代国家を構成する概念、「国民主権」とは一人一人の個人が主権者であるという意味です。その主権者が集まって、国会をつくり、法律をつくり、国家を成り立たせている。その法的基盤が憲法です。だからこそ、立憲主義といわれるわけです。その基本的な哲学すら、自民党の改正草案は変えてしまっているわけです。

(撮影: 岡本裕志)


「エッジが効いた」「勇ましい内容」

小泉政権下の2005年に策定された自民党改正草案では、天皇は「象徴」のまま維持され、自衛隊は「自衛軍」という表記。前文では「価値観の多様性」に触れるなど、保守色は抑えられていた。

ところが、自民党が野党時代につくられた2012年草案では、天皇は「元首」となり、自衛隊は「国防軍」とさらに強い表現となった。国民よりも国家を主体とするような文言が増えたのが、ここで取り上げている現改正草案の特徴だ。

この変化の背景について、船田氏が説明する。

「当時、政権を奪還したい、という強い思いがあった。自民党らしさを強調したい──そんな保守系の考えが強く出て、“エッジが効いた”“勇ましい”内容になったようです」

たしかに改正草案を読んでいくと、そんな“勇ましい”表現が少なくない。実際、9条で「戦争の放棄」を「安全保障」に変え、「自衛隊」を「国防軍」にしたのはその骨頂だろうし、「私益」より「国益」が優先されるような憲法は他国と比べても「エッジが効」きすぎている感覚は拭えない。

では、ほかの項目はどうか。
「表現の自由」や「婚姻・家族」、「緊急事態条項」についても改正草案では、新たな追記がなされていた。

自衛隊航空観閲式に列席した安倍首相(写真: ロイター/アフロ)


岩崎大輔(いわさき・だいすけ)
1973年静岡県生まれ。ジャーナリスト、講談社「FRIDAY」記者。主な著書に『ダークサイド・オブ・小泉純一郎「異形の宰相」の蹉跌』、『団塊ジュニアのカリスマに「ジャンプ」で好きな漫画を聞きに行ってみた』など。

森健(もり・けん)
1968年東京都生まれ。ジャーナリスト。2012年、『「つなみ」の子どもたち』で大宅壮一ノンフィクション賞、2015年『小倉昌男祈りと経営』で小学館ノンフィクション大賞を受賞。
公式サイト

[写真]
撮影:岡本裕志
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝
[図版]
ラチカ

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