「“普通に生活している”という感覚が得られない」。入居者の不満から変革した、介護施設がオランダにある。スーパーマーケットや映画館もある街のようなつくりの施設で、認知症患者だけが暮らす。“普通の暮らし”をどのように実現しているのか、取材した。(構成・文:殿井悠子/取材・撮影:ユイキヨミ/Yahoo!ニュース 特集編集部)
150の質問リストでライフスタイルを見極める
1968年、世界で初めて長期ケア(介護・医療)保険制度(AWBZ)を制定したオランダ。そんな介護先進国オランダには、ユニークで革新的な介護施設がある。認知症の人だけが暮らす“街”、「デ・ホーヘワイク」だ。
「デ・ホーヘワイク」は、オランダの首都アムステルダムから南へ25キロほど離れた郊外にある。1.5ヘクタールの敷地にカフェやスーパーマーケット、映画館、噴水広場などの共有スペースが点在し、街のようなつくりになっている。
母体は、複数の高齢者施設を運営する「VIVIUM介護グループ」という民間企業だ。入居資格は、24時間介護を必要とする重度の認知症であること。例外的なケースを除き、入居者は亡くなるまでここで暮らす。
住居エリアに27棟の建物があり、1棟につき定員は6〜7人。特徴は、ライフスタイル別に棟を区切っていることだ。
VIVIUMグループのシニアアドバイザー、ジャネッテ・スピーリングさんはこう言う。
「心理学者が、住人(入居者)のインタビューを通して、7つのライフスタイルがあることを把握しました。同じスタイルの人たちは、似通った食習慣をもち、音楽やインテリアなどにも共通の好みがある。こうした特徴を生活に取り入れると、住人に安心感をもたらします。逆に言えば、異なるスタイルの人たちと同居したり、自分に合わないスタイルで暮らしたりすると、ストレスになり、できることを減らしてしまう場合もあるのです」
慣れ親しんだ環境が整った“家”で、これまでと同じ暮らしをする。今までと似た環境であれば、認知症であってもできることがたくさんある。
入居前にまず、住人の家族が150の質問リストに記入する。リストは、コンサルタント会社のリサーチ結果とホーヘワイクの実績を合わせて作成したものだ。さらにスタッフの自宅訪問や家族との数回にわたる話し合いを経て、その人のライフスタイルを見極める。
設立当初、7つにグループ分けされていたライフスタイルは、社会の変化に伴い、現在は4つになっている。リッチなスタイル、芸術好きな人が多い文化的なスタイル、個人主義の人が多い都会的なスタイル、オランダの伝統的な暮らしを重んじるアットホームなスタイルだ。
例えば、伝統的なライフスタイルの住人は労働階級の人が多く、日々の家事などを規則的に行う傾向がある。食事は、ジャガイモや肉を煮込んだものなど典型的なオランダ料理がメインで、部屋にはオランダの家族がよく遊ぶボードゲームやカードゲームが置いてある。キリスト教徒の割合が高く、宗教にも配慮している。
“普通”ほど実現が難しいことはない
「デ・ホーヘワイク」が設立されたのは1992年だが、現在のように街のようなつくりになり、住居がライフスタイル別に分けられたのは、2009年のことだ。変革のきっかけは、住人たちから出た「“普通に生活している”という感覚が得られない」という不満だった。
ジャネッテさんはこう語る。
「住人からは、館内や生活形態に“介護施設”という雰囲気が出ていることが、不満の一つに挙げられました。医療面は万全なのに入居者不足に悩まされていたのはそのせいもあったかもしれません」
住人にとって一番大切なことは、自分が抱える病気と常に向き合うのではなく、できる限りこれまでと同じ、つまり“普通”の生活スタイルを保ち、楽しみのある日々を送ることだとジェネッテさんは気付いた。
「介護の世界では、“普通”ほど実現が難しいことはない」とジャネッテさんは続ける。住人だけではなく、住人の家族が抱く施設への期待にも応えなければならない。どんな形が可能なのか、スタッフは議論を重ねた。その結果生まれたのが、現在の形だった。
入居してどのように振る舞えばいいか分からないという不安に、環境で答えを示す。介護以外に専門性を持つスタッフがいたことも、アイデアが生まれた背景にあるとジャネッテさんは言う。ジャネッテさん自身、もとはホテルマネジメントを学んでいた。
それぞれの棟にスタッフがいる。もしもみんなと一緒に食事をしたくないという人がいれば、後で用意する。食事、洗濯、掃除、シャワー、着替えなど、スタッフが現場でタイミングを判断し、運営していく。一定の「入浴の時間」「薬の時間」などは設けない。
「全員一斉に行うことに、利点も付加価値もありません。住人もスタッフも自由を奪われるだけですから。スタッフは家事をする時のように、合間にこまごまとした仕事を片付けながら一日を送っています」
共有スペースでもさまざまな配慮がある。例えばスーパーマーケットでは、働くスタッフが住人の顔と名前、住んでいる場所を把握。各スタッフは、住人が「失敗体験」を感じないように配慮して振る舞う。もし、住人がクッキーをうっかり未払いで持ち帰ったら、スタッフは住人の棟の担当スタッフに連絡する。「〇〇さんがクッキーを持っていきましたが、みんなでコーヒーの時間に利用できますか?」。もしみんなで食べられそうであれば、その家の経費に回し、食べない場合は住人の身元保証人になっている家族に連絡して精算する。
「環境づくりだけでは足りません。失敗体験が症状を悪化させるケースがあるため、さまざまな場面でまわりがフォローする必要があります。ボランティアを含め、ここで働くスタッフはみんな、認知症の人への対処や向き合い方について研修を義務付けられています」
「デ・ホーヘワイク」では、入居者の抗精神病薬などを服用する割合が、10%という低い数字にとどまっている(他施設の平均は25%)。ジャネッテさんは「街のようなつくりで外に出る機会が多く、運動量の多さや日光浴をする時間が長いことも関係するのでは」と分析する。
高層ビルでも実現可能
近年、「デ・ホーヘワイク」の理念は、オランダの多くの施設で取り入れられるようになった。外国からの視察も相次ぎ、すでにオーストラリア、ニュージーランド、カナダなどで導入されている。ジャネッテさんは言う。
「視察に訪れる外国の関係者は『スーパーマーケットを施設の中につくるなんて無理です』と言うんです。でも、どこの施設にもストックを保管しておく倉庫はあるでしょう。それをスーパーにつくり替えればいいのです。スタンダードでないことをするからといって、必ずしもたくさんのコストがかかるわけではありません」
「私たちのやり方をそのまま真似るのではなく、自国の文化に合う形に置き換えていってほしいと思います。経済レベルや家族構成、仕事の内容、学歴などによってライフスタイルはさまざまです。その違いはとても大きく、『すべての人たちを一つのグループに押し込めても大丈夫』という単一社会は存在しません。多様性に焦点をあて、おのおのの生活パターンに近い形で過ごせる環境をつくる。認知症の人にとって、とくに重要なことだと思います」
「VIVIUM」は数年前、アムステルダムにある介護施設を傘下に入れて、街中にある大型ビルで認知症専門の施設「トーレンダール」をつくった。
「日本や韓国、台湾、シンガポールなどアジア諸国・地域からの視察では、こちらの施設も併せて見学してもらっています。たとえ敷地面積が小さくても、私たちのコンセプトが実現可能であるということを見てもらっているのです」
ビル内には、グループ住居と個室の両方がある。グループは、「デ・ホーヘワイク」と同様に4つに分けている。館内には、スーパーマーケットはないが、美容院やフィットネス施設がある。海外からの視察団は、既存の建物をどのように改築すれば同じコンセプトの実現が可能になるかという点に注目するそうだ。
コロナ禍での“普通の暮らし”は
コロナ禍において、オランダでは介護施設での面会に規制が設けられた。3月16日にロックダウンが宣言されると、面会が一斉に禁止された。その後、1人につき特定の1人のみ面会ができるなど段階的に制限が緩和され、7月には国による面会規制は解除。各施設が状況に応じて対処している。
「デ・ホーヘワイク」でも新型コロナ感染者は出た。ロックダウン中は、ボランティアの立ち入りを禁止していた。家族とは、電話やビデオ通話など、面会に代わるコンタクトをアレンジした。窓越しで対面できるような、面会の代替方法も実施している。施設内では、ゲームや音楽鑑賞などの小規模なアクティビティーは通常通り行う。
避けられないこととはいえ、スタッフがマスクやメガネなどの保護具を付けていることが、住人に精神的負担を与えているという。また、現場のスタッフは住人たちの安全を守るために、今も私生活での交流を制限している。
「接触を避けることは、住人にもスタッフにも負担になります。風邪のような症状があるスタッフはいつでも検査を受けられるようにするほか、スタッフも心理士のサポートを受けられるようにアレンジしています」
住人に“普通の暮らし”を提供するために、日々工夫を重ねている。