「もうあらゆるものを書き尽くした」。作家・筒井康隆さん(85)は、60年近くにわたり、ジャンルを超えて小説を書き続けている。いち早くネットワーク社会とかかわり、新たなツールを創作に取り入れて、アナログとデジタルの境界を飄々(ひょうひょう)と行き来してきた。今もTwitterを更新して、時に炎上する。現在の情報化社会をどう見るのか、表現の自由とは何か。筒井さんに聞いた。(撮影:太田好治/Yahoo!ニュース 特集編集部)
50年以上前にYouTuberを予見
都会のど真ん中に、静かなたたずまいの邸宅が忽然(こつぜん)と現れる。囲炉裏を囲む板の間で、着物姿の文豪、筒井康隆さんは穏やかに語り出した。
「今、僕は85歳になったか。年をとればとるほど、危険なものも平気で書けますよね。もう先がないんだから」
筒井さんは1934年に大阪で生まれた。20代の頃、父と弟3人とSF同人誌『NULL』を創刊。江戸川乱歩に見いだされ、1960年、短編「お助け」が雑誌『宝石』に転載された。これが商業媒体でのデビュー作となり、以来60年近く小説を書いている。SFにはじまり、純文学、エンターテインメント、ライトノベルまで、ジャンルの垣根を軽々と超え、日本文学をけん引してきた。
星新一、小松左京とともに日本SFの礎を築き、こんなふうに例えられることもあった。「SFという惑星を、星新一がパイロットとして発見した。小松左京がブルドーザーで地ならしをして、新しい都市ができた。そこへスポーツカーで口笛を吹きながら、筒井康隆が乗り込んできた」。星、小松、そして最近では眉村卓など、同世代の作家たちの多くがこの世を去った。
「寂しいとは思いませんね。作家というのはもともと孤独だから、あんまり孤独は感じないです。ただ、今は人生100年時代っていうから、下手したら100歳まで生きるかもしれんのだよな。困ったことに、どこも悪いところがないんですよ」
それでも「頭がぼーっとしてきて、昼間から酔っ払ったみたいになったり」と、老いを実感することはあるという。どんな日々を過ごしているのだろうか。
「朝起きて、まず冷たい水を1杯飲みます。すると大腸が動き出す。朝ご飯は自分で作る。かみさんの分も作ります。ベーコンと、それからご飯に卵の黄身だけかけて食べるんです。白身は白身だけの目玉焼き、白身焼きにします。シャケとあぶった明太子と海苔を少しと、大根おろしにちりめんじゃこをかけて。食べた後、テレビのニュースを見ながらコーヒーを飲む。午後はパソコンでネットサーフィンをしたり、ブログを書いたり原稿を書いたりTwitterを見たり、なんやかんやと」
今も年に数回、新作小説を発表し、谷崎潤一郎賞、山田風太郎賞では選考委員を務める。神戸と東京を行き来しながらテレビ番組やトークショーへも出演する日々だ。
「今度『波』に載る『南蛮狭隘(きょうあい)族』が30枚。これに4カ月近くかかってるかな。今は1日に2、3行しか書かない時もある。純文学は谷崎賞、エンタメは風太郎賞の候補作を読む。これでその年の一番いいやつを読めます。風太郎賞はやめられないんですよ。終身契約してます。でも終身は無理だよね、死ぬ前にぼけてくる」
小説の中でさまざまな老人を書いてきた。60代以降の作品で老人を描いた代表的なものに、『敵』『わたしのグランパ』『愛のひだりがわ』『銀齢の果て』がある。「頑固な老人も面白いし、ぼけてきてめちゃくちゃするのも面白い」。今年、新書『老人の美学』を上梓。小説の登場人物や知人のケースを取り上げながら、老人のあるべき姿や孤独との向き合い方を論じた。
「周囲に老害をまき散らさないようにしなきゃいけないよね。僕の場合はどんな老害があるのか、自分じゃ分からない。人に言われた場合は気をつけようと思うけれども。何でしょうな、腹が立ったらちょっとでかい声を出したりはします。文学賞で僕に落とされた作家なんかは、老害だって思う人もいるかもしれん。でもこれは仕方ないんだ。誰かが落ちるんだもん」
『銀齢の果て』(2006年)では、増大した老齢人口を調節するために「老人相互処刑制度」が開始され、70歳以上の国民が殺し合う世の中を描いた。高齢者がますます増えていく未来について聞くと、「面白くなるんじゃない? どんなことになるか、楽しみですね」と愉快がる。
未来を先取りするような作品を多く書いている。1965年に発表した初めての長編『48億の妄想』では、人々が街中の至るところに設置されたカメラを意識し、演じるように行動する社会を描いた。監視カメラを予言するようでもあり、今となってはスマートフォンのカメラやYouTuberも想起させる。さらにこの作品では、韓国との領有権をめぐる争いが武力衝突に発展するさまが描かれた。
「(さまざまな小説で未来を予見したことは)人に言われて初めて、そういえばそうだなって思いますね。これから先、いつかは分からないけれど、人類は滅亡するでしょう。どんどん災害が押し寄せて、この調子で毎年暑くなっていったらどうなりますか。あと10年ぐらいで、暑さと水害は人類滅亡にまで近づくかもしれない」
炎上を怖がるな。電源を抜いたら消える
ネットワーク社会に関心を抱き、新たなツールをいち早く利用してきた。1991年から翌年にかけて朝日新聞で連載された『朝のガスパール』は、パソコン通信や投書などで集めた読者の意見を取り入れて創作するメタフィクションだ。「電脳筒井線」と名づけられた電子掲示板に読者が集い、議論を交わした。インターネット上に応募作品を載せて選考を行う「パスカル短篇文学新人賞」も創設。この賞で川上弘美を発掘した。
だが、筒井さんは「今のようなネットワーク社会は予期していなかった」と言う。
「パソコンがどんどん進化していくでしょう。使いこなすだけで大変な知性がいると思っていたんですよ。ところがみんな使えるようになった。それでエモーショナルな側面の全く欠けた、非道徳的な人間までがネットに現れた。Twitterにも大量に馬鹿がいますね。『朝のガスパール』は、ASAHIネットで自分のオンライン会議室をもらって、みんなを集めてワーワーやってたんです。あの頃パソコンで会議室に入ってくる連中は、ある程度の教養も品格もありました。ただそれでも、会議をやっているうちにおかしくなっていくやつが何人か出てきて、一人は入院してしまった。その時、ちょっとおかしいなと思い始めたんです」
今のインターネットにおける面白い現象を尋ねると、すぐさま「拡散」を挙げる。筒井さんの作品でも、例えば短編「デマ」(1973年)は、情報が歪曲されながら拡散されていく過程をフローチャートで示した実験小説だった。
「ネット以前からデマというものはあって、でたらめのニュースを拡散させるとかそういう話はありました。でも今みたいに次の日にワーッと拡散しちゃって企業が倒れるとか、そんなことはなかった。すごい機能ができたなと思う。物騒だし危険だから、面白いよね」
Twitterにアカウントを持ち、公式サイト「笑犬楼大通り」にアップしている日記「偽文士日碌」の一部や最新情報が発信されている。ここでの発信をもとに「炎上事件」も起きた。
「慰安婦像のことを書いて炎上したわけなんだけれども。あれも拡散の一種ですね。ブログの一部分を切り取ってTwitterにあげたら、騒ぎになった。僕の作品の読者なら、気にすることじゃない。しょっちゅう書いてるようなことだから、毒がないなんて怒る人もいるくらいで。『48億の妄想』と同じようなもので、日韓の仲が悪いということを書いただけなんだ。ただ単に韓国の悪口を書いていると思われたら、かなわんのですよ。僕は戦前から生きていますから、日本人が朝鮮にどれだけひどいことをしたか知っています」
それでも、「炎上を怖がっちゃいけない。電源を抜いたら消えてしまう世界です」と言う。これからのインターネットについて、こう続ける。
「企業が倒産したり自殺者が出たり、いろんな弊害が出てきて、是正しようとなる。今は匿名性があるから野放しになっているけど、誰が書き込んだか分かるようにするとか、そういうふうになっていくと、今度は逆の弊害が出てきますよね。ちょっとした悪口に至るまで書けなくなったり。そういう自由はあったほうがいい」
「例えば終戦直後は、条例なんてあんまりなかった。みんな悪いことばかりしてたよね。それがだんだん整備されてきて、条例の数が増えた。世の中が平和になるにつれて、規制が増えてきた。今の世の中も、窮屈でおかしいなと思います。たばこまで規制の対象になるんですから。小さな悪意を持てなくなると、大きな悪事に走ったりする。戦争が近づくなんてこともあるんじゃないですかね」
作家は自己規制してはならない
ネット以前から、筒井作品はしばしば物議を醸してきた。例えば直木賞に落選した後、文学賞を題材に文壇をパロディー化した『大いなる助走』(1979年)では、選考委員を皆殺しにした。いわば「炎上狙い」の作品だ。
多くの作品にブラック・ユーモアが根づいている。戦争も差別もちゃかし、人間や社会の不条理や残酷さをあぶり出してきた。ブラック・ユーモアについて、筒井さんはかつてこんなふうに書いている。
「人種差別をし、身体障害者に悪辣ないたずらをしかけ、死体を弄び、精神異常者を嘲り笑い、人肉を食べ、老人を嬲(なぶ)り殺すといった内容を笑いで表現することによって読者の中の制度的な良識を笑い、仮面を剥いで悪や非合理性や差別感情を触発して反制度的な精神に訴えかけようとするものです」(『笑犬樓よりの眺望』から)
作家生活の中で、大きな事件が「断筆宣言」だろう。1993年、角川書店の高校教科書に採用された「無人警察」(1965年)について、日本てんかん協会が「てんかん」に関する差別的表現があるとして、角川書店に教科書からの削除または販売中止を求める声明文を発表。筒井さんはこれをきっかけに断筆を宣言する。
断筆中にはジャズミュージシャンの山下洋輔らによって「筒井康隆断筆祭」がにぎやかに開催されるなど、話題を呼んだ。1996年、出版各社と「用語の改変を行わずに出版すること」などを記した覚書を交わし、執筆を再開する。
今も「作家は自己規制してはならない」「小説に限界はない」と断言する。
「作家は頭の中を無政府状態にして書かなきゃいかんですよね。無政府状態だからいろんなものが出てくるわけだし、弾圧されたら、それに抵抗しようとしてまたいいものができる。『あの人に迷惑がかかるから』と気にし始めると、作家がだんだんいい人になって、何も悪いことはしない、変なことは書かない。人は、そういう作家の書いた作品を読みますか。面白くないでしょ。やっぱり読まれるのは、何かやばいことが書かれていそうだったり、タイトルを見てハラハラドキドキしたりするもの。不愉快なものを愉快がる人もいるわけです。糞尿愛好者だっているんだから」
折しも、「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」が取り沙汰されている。
「僕はこの問題にあんまり興味ないんです。展示して発表しているんだから、ちっとも不自由じゃない。取りやめになって初めて『不自由展』として自己完結する。対立する相手は、政治だけじゃなく、マスコミも大衆も含まれるでしょうね。表現を不自由にしようとする力。僕に言わせれば、表現の自由って当たり前のことなんです」
書くことがなくなってからが勝負
近年、『旅のラゴス』(1986年)や『残像に口紅を』(1989年)など、30年以上前の作品が新たな読者を獲得し、ベストセラーになった。多くの作品が映像化され、中でも『時をかける少女』(1967年)は幾度も映画化、テレビドラマ化、アニメ化され、一大コンテンツとなっている。
「作家が自分の作品を映像化すると言われて、『ありがたい、やってください』なんていうのは、小説の通りやってくれると思ってるんです。そうじゃないからね。自分の作品が映画化されたものを見て、喜ぶ作家は一人もいないと思うよ。どんな名作であっても、それは映画として名作なわけだから。ヘミングウェーなんかはずっと怒っていたらしいよ。『誰がために鐘は鳴る』なんて、映画として名作だよね。僕は怒りませんよ。そういうものだって分かっているから」
さまざまなコンテンツを通して、常に若いファンを増やしている。2015年には「最後の長編」と銘打ち、「神」を題材にした『モナドの領域』を刊行した。
「神学に関することはまだちゃんと書いていないと思って、集大成をやろうと思った。あれを書き終えた後、長編は本当に書く気がしないですね」
「もうあらゆるものを書き尽くして、書くことがなくなった」というが、常識を覆す、狂気とユーモアに満ちた新作を読者は待っている。
「古井由吉氏によれば、作家というのは書くことがなくなってからが勝負だと。なら仕方ない、よし、と思って。そう言われたら、何でも書けるわい」
筒井康隆(つつい・やすたか)
1934年、大阪市生まれ。同志社大学文学部卒業。代表作に『東海道戦争』『時をかける少女』『七瀬ふたたび』『虚航船団』『旅のラゴス』など。『虚人たち』で泉鏡花文学賞、『夢の木坂分岐点』で谷崎潤一郎賞、短編「ヨッパ谷への降下」で川端康成文学賞、『朝のガスパール』で日本SF大賞、『わたしのグランパ』で読売文学賞を受賞。ほか、受賞歴多数。漫画家、劇作家、俳優としても活躍する。最新刊は『老人の美学』。