盛夏の仕事着は何を選べばよいのか。クールビズがある。ビジネスカジュアルなんていう言い方もある。どうやら、男性の仕事着の幅は広がっているようだが、「正解」はどこにあるのか。社会に出たばかりの男子で頭を悩ませる人は多いだろう。もしかしたら、社会人経験を積んだはずの中堅以上の男性社員でも頭をモヤッとさせている時があるかもしれない。ビジネスウェアに精通する編集者と、仕事着改革に取り組む大手商社を取材した。(Yahoo!ニュース 特集編集部/イラスト:川村淳平、撮影:高橋宗正)
朝、通勤時間帯の地下鉄に乗った。クールビズ期間のいま、ネクタイを外している人は珍しくない。上下同じ生地(共地)のスーツではなく、ジャケットにパンツを合わせている人もいる。隅でつり革を握っている男性に目を移すと、セットアップのスーツを着ている。ジャケットの下に真っ白な丸首のTシャツを合わせていた。足元にはシンプルなデザインのスニーカー、肩にはリュックを背負っている。少し前まで男性社会人の仕事着といえば、夏でもスーツにタイを締めるのが大多数だったのに、随分とカジュアルな装いだ。
これは「あり」なのか。
その答えを求めて、メンズファッション誌「AERA STYLE MAGAZINE」創刊編集長で、現在は同誌エグゼクティブエディターを務める山本晃弘さんを訪ねた。山本さんは、メンズファッション誌の世界で30年にわたって編集者を務めてきて、この10年あまりは男性向けビジネスウェアをテーマに雑誌をつくってきた。そのかたわら――服が人を育てる「服育」という概念を標榜し、男性就活生向けにスーツの着こなしセミナーも行ってきた。山本さんは仕事着で続く変化についてこう言う。
「まず、通勤時のリュックは、かなりの男性が使うようになりました。自転車通勤の広がりも関係しているはずです。リュックなら両手も空きますからね」
では、セットアップのスーツにTシャツはどうなのか。
「確かに、そういった社会人男性も見るようになりました。IT関連であるとか、クリエイティブ系の仕事に就く人を中心にいます」
なぜ「スーツにTシャツ」なのか
ショップを回ると、セットアップのスーツはよく見るようになった。伸縮性のある生地を使っているものもあれば、スポーツウェアのように速乾性のある機能素材を使ったものもある。こういったスポーティーなジャケットが出てきているのはなぜなのだろう。山本さんによれば、「働き方の多様化」が背景にあるという。
会社員であっても、リモートワークで社外スペースや自宅で働く人がいる。そもそも会社に所属しないフリーランスの人も増えていて、そうした人のなかには堅い人からやわらかい人まで、様々なジャンルの人と仕事をする人もいる。その際に求められるのが、アクティブでスポーティーな印象のあるセットアップのスーツなのだ。足元は軽快なスニーカーを合わせる。ここまでいけば、襟つきのシャツではなく、Tシャツを合わせた方がなじむ――スーツにTシャツというコーディネートが広がる背景にあるものは、こうだ。
ところが、山本さんはこうも言う。
「間違ってはならないのは、世の中の男性社会人のすべてがこういう装いをしているわけではない、ということです」
たとえば東京・丸の内や新橋。ビジネス街のど真ん中で、こういう装いの社会人がどれだけいるだろうか。
「多くはありません。むしろ、少数派でしょう」
始まりは「ネイビー」
働き方が多様になっているとはいえ、まだ一部での話である。それなら、こういったビジネス街で働く社会人の場合、仕事着はどこまでカジュアルにしてよいのだろうか。クールビズ期間だから、まずネクタイを外してよいことはわかっているけれど――選択に迷う新社会人は多いだろう。山本さんはこう言うのだった。
「簡単です。いくつかのルールを覚えればいいんです」
まず大切なのは「色」だという。
「たとえば新社会人にはまだ仕事上の実績がありません。まっさらでこれからの人が選ぶべきは、ネイビー(紺)の仕事着です」
こう言うには理由がある。ネイビーには、着る人に「誠実で」「凛々しく」「知的」な印象を与える力がある。少なくともマイナスな対人印象を与えることはない。仕事着の揃っていない段階なら、2着目、3着目にもネイビーを選んでもよいぐらいだという。そして、まだまだTシャツを着ることは推奨されていない企業は多いから、上半身に合わせるのはシャツ。クールビズ期間なら半袖の開襟シャツ、あるいはポロシャツでもよい。どちらも襟がきれいに開くようにできているので、ノータイの季節向きだという。
暑い季節。ジャケットを着る必要はあるのか。通勤時なら同僚やお客さんに会う状況ではないから、マストではない。会社に置いておく選択もあるだろうし、手に持って歩くことも多いだろう。速乾性に加えて、シワになりにくい素材のジャケットが売られているのはこんな背景がある。
職場で「モテ」は要らない
一方で、NGもある。それは肌の露出だ。
「職場で『モテ』を意識する必要はありません。ですから、肌の過剰な露出は控えるべきでしょう」
シャツを第2ボタンまで開けるのは避けたいし、くるぶしの露出も避けるべきだ。近年のカジュアルファッションでは、一見、外から履いていることがわからない「インビジブルソックス」の普及が進んだから、その影響で仕事中でもくるぶしを露出するケースが散見される。けれど、肌を過大に露出すると、相手に不要な緊張感(要はドキッとさせる)を与えることになりかねない。やはりソックスを履いてくるぶしを隠したい。
仕事着にはルールがある。NGもある。ただ、一番大切なことがあるという。山本さんこう言うのだった。
「スーツにTシャツはありなのか。スーツにスニーカーはありなのか。実は、こういった問いかけ自体が間違っています。なぜなら仕事着の正解はその日一緒に働く人、環境への『寄り添い』にあるからです」
この日の山本さん自身の装いがそうだ。朝からファッションのロケ撮影。その後、この取材だったから、軽快でスポーティーなコーディネートを心がけたとう。けれどもこの日が、一般企業に対する大切な企画のプレゼンだったなら、スーツにタイを締めただろう。
「仕事着を選ぶときの基準は何なのか。文章作成のコツで『5W1H』(いつ、どこで、何を、誰と、なぜ、どのように)があります。これ、私は洋服にも当てはまると思うんですよ。つまり『いつ、どこで、何を、誰と、なんのために、どのようにして働くのか』で、装いも変わってくるはずです」
寄り添いという物差しで考えると、すっきりしてくる。たとえば、IT企業で働くエンジニアがTシャツにデニム(あるいはもっと軽装)で出社するのも「あり」になる。そう、彼らは内勤でコーディングが主業務。そういう職場環境に寄り添っているからだ。こういう環境で過大にドレスアップをすれば、周囲を威圧してしまうこともあるだろう。こう考えると、仕事着で相手や場所に寄り添うのは、「態度表明」と呼べる。山本さんはこう結んだ。
「一種のアプリケーションと考えればよいのではないでしょうか。うまく使えば、自分の信頼性を上げ、周囲との関係を構築することができる。仕事着は何もたくさん持っている必要はありません。少しずつ増やしていけばいいんです。スーツも3万円台からまっとうなものが買えます。自分への投資だと考えてやってみて、損することはありません」
総合商社で進む「脱スーツ」という試み
仕事着はアプリケーション、すなわちツールである。
こういった考えで、仕事着に関する斬新なルールを推進する総合商社がある。東京・北青山に本社を構える「伊藤忠商事」だ。エネルギー、鉄鋼、一般消費財に金融など多様な商材を手がけ、繊維を祖業とする商社だ。同社の人事・総務部 企画統轄室長の西川大輔さんは「弊社は2年前から『脱スーツ・デー』という取り組みを行ってきました」と言う。
脱スーツ・デーは通年の取り組みだ。毎週水曜と金曜に限って(5~9月は毎日)スーツ一辺倒から脱却し、カジュアルな仕事着を推奨する試みだ。脱スーツの日は、デニムやスニーカーでの勤務も認める。ジャケットに合わせるトップスにクルーネックのものも許容するなど、かなり踏み込んだ試みになっている。西川さんの説明は続く。
「弊社が取り組んできた働き方改革の一環です。過去には、20時以降の残業を原則禁止とし、朝5~8時出社を推奨する『朝型勤務』に取り組んできました。また『健康経営』を掲げ、社員の健康維持を経営戦略に組み、『がん治療と仕事の両立支援』など独自の先進的な取り組みを進めています。脱スーツ・デーはこういった流れのなかにあります。いまの社会の流れとして、(社員が)ルールでがんじがらめにされるよりも、リラックスした雰囲気のなかで働きたい。そんな機運も高まってきましたから呼応していきたい」
しかし、どこまでもリラックスしてよいわけではない。会社は「家」ではないからだ。基準はあるという。
「色落ちしたデニムはOKでも、生地が破れたダメージドデニムはNGです。言わずもがなですが、肌の過度な露出も同様です。上下ともにルーズなシルエットもだらしなく見えるのでいけません」
NGルールはほかにもある。パンツのロールアップはよいが、すねよりも上部が見えるロールアップはいけない。踵(かかと)のないスリッポン――つまりサンダルもNG。脱スーツといっても一線は引かれているし、真夏でも緊張感のある現場ではスーツにタイも締めるのは常識だ。
「あくまでも『仕事着』であることは大切にしています」
西川さんは伊藤忠商事で働いて25年。新人だったころと比べると、
「その日に会う人、場所に応じてきちんと意識して服装を選ぶことが増えましたね。もちろん、昔から人に会うシーンは多様でした。けれど、装いをここまで考えることはありませんでした。装いもふくめて様々な要素も加味されるようになってきたんでしょうね。コミュニケーション力の一つなのだと考えています」