働く場所も勤務時間も仕事の段取りも会社に決められている「労働者」なのに、契約上は「個人事業主」――。そんな矛盾した仕組みの下で、働かされている人たちがいる。個人事業主には原則、労働基準法が適用されないことから、残業代未払い、休憩なしの長時間労働、最低賃金以下といった「働かせ放題」が一部でまかり通っているのだという。行政に相談しても「あなたは労働者ではない」と門前払いされるケースもある。「名ばかり事業主」の現場を追った。(藤田和恵/Yahoo!ニュース 特集編集部)
深夜のLINEで「通知書」
昨年12月の深夜。LINEの着信音が聞こえた。
内田加奈さん(30、仮名)がスマートフォンを開くと、「通知書」と書かれた書類の写真が添付されていた。差出人は、勤務先の美容室。内田さんの債務不履行のせいで、営業損害金50万円が生じたとし、これを相殺するため、11、12両月分の報酬を支払わないという内容だった。
内田さんは驚かなかったという。
2018年11月以降、職場では美容師十数人が相次いで辞める事態になっており、このうち3人が同様の「通知」を受けていたからだ。「ついに私のところにも来たか、という感じでした」。それぞれの金額には、50万円から100万円までの間でばらつきがあった。勤務先の会社は、東京都に本社を置き、都内と神奈川県内に十数店舗を出店している。
なぜ、こんな事態が起きたのか。
そもそもの原因は、内田さんら美容師と会社との契約が労働者としての「雇用契約」ではなく、個人事業主としての「業務委託契約」だったことにある。
この美容室は、原則12時間勤務だ。内田さんら複数の美容師によると、出勤する店舗や始業時間はあらかじめ決められ、遅刻すると、1000円の罰金を徴収された。顧客の予約も、会社側がコンピューターで管理。店長には、会計や清掃方法など40項目以上を指示する「業務確認表」が配布されるなど、美容師たちが自らの裁量でやりくりする余地は、ほとんど認められていなかったという。
「個人事業主」かどうかは、どのような基準で判断されるのだろうか。一般的には、①依頼された仕事の諾否を決めることができる②指揮監督を受けずに仕事ができる③勤務場所や時間を自由に選べる④他人による替えが利く――などを基に判断される。
こうした項目に照らし合わせると、自分で裁量する余地のない内田さんは「労働者」に見える。しかし、この美容室では、店長以下ほぼ全員が業務委託契約を結んだ「個人事業主」だった。
十数人の美容師が一斉に辞めたわけ
内田さんの会社では、美容師の契約期間は1年で、シャンプーやカラー剤などの「材料費」は自己負担だった。毎月受け取るのは、給料ではなく、歩合による委託料。交通費の支給も、労災や年金、健康保険などの社会保険の加入もない。「個人事業主だから」として残業代や休日手当、休憩もなかった。
美容師たちによると、会社側はさらに、客1人に費やす時間の短縮や、クーポン発行による価格の切り下げといった変更を、一方的に押し付けてきたという。例えば、カットは1人当たり1時間から30分、カットカラーは2時間から1時間半に変わった。インターネット上では、今も「シャンプー、カット、眉カット 6480円→3800円」などの割引クーポンが発行されている。
時間の短縮は過密労働につながり、価格の切り下げは、歩合制で働く美容師たちの報酬ダウンに直結する。美容師たちは「12時間立ちっぱなし。トイレに行く暇さえありませんでした」と口をそろえた。
相次ぐ変更に、現場は猛反発した。それでも、会社側は「競争に勝つため、地域最安値でやる」などと言うだけ。美容師たちの不満は募り、これ以上の契約変更には応じないと主張したところ、突然、契約解除と損害金の支払いを通告されたのだと、内田さんは言う。
「美容師らの委託料は、月の出勤日数により十数万〜30万円ほど。店長クラスの場合、休みは週1回で、社会保険料などの自己負担を考えると、決して高額とは言えないと思うんです。深夜までくたくたになるまで働いた仲間をイヌネコのように平気で捨てる会社です」
契約を解除された美容師らの一部は「美容師・理容師ユニオン」(東京)に加入し、現在も残業代などを求めて会社側と交渉を続けている。
同ユニオンの栗原耕平さんによると、「店舗内のスタッフ全員が個人事業主」という仕組みの店舗が増えたのは、ここ10年ほどだという。
「経営者にとっては、社会保険料の負担や人件費の固定化といったリスクを負わずに、一定の売り上げを確保できるからです。もともとが低賃金、長時間労働の業界。美容師の側にも『独立して働きたい』というニーズがあるのも事実です。問題は、自分の裁量で働けるような、適正な業務委託がなされているかどうか。(この美容室のように)個人事業主だからと言って、休憩もなしに働かせてよいということはありません」
美容師らに届いた「通知書」には、業務委託契約に示された業務を行わなかったという理由が示されていたが、栗原さんは「業務委託契約なら、このような損害賠償請求をしてもよい、という安易で、誤った考えがあるのではないか」と指摘する。
「名ばかり事業主」、さまざまな業種に拡大
契約上は個人事業主なのに、雇用された労働者と同じように働かされる「名ばかり事業主」は、美容師業界だけではない。健康飲料や化粧品の訪問販売、IT技術者、塾講師、宅配便ドライバー、大工、集金業者……。さまざまな業種で、かねて問題とされてきた。
「名ばかり事業主」は多くの場合、交通費や社会保険料、業務に必要な経費などは自己負担だ。労働者に適用される労働基準法も「労働者ではない」という理由で、原則として適用されない。このため、実質的な労働者でありながら、最低賃金や残業代支給、労働時間の制限といったルールに守られない、無防備な状態に放置されている。
一方、経済産業省の「『雇用関係によらない働き方』に関する研究会」は2017年3月、報告書をまとめ、「企業はこれまで以上に外部人材を含めたリソースの活用が求められる」などとして、個人事業主の活用を推奨。厚生労働省も報告書「働き方の未来2035」の中で、働き手がプロジェクトごとに所属企業を渡り歩く事例を紹介しつつ、「企業が人を抱え込む『正社員』のようなスタイルは変化を迫られる」とした。
「名ばかり事業主」の矛盾が放置される一方で、政府は、個人事業主という「雇用関係によらない働き方」の増加を目指し、足並みをそろえているようにも映る。
拘束が月300時間超のトラック運転手
トラック運転手も「名ばかり事業主」が多い職種の一つだ。
三木昌也さん(53、仮名)は十数年前、東京都内の運送会社に社員ドライバーとして入社し、大型トラックのハンドルを握っていた。それなのに、やがて業務委託に切り替えられたという。
三木さんは現在、毎月の総売り上げから18%の「事務手数料」とトラックのリース代約30万円、車両保険、高速料金、ガソリン代などを差し引いた金額を「歩合給」として支給されている。年収は350万〜400万円になる。
その労働環境は過酷というほかはない。ETCの記録を基に、高速道路を走行した時間を算出したところ、この1年間の1カ月平均は約250時間。300時間を超えた月も2回あった。これには一般道の走行時間が含まれておらず、実際の拘束時間はさらに長い。走行距離は「毎月1万キロを超える」と言う。
厚労省は、過密労働や事故を防ぐため、ドライバーの拘束時間について、荷物の積み込み作業のための待機時間なども含めて「1日最大16時間、1カ月293時間以内」などの規制を設けている。三木さんの場合、この基準を上回る拘束時間が常態化しているのは確実だ、という。
「午後、(首都圏の)工場で製品を集荷し、港の使用状況によっては、敦賀(福井県)や舞鶴(京都府)まで行かなくてはなりません。そこで原材料を積み入れ、夜通し走って東京に戻り、荷降ろしして……。午前中に別の仕事が入ったら、もう寝る暇などありません。1週間、車内で寝泊まりしたこともあるし、眠気でインターチェンジを通り過ぎた記憶がないこともあります」
三木さんによると、厚労省の基準を守っているのは大手の運送業者だけだ。
「荷物の積み込みに時間が掛かったり、作業が煩雑だったり、そういう拘束時間が長引きそうな効率の悪い仕事は、うちのような零細業者に回すんです。下請けをいいように利用することで、(大手は)基準を達成しているだけ。(現状のままでは)業界全体が基準を守ることは不可能です」
個人事業主だから、病気やけがなどで仕事ができないと、収入はゼロになる。それどころか、仕事をしていなくてもリース代や車両保険などは差し引かれるため、「マイナスの月収」になることもある。実際、三木さんは体調を崩したとき、収入が激減。「これでは体が持たない」と、一部の効率の悪い仕事を減らしてほしいと要求したところ、2018年の暮れ以降、そのほかの仕事も回されなくなった。
「搾り取るだけ搾り取って、指示に従わなくなると、兵糧攻めです。走った分だけ稼げるからと、個人事業主に魅力を感じるドライバーもいます。でも、なんの保証もない働き方です。年収350万〜400万円では、大変な働きに見合った報酬とは到底言えません。そこそこの給料でいいから(以前のように)社員として働きたい」
三木さんは今、ドライバーとは別のアルバイトをしながら食いつないでいる。
「私は労働者じゃない?」 では相談はどこに?
ユニオンや労働組合をつくって、声を上げる「労働者」もいる。
楽器販売大手のヤマハミュージックジャパン(東京)が運営する英語教室。そこで講師として働く女性14人が2018年12月、「ヤマハ英語講師ユニオン」を結成した。
講師たちは契約上、「委任契約」を結ぶ個人事業主だ。社会保険はない。ところが、会社から渡される源泉徴収票には、通常は「労働者」に支給される「給与所得」という語句の記載がある。そのため、自分たちの働かされ方に矛盾や疑問を感じる講師は少なくなかったという。
ユニオンをつくった女性たちによると、講師として働くことが決まると、まず「配属先」として、担当の教室を指定される。レッスンの前後には準備や片付けに30分程度は必要だが、これらに対する報酬はない。さらに、受け取る「謝礼」は、生徒1人当たりの基本単価に基づいて算出されるため、生徒が1人しかいない教室に配属された場合、準備時間なども含めると、1時間当たりの収入が最低賃金を下回ってしまうケースもある。
さまざまな疑問や不満が募るなか、講師の1人が大阪労働局に相談に行ったところ、「労働者ではないから」という理由で門前払いされたという。この講師は言う。
「『委任契約』と書かれた契約書を見せた途端、担当者から『あなたは労働者じゃありません』と言われました。実際の働き方についても相談したかったのですが、『何も分からないで契約したんですか』『あとは弁護士に相談するしかないですね』とたたみかけるように言われて……。その時、初めて自分は(契約上は)労働者じゃないんだ、と知りました。じゃあ、私はどこに行けばいいの、と。ショックでした」
現在、「ヤマハ英語講師ユニオン」は、会社側に直接雇用と待遇改善などを求めて団体交渉を行っている、という。
一方、ヤマハミュージックジャパンによると、英語講師は全国に約1400人おり、全員と委任契約を結んでいる。取材に対し、「講師の方々からのご要望を真摯に受け止め、話し合いを進めています」(同社事業企画部)と回答した。
「労働者ではないから」という理由で講師側の相談を門前払いした大阪労働局の対応について、厚労省労働基準局監督課の担当者は、こう説明した。
「個別の対応についてコメントはできないが、(労働者かどうかは)契約形式だけでなく、あくまでも働き方の実態から判断します。労働者性が認められ、かつ、労働基準法上の違反があれば、是正、指導します」
ユニオンや労組をつくって交渉
労働者として認めてほしい――。契約上は自営業者、フリーランスである個人事業主たちがユニオンをつくり、働き方の改善を求めるといった動きは、実はあちこちで広がっている。
コンビニエンスストアの店主らでつくる「コンビニ加盟店ユニオン」は、店主も労働者であるから本社が団体交渉に応じないのは不当労働行為などとして、労働委員会に申し立てを行っていた。今年3月15日に中央労働委員会は「店主は労働者ではない」との判断を下したが、コンビニオーナーの働き方があらためて注目された。また、千葉県に本社を置くクリーニングチェーンのオーナーらも労働組合を結成し、会社側に労働条件の改善を求めている。
ヤマハ英語講師ユニオンの活動を支援する岩城穣弁護士(大阪)は、名ばかり事業主がはびこる背景や最近の傾向について、こう話す。
「1980年代以降、増え続けてきたパートや派遣、請負といった、低賃金で切り捨てやすい働かせ方の一つです。特に最近は、どう見ても労働者なのに、事業主だと言い張る悪質なケースも目立ちます。もしかすると、経営者や雇う側にも、労働関連法の知識がないのではないか。いったん、事業主として契約を結んだとしても、『おかしい』と気が付いた時点で、働き手自身が声を上げること。それはとても重要なことです」
冒頭で紹介した美容師たちは声を上げることで、未払いの委託料を取り戻すことができたのか。
美容師らが加入した「美容師・理容師ユニオン」が団体交渉を申し込んだ直後の今年1月、突然、彼らの口座に委託料が振り込まれた。これについて、会社側に取材を申し込んだところ、「(社長の判断により)今回の取材はお断りさせていただきます」との回答がメールで届いた。
同ユニオンの栗原さんは言う。
「契約形式にかかわらず、労働組合やユニオンに入って会社と待遇改善などについて話し合うことができるケースもあります。業務委託だから、自営業だから、フリーランスだからといって、必ずしも諦める必要はありません」
藤田和恵(ふじた・かずえ)
北海道新聞社会部記者などを経て、現在フリーランス。