「一生一緒にいてくれや/みてくれや才能も全部含めて」。ウェディングソングとしても流行したこの曲を覚えている人も多いはずだ。平成13(2001)年に発売され、日本のレゲエで初のオリコン週間ランキング1位のヒットを記録した「Lifetime Respect」。その曲を歌った三木道三さんは2002年に引退し、表舞台から姿を消していた。その間は音楽プロデューサーとして活動し、2014年に「DOZAN11」(ドーザンイレブン)の名前で活動を再開。最近は、誰でも写真から音楽が作れるアプリの開発を手掛けるなど、活躍はマルチに広がる。平成の30年で様変わりした音楽業界。平成元年にレゲエと出合った男の軌跡とは。(末澤寧史/Yahoo!ニュース 特集編集部)
「リクエストがリクエストを呼んで、ぶわーって広がった」
代表曲「Lifetime Respect」は平成の半ば、累計90万枚を超えるセールスを記録した。
「たまたま(発売が)5月末だったんで、ジューンブライドにも引っ掛かったのかもしれないですね。リクエストがリクエストを呼んで、ぶわーって広がっていった。(楽曲の)プロモーションビデオが日本でもどんどん見られるようになってて、(衛星放送やCATVで放送されていた)スペースシャワーTVが月間の特集で取り上げてくれたんですよ。だから、あのお風呂に入っている(プロモーション)映像を、みんないまだに覚えているかもね」
「『テレビに出なくなった』とか言われますけど、(当時)テレビ局に行ったのは3、4回くらいしかなくて。『笑っていいとも!』と、『ミュージックステーション』と、『COUNT DOWN TV』と、『流派-R』だったかな。あとは、中継で。そんなもんなんですよね」
「『ミュージックステーション』に出たのが金曜日で、月曜日のバックオーダー(入荷待ち)が8万枚来たって言ってましたね、はははははははははは……。数字って迫力ありますよね」
少年時代、日本の歌謡曲の「欧米かぶれ」が愉快ではなかったという。
「例えば、『Hold me抱きしめて』。一緒やないかい!みたいな。僕的には(それに対する)いたずら心で、『Lifetime』では、『赤ちゃんBaby』なんて(歌詞をあえて)言ったりしてるんですよ。そういういたずらをあっちこっちに入れるんです」
「他には、(『Lifetime Respect』で)『愛のあるセックス』って歌詞もあって、『セックス』とか(歌詞で)言っても、『愛のある』とついた瞬間に全国に流せる、とかね。ふざけたり下品に使っちゃ放送できないかもしれない単語でも、ちゃんと意味と心を込めたら受け入れられる例にできた。『子供のときは(この歌詞を聴いて)恥ずかしかったけど、大人になったら染みるようになった』って声も聞きました」
レゲエとの出合いは、平成元年(1989年)だったという。
「友人の車で聴いたと思います。ミックステープだったんじゃないですかね。ジャマイカのレゲエ。で、ちょっと時間差があって日本人のレゲエも聴いて。作品を聴いたり、ショーを見て、これは自分にもできると分かったから、すぐ歌をつくりだして」
「ジャマイカのレゲエには、下ネタや暴力的な歌詞でも自分や自分たちを誇りまくるダンスホールレゲエと、シンプルなラブソングから神への敬虔な気持ちまで歌う歌モノがあって、両方に威厳を感じた。音楽も革新的で、かっこよかったんです。で、機会をつかまえて、ジャマイカへ行って」
「(ジャマイカではレゲエが)街じゅうで、めちゃくちゃ爆音で鳴ってますね。手作りのスピーカーで。(滞在先に)行きしなのタクシーで、『後ろに荷物載せたい』って言ったら、『いっぱいだ』って運転手に言われて。(運転手が)バンとトランクを開けたら、ボンとデカいスピーカーですよ。車がスピーカーみたいなもんです。レゲエ、ガンガンかけながら(運転する)。本場に来たーーって感じがしましたね。街全体がそんな感じですよ。街なかとか、広場とかで、ターンテーブルでレコードをプレイしている」
「満身創痍」でジャマイカへ
「死」と直面した経験が、レゲエの道を選んだ背景にある。
「アメリカ留学中(の1994年)にLAからラスベガスに行こう、と。そこで交通事故に遭ったんです。歯は3本なくなったし、(ひざの)皿は割れているし、つま先は複雑骨折しているし、肩は打撲で動けないし。満身創痍ですよ。手術待ちの期間に、友だちが自殺したっていう話も聞いて……。僕もボロボロだったから、 しばらく知らされなくて。飯を食いに松葉杖で行くんですけど、泣けてくるわけですよ。でも、松葉杖やから目もふけないし」
「LAで養生していたら、友だちが部屋から呼ぶんです。『(英語で)こっち来て、テレビ見てみろ。日本がえらいことになっているぞ! 街じゅう火の海や!』って。映画でもやっているんだろうと見に行ったら、街がばーっと焼けていて、(1995年の阪神・淡路大震災には)面食らいましたよ。実家、関西だから」
「そのあと(満身創痍のまま米国から)ジャマイカに行ったんですよ。そこで出会った現地の日本人プロデューサーさんが、僕のデモテープを聴いてくれて一緒にやろうと誘われた。で、日本に帰ってきたら、すぐオウム真理教による地下鉄サリン事件。『これはのんびりしてられない』と思って、1年後にまたジャマイカに行って、レコーディングをして、レコードデビュー」
当時はメジャーシーンでなくても、レゲエやヒップホップなど多様な音楽を支えるカルチャーが息づいていた。
「僕が(ライブを)やりはじめたのは、バーとかクラブなんです。暗かったですね……。というのは、(それ以前、全盛だった)ディスコはギラギラしてたわけですよ。ビュッフェとかでご飯が置いてあったり、チャラいMCが入ったりして。それに対してクラブは暗かったけど、カッコよかった」
「最初に僕が認知してもらったのは、レゲエの7インチ(レコード)で。次はミックステープなんです。ミックステープの販売網は、レコード屋さんとか、服屋さん。当時は、そこが情報発信地だったんですよね。そこに卸していくディストリビューターもあって。なので、『テレビに出ている=ちゃんとした活動になっている』というシーンではなかったですね」
「ミックステープは、CDより作るのが簡単だったわけです。僕の場合はパートナーがほとんどやってくれましたけどね。自分たちで作ってるから、利益はかなり高いですよね。これでできた実績とお金でCD版を制作したり。そうやって、レゲエとかヒップホップとかは成立してたんです。専門誌もけっこうあった。地方で活躍している人を雑誌が取り上げて全国区になる。で、仙台から九州の人を呼ぶとか、名古屋の人が北海道に呼ばれるとか、地元に住んだまま(活動を行う)というのが成立していたんです」
「激変」というより「崩壊」 デジタル化以降の音楽業界
「(2000年前後からの)インターネットの普及とデジタル化は、音楽業界激変のターニングポイントでしたよね。部分的には『消滅』とか『崩壊』。いま、新聞が滅ぶとか嘆いているじゃないですか。実はこの活字文化への影響が音楽業界にもすごく関わっていて。というのは、この手の(専門)雑誌が滅んだんですよ。だから、皮肉なんですけど、今また腐ってもテレビになっているんですよ、全国区になる装置が」
2002年、突然引退した。その背景には「時代の出来事」があったという。
「(2001年)9月11日の(アメリカの)同時多発テロは衝撃でした。今までの価値観……なんとなく、アメリカに盾突いときゃかっこつくみたいな。そういう時代がビルとともに崩れ落ちたみたいな」
「それに2000年代以降のレゲエは、(ジャマイカで)自分が衝撃を受けたような、イノベーティブな側面がどんどんなくなっていって。自分的にも、提示したい発明作業はある程度やったな、と。日本になかったものをクリエイトしなくちゃいけなかったから。どうやって韻を踏んでとか。その前には(日本語のレゲエのお手本が)あまり存在しなかったんですよ。『レゲエと思える音楽にどうしたらなるんだ?』って。一曲一曲、発明品をつくっている感覚に近いかもしれないです」
「さらに(事故の後遺症による)体のメンテをしたいってのもあって、全国ツアーをしたあと(活動を)ストップした。(2014年に)またやりだしたときには、またイチからスタートとか言わずに、いっぺん10までいったから、『今度は11からだ』っていうのもあって、(DOZAN)11と付けましたけど」
「AIの時代。人間としては何すんの?」
2018年、DOZAN11さんは色彩研究家の弟らと写真の色を自動的に読み込み、その色の明るさなどからオリジナル曲を作成できるソフトウェアを発表した。この春にはスマホアプリ版の「mupic(ミューピック)」もリリースしている。
「引退して、(ミュージシャンの)サポートサイドになったから(音楽理論を)勉強したわけですよ。Excelで表を作ったり。コードと構成音の表とかをね。これは、ぼくが苦労した音楽知識の基礎を簡単に分かってもらおうっていうアプリでもあります」
「アナログからデジタルの時代になって。(CD)アルバムなんか3000円の福袋(のような楽しみ)やったのに、そういうビジネスモデルも終わって、(音楽業界は)次の行き先を探している。これからやっぱり、何でもAIがしだすから、人間としては何すんの?っていう時代やね」
最新曲のタイトルは「新しい未来」。不安も多い未来を明るく歌う。
「テクノロジーの進化っていうのは、指数関数的って言われるけど、(平成の30年は)その角度がきつくなってきたなぁっていう感じ。映画とかってさ、未来はディストピアが多いじゃん? ストーリーをピンチから始めたいから。(音楽は)そんなディストピアを描く必要はない」
「社会の変化はこれからも指数関数グラフの角度がきつくなってくると思うけど、それを見越して、幸せを目指して、楽しみながらそれを迎えていきたいですね、っていうのが望み。そして、そのためのメッセージと(誰かの人生の)BGMを作っている、という感じですかね」
「昨日、録った歌、聴いてみます? まだエンジニアリングしてないから、雑やけど、(このテーマと)つながっていると思う――」
夢見せてよ人工知能
金持ちにも貧乏人にも
進化したDNAで
健康長寿がいいですね〜……もっと行けるさ
きっと見れるさ
全人類の幸せ
新しい未来に今、期待抱いて
一緒に扉開いて 歩いて行きたいね……
DOZAN11(ドーザンイレブン)
1996年、三木道三としてデビュー。2001年、『Lifetime Respect』(徳間ジャパン・コミュニケーションズ)が、日本のレゲエで初のオリコン週間ランキング1位を記録する。2002年、47都道府県ツアーの後、活動休止。活動休止中は、他のミュージシャンの作詞、作曲、プロデュースを手掛ける。「DOZAN11」の名で、2014年に活動を再開し、アルバム『Japan be Irie !! 』(ユニバーサル・ミュージック・ジャパン)をリリース。
末澤寧史(すえざわ・やすふみ)
1981年、北海道札幌市生まれ。兵庫県西宮市在住。ライター、書籍編集者。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。異文化理解につながるテーマを多く取材している。共著に『「わたし」と平成』(フィルムアート社)『廃校再生ストーリーズ』(美術出版社)『東日本大震災 伝えなければならない100の物語⑤放射能との格闘』(学研教育出版)『希望』(旬報社)ほか。
【連載・「わたし」と平成】
平成が終わろうとしています。都会や地方、職場や家庭で日々を生き抜く人々には、それぞれに忘れられない思い出や貴重な体験があります。有名無名を問わず、この30年を生きたさまざまな人物に焦点を当て、平成とはどんな時代だったかを振り返ります。この3月に本連載をまとめた書籍『「わたし」と平成 激動の時代の片隅で』を刊行。