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「『ナンバーワンよりオンリーワン』にも地獄はある」 平成元年生まれの作家・朝井リョウが語る

2019/03/10(日) 09:12 配信

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「『時代』を語ることはできない」と作家の朝井リョウさん(29)は言う。元号が「平成」に変わった1989年に岐阜県で生まれ、20歳の時に『桐島、部活やめるってよ』でデビューした。この3月には「平成」に生きる若者たちを描いた『死にがいを求めて生きているの』が刊行された。元号の節目を迎え、さまざまなメディアから「平成とは?」という大きな質問を投げ掛けられ、そのたびに戸惑う。それでも「これまでに書いてきたことを振り返るかたちなら」と語ってくれた。(笹島康仁/Yahoo!ニュース 特集編集部)

「姉のまね」がWindows95で本格的に

5歳で物語を書き始めた。最初は3歳上の姉の「まね」だったという。

「姉が『ネズミの国の遠足』みたいな物語を自由帳に書いていて、それをまねして書いたのが最初です。5歳くらいだったと思います。小学生になると家にWindows95が届いて、手書きよりも長いものを書けるようになって、主人公が動物から人間になりました。階段から転げ落ちて双子が入れ替わる話とか、ドエンタメばかり書いていました」

(撮影:KOKI SENGOKU)

「小6の時、日記が毎日の課題だったんです。『毎日、とりあえず出さなきゃ』とは思っていたので、大きな出来事はなくても、窓から見える景色とかを描写してどうにか文字数を稼いでいたんです。葉っぱが風に揺れる様子とか、車のライトが通って小さくなっていく様子とか。そしたら、担任の先生が『小説を読んでいるような気持ちになりました』と言ってくれて、ものすごく図に乗りました」

小学校6年生のあるクラスの1年間を1カ月ごとに書き、初めて出版社に投稿した。その物語を読んだ担任の先生の反応が、「小説家」を目指す朝井さんの背中を押したという。

「丁寧に感想を書いてくださったんです。普段の日記へのコメントは、赤ペンでつなげ字でザッて書いた感じだったんですけど、黒いペンで、便箋3枚にびっしり。職員室じゃなくて、家で、『先生』じゃない時間に書いてくれた雰囲気を受け取って、それがとてもうれしかった。文章を間に挟めば、先生と生徒、ではなく、『人』と『人』として向き合ってもらえるんだと感じました。その衝撃を追い求めて今でも書いているようなところがあります」

(撮影:KOKI SENGOKU)

「やばいものを書かなきゃ、と思い込んでいた」

中2の時、19歳の綿矢りささんが『蹴りたい背中』で芥川賞を、高1の時、15歳の三並夏さんが『平成マシンガンズ』で文藝賞をそれぞれ取った。

「『10代で書くべきは純文学なんだ』と思い込み、自分の素質と関係なく、背伸びしたものを頑張って書いていました。高見広春さんの小説『バトル・ロワイアル』を自分のクラスの設定で書いたり、時間も何も分からない部屋に閉じ込められた人がぬいぐるみを1時間ごとに投げ入れられる話を書いたり……何の信念もなく、ただやばいものを書かなきゃ、と思い込んでいました」

「当時はとにかく反応が欲しかったんですよね。小説投稿サイトの黎明期ということもあって、投稿しては感想を心待ちにしていました」

「だけど、それを家族に読まれるという事件が発生したんです。しかも、父が娘を監禁して凌辱する話。そのときに言われた『分かりもしないことを背伸びして書いているのが気持ち悪いから、自分の周りのことを書いたほうがいい』というアドバイスが今でも心に残っています。それからは、中学校に隠れて住んでいる5人組の話とか、自分の身近な世界を書くようになっていきました」

(撮影:KOKI SENGOKU)

「ナンバーワンよりオンリーワン」にも地獄はある

3月発売の新刊『死にがいを求めて生きているの』は、朝井さんのほか、伊坂幸太郎さんや澤田瞳子さんら8作家による競作企画「螺旋プロジェクト」の一つ。古代から未来まで、日本で起こる海族と山族の対立構造を描く物語で、朝井さんは「平成」の筆をとった。「平成以外を書いている自分を想像できなかった」と言う。

「平成を担当することになったものの、『平成の対立』がなかなか思いつかなかったんです。書くべきことが見つからない自分を無価値に感じて、はじめは作家全員が集まる打ち合わせでも発言できませんでした。もともと執筆が滞っているときは『生産性のない私はあったかい布団で寝ちゃいけない』みたいなことを考えてしまう人間なので、今の自分に発言する権利はない、と思っていました」

「あるとき、逆に平成とは、個人間の対立がなくなっていった時代なのかも、と思い当たったんです。学校の成績が相対評価から絶対評価になったり、テストの成績が貼り出されなくなったり、運動会の順位がなくなったり。最近では多様性という言葉がやっと市民権を得て、従来の考え方から脱出して『自分の人生は自分で決めよう』『男らしく女らしくではなく、自分らしく』という声が通るようになってきましたよね。対立じゃないよ、人と比べなくていいよ、という雰囲気が平成なのかな、と思いつつ、そこに眠る違和感の手触りも明確になっていきました」

「人と比べなくていい、と言われたところで、どうしたって比べてしまうんです。私はゆとり教育真っただ中の世代です。個性とか、ナンバーワンよりオンリーワン、みたいな言葉をよく聞いた記憶がありますが、それで解放されたかといったら私はそうでもないんです。むしろ、それまでは何かに置き換えることができていた自分自身の存在価値や意義をずっと問い続ける感覚が強まった。個性があればいい、オンリーワンだから大丈夫って言われるけど、じゃあ自分って何なの、という。ナンバーワンを目指して競争しまくる時代の対立地獄より、オンリーワン、自分らしく、自分の個性で、という世界にある自分地獄のほうが身に覚えがあったんです。それがまさに『生産性のない私は○○する資格がない』思考の根にあるものなのでは、と思ったとき、書ける、と思いました」

(撮影:KOKI SENGOKU)

「自分の位置は自分で、空気を読んで」

「そのようなことを上の世代の方に話したら、『自分たちの時は“君はこれくらいの人間”と外野がジャッジしてくれた。その苦しみもあったけど、朝井くんたちの世代は“自分はこれくらいの人間なんだ”って自ら理解していかなきゃいけないんだね』と。まさにそれだなと思いました。ナンバーワンを目指す世界で『おまえはダメだ』と決めつけられる苦しさより、オンリーワンだからいいんだよと言われる世界にいながら、どうしたって他者と比べてしまう自分に向き合うつらさを身近に感じました。決めつけるようにジャッジしてくる存在がいないから、『自分はあの人よりもダメ』とか『この人よりはまだマシ』とか、日々自分で自分をジャッジし続けることになる。その行為による苦みは、心を内側から侵食していく気がします」

「書いているうち、『自滅』というキーワードが浮かんできました。目に見える形での個人間の対立が奪われていき、自分で自分を探り続けた結果、自己否定のサイクルに陥る。その結果、自滅どころか『爆発』を起こす人もいます。実際に起こった事件の犯人の供述をいくつか読んでいると、自滅からの爆発パターンなんじゃないか、と思うことが結構あるんです」

「でもこの感覚って、それこそナンバーワンを目指して走り続けてきた世代の方々からすると、全く共感できないかもしれない。それを小説にするのはどうかなとも思ったのですが、これまで特に多くの方に読んでいただけた『桐島、部活やめるってよ』や『何者』も、『全く分からない』という層と『すごく分かる!』という層にスパンと分かれたんです。自分にとって身近なことが、ある世代には異物として受け止められる、ということが続いているんですよね」

「例えば『インストール』も、綿矢さんは『びっくりさせるぞ~!』と思って女子高生のエロチャットを書いたわけではないですよね。きっと、それぞれの時代に『作り手が驚かせるつもりなどなく作ったものに、世間が驚く』という現象があって、その作り手というのはこれまで『若い小説家』が多かったのかなと思うんです。『なんとなく、クリスタル』も当てはまるのではないでしょうか。最近、自分は作品が優れていたというより、偶然その席にいただけなんだ、と強く感じます」

(撮影:KOKI SENGOKU)

「自分を待てなくなっている」

「そろそろ、世間を驚かせる作り手が小説家ではなくなっていくのかな、なんて考えるときがあります。今の10代が、表現方法として小説を選ぶって、すごく難しいと思うんです。完成まで数カ月かかる小説より、すぐに作れて、すぐに公開できて、すぐに反応が確認できるもののほうが魅力的に見えて当然ですよね。いろんなモノが便利になった現代人は電車が数分遅れるのも待てなくなっている、という話をよく聞きますが、確かに小説を書いているときも、待てなくなっているな、と感じます。小説を完成させる数カ月先の自分を待てないんです」

「そんな、待てないという感覚も『自滅』につながる要素だと思うので、私は、人生は星座のようだと思うことにしています。星座って、星をとんでもない形でつなげて『この部分はこう迂回して、獅子座です!』って言い張るじゃないですか。『獅子に見えない!』って思うけど、そういうものでもあるのかな、と。『今日の自分は意味ないな、もうダメだ』って思ったとしても、その一日がとんでもない曲線をつなぐこともある。というか、つないでくれなくてもいいんですよね、究極」

「私は、本からおまじないをもらって生きてきた実感があります。次の日から使える特効薬ではなくて、思いもよらないところで溶け出しそうな心の形を整えてくれる一行です。その経験があるから人生星座説を信じようと思えるのですが、自滅しないでいることで地獄を引き延ばしているだけ、という状況もあるとは思います。『死にがいを求めて生きているの』の終盤は、そのあたりのことを考えて筆が止まることも多くありました」

(撮影:KOKI SENGOKU)

「グレーでいい、ずるくていい」

2018年に発表した「健やかな論理」(小説幻冬9月号)には、自殺の理由をテーマに据えた。

「19歳の免許取りたての子が時速150キロとか出して事故死、みたいなニュースを見ると、『なんて健やかなんだろう』と思うんです。『そんなことをしても自分は生きている』と信じられた心に感動するというか、自分の命や人生に対する信頼度の厚さが羨ましいというか。その状態でいられたら、私ももっと黄色い派手なアウターとか着たのかな、とか。人間が亡くなったというニュースなのに、健やかさが光り輝いて見えてしまうんです」

「刑事ドラマなどでは『この被害者は自殺の前日にAmazonで買い物をしているから自殺じゃない』みたいな論法がありますよね。『死ぬだろ』って思うんです。心は論理じゃないから。大好きな人に会った1秒後に電車に飛び込んだとしても何の不思議もない。平井堅の歌詞で『惰性で見てたテレビ消すみたいに生きることを時々やめたくなる』というものがありますが、私も、1+1=2みたいな健やかな論理ではどうにもならない矛盾や、心の中のグラデーションの部分に出会ったとき、小説を書きたい、と思います」

「今、『0か100か』でグレーが認められない感覚があります。だから、こういうインタビューを受けるのは怖いですし、小説家の中でWEBのインタビューはNG、としている方がいるのもとてもよくわかります。永遠に残る場所で発言をすることは、『動物愛護運動に参加してるらしいけど、お前、5年前はリアルファー着てたぞ』みたいな現象の一歩目でもありますから。小説を書いていると実感するんですけど、人間の心って本当にコロコロ変わります。私たちは被害者と加害者を行き来しながら生きています。そもそも『0か100か』ではいられないのだから、もっとグレーで、もっとずる賢くて、全然論理的じゃない心を、これからも書き続けていきたいです」

(撮影:KOKI SENGOKU)

朝井リョウ(あさい・りょう)
1989年、岐阜県生まれ。2010年、小説すばる新人賞を受賞した『桐島、部活やめるってよ』でデビュー。2013年、『何者』で戦後最年少の直木賞作家となる。2014年、『世界地図の下書き』で坪田譲治文学賞受賞。他の著書に『星やどりの声』『もういちど生まれる』『武道館』『スペードの3』『世にも奇妙な君物語』『ままならないから私とあなた』『何様』等。最新刊は『死にがいを求めて生きているの』(中央公論新社)。5月に映画『チア男子!!』が公開予定。

笹島康仁(ささじま・やすひと)
1990年、千葉県生まれ。記者。高知新聞記者を経て、2017年に独立。Frontline Press所属。


【連載・「わたし」と平成】
平成が終わろうとしています。都会や地方、職場や家庭で日々を生き抜く人々には、それぞれに忘れられない思い出や貴重な体験があります。有名無名を問わず、この30年を生きたさまざまな人物に焦点を当て、平成とはどんな時代だったかを振り返ります。本連載をまとめた書籍『「わたし」と平成 激動の時代の片隅で』は3月26日刊行。