木村肇

コンピューターは哲学者に勝てない――気鋭の38歳教授が考える「科学主義」の隘路

7/13(金) 10:31 配信

異例の売れ行きを見せる哲学書がある。ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルさん(38)が書いた『なぜ世界は存在しないのか』。今年1月に邦訳が刊行されると、半年で2万部を超えた。ガブリエルさんは、ボン大学哲学科教授に史上最年少の29歳で就任した気鋭の哲学者だ。彼が語る「危機の時代の哲学」とは。(ライター・斎藤哲也/Yahoo!ニュース 特集編集部)

ガブリエル少年、哲学者を志す

NHKの取材クルーとともに夜の街を歩いていると、「誰? 誰?」と周囲がざわざわし始める。気さくに話しかけてきた男性は、彼が世界的に有名な哲学者だと聞いて、どこかうれしそうだ。テレビカメラが密着取材する哲学者なんて、めったにお目にかかれるものじゃない。

9日間の来日中、ガブリエルさんは、東大、京大、全国紙をはじめ、10件以上の取材や対談、講演に応じた。専門的な哲学の話ばかりじゃない。宇宙物理学、ロボット、民主主義、資本主義など、テーマは多岐にわたっている。「超越論的存在論と統覚的観念論」という舌を噛みそうなタイトルの講演でも、行列ができるほど人が押し寄せた。日本中の知性が彼の話を聞きたがっていたのだ。

明治大学での講演。テーマは「現代のカテゴリー問題とヘーゲル」(撮影:木村肇)

――著書の中で、あなたは小学生の頃から「私たちはどこから来たのか」「私たちはどこに存在しているのか」という二つの問いを持ち続けたと書いています。哲学的な疑問を持ちやすい少年だったんですか。

私の人生では、子どもの頃から、放送局のように哲学がずっと流れ続けているんです。ですから、哲学のことを考えていない自分の記憶がほとんどありません。常に哲学のことばかりを考えています。

――「哲学者になろう」と思ったのはいつ頃でしょうか。

それははっきり覚えています。14歳のときです。当時、私はすごく過激なパーティーに参加しました。どれくらい過激かを言うのは差し控えますけど、まあ家がめちゃくちゃになるようなパーティーでした。このパーティーの中で、誰かがショーペンハウア(19世紀ドイツの哲学者)の有名な一節を読み上げたんです。今でもその内容を覚えています。

1980年、旧西ドイツ生まれ。哲学者。ドイツ・ボン大学教授。後期シェリングを専門としつつ、ピュロンら古代懐疑論からヴィトゲンシュタイン、ハイデガーに至るまで西洋哲学の広い範囲を対象に精力的に執筆を行っている。近年では新実在論の旗手として知られる(撮影:長瀬千雅)

ショーペンハウアは、こういうことを言っています。あなたが、パーティーの次の朝に目覚めたとしましょう。あなたは二日酔いで、どうやって自分がいま目覚めた場所にやってきたのかという記憶がない。昨夜、何が起こったのかという記憶もない。

目覚めたのち、あなたは少しずつ周囲の物事を理解しようとします。そしてだんだんと、コーヒーはどこにあるのかとか、周りにいるこの人は誰なのかといったことを把握していくわけです。ショーペンハウアに言わせると、こうした活動は自然科学の探究に相当します。でも「いったい、ここで何が起きているのか」と問うことは哲学なのだ、というのです。この一節を聞いたことが、哲学というものに関心を抱く大きなきっかけになりました。

ちょうど同じ時期に、スケートボードで足首を骨折したために、夏休み中、家でおとなしく過ごさなければならなくなりました。その間に、カントの『純粋理性批判』をはじめ、哲学書を何冊か読んだんです。このときの読書から哲学にのめり込み、「30歳になる前に哲学者になろう」と決めたんです。

東京大学Kavli IPMU(カブリ数物連携宇宙研究機構)の招きで、理論物理学者の野村泰紀さん(左)と共に講演会に登壇(撮影:長瀬千雅)

シンギュラリティ論はナンセンス

ガブリエルさんは、自然科学の進歩を基本的には歓迎している。しかし、『なぜ世界は存在しないのか』によれば、自然科学だけが客観的であり、万物の尺度だと主張する「科学主義」は、端的に誤っているという。その典型が、現実に存在する全てのものは物質的であると考える「唯物論」だ。

唯物論は、人間の思考も、脳の中のニューロンの状態にすぎないと考える。だとすれば、物質から思考を生み出すこともできることになる。近い将来、人工知能(AI)が人間の知性を超えるというシンギュラリティ論もまた、唯物論の延長にある。

ロボット工学者の石黒浩・大阪大学教授の研究室で(撮影:長瀬千雅)

――未来学者のカーツワイル氏やオックスフォード大学で哲学教授を務めるニック・ボストロム氏らは、近い将来のシンギュラリティを予測しています。あなたは、こうした予測をどのように考えていますか。

ひとことで言えば、そういった考えはすべてばかげているし、ナンセンスです。ハリー・フランクファートという哲学者の言葉を借りれば「ウンコな議論」そのものです。

彼らの根本的な過ちは、知性(インテリジェンス)というものを理解していないことにあります。この秋にドイツ語で出版される私の新しい本は、「人間とは動物でありたくない動物である」という一文から始まります。つまり私たちは、自分の中には、非生物学的なものがあると想像している。それが知性です。

(撮影:木村肇)

私たちの知性は、視覚や触覚などの感覚と同じように、生物学的に複雑な有機体として、物理的な宇宙に適応しています。その意味で、思考することとは、見ることや触ることと同様、一種の感覚の様式なのです。

思考と脳の関係は、歩くことと靴との関係に似ています。私たちは靴を履いたほうがよく歩けます。でも、靴自身が歩くわけではありません。同じように、脳があれば、いろいろなことを考えることができますが、脳という物質が考えているわけではないのです。だから、脳は複雑な構造をもつ知性の一部にすぎません。

石黒浩さんとの対談収録の様子。来日中の密着取材の模様は7月15日(日)午後10時からBS1スペシャル「欲望の時代の哲学~マルクス・ガブリエル 日本を行く〜」として放送される(撮影:長瀬千雅)

あるいは、あなたは次の休暇のために、さまざまな条件を考慮して、ビーチの近くにあるホテルに行こうと考え、実際に行くことができます。航空券やホテルを予約するために、インターネットは非常に有用です。でも、インターネット自体が、ビーチのあるホテルに行こうと考えることはできません。

ですから「人工知能」というものは存在しません。私たちがただそう呼んでいるだけであって、それが知性を持つことはないのです。AI研究者の誰一人として「知性とは何を意味するのか」について何も教えてくれないことも、人工知能が存在しないことを示す顕著な例でしょう。

収録を終えて廊下へ出たところでNHKの取材班に問いかけられ、靴を履くのも忘れて話し続ける(撮影:長瀬千雅)

ニヒリズムに陥る科学主義

科学主義を批判する「ガブリエル哲学」の基本構想は、「世界は存在しない」が「世界以外のすべてのものは存在している」というものだ。「世界は存在しない」とは、唯物論のように世界をたった一つの原理だけで説明することはできないことをいう。

一方、「世界以外のすべてのものは存在する」とは、例えば「わたしたちの住む惑星、わたしの見るさまざまな夢、進化、水洗トイレ、脱毛症、さまざまな希望、素粒子、それに月面に棲む一角獣さえもが存在」している(『なぜ世界は存在しないのか』)ということだ。

一角獣が存在すると聞いて、びっくりする人も多いに違いない。その理由を知りたくなった人は、ぜひ本を手にとってもらいたい。

著書『なぜ世界は存在しないのか』。下の赤いカバーの本はスラヴォイ・ジジェクとの共著『神話・狂気・哄笑』(撮影:木村肇)

――ユヴァル・ノア・ハラリ氏の『サピエンス全史』が示す未来のシナリオも、シンギュラリティ論とよく似ています。ハラリ氏によれば、そう遠くない将来、サピエンスが消滅し、サピエンスがさらに進化した超人が誕生するというわけですから。

なぜ『サピエンス全史』に触れたかというと、あなたの『なぜ世界は存在しないのか』と対照的なものの見方が書かれているからです。ハラリ氏は、国家や企業、民主主義、資本主義など、想像上の秩序はすべて「虚構」であり、自然科学的な事象こそが「客観的」だと言います。それに対して、あなたの哲学は、自然科学的な事象も、国家や企業、あるいは月面に棲む一角獣も、等しく実在することを論証するものですね。

ハラリと私とを関連付けて質問されたのは初めてのことですが、とても鋭い指摘だと思います。ハラリは言ってみれば、自然主義、科学主義の司祭のような存在でしょう。テクノロジーによって人類が消滅し超人が誕生するという彼の本は、聖書のテクノバージョンといえるかもしれません。

ハラリのように、自然科学だけを真実と捉え、それ以外の想像的な事象を虚構と見なす科学主義は、民主主義の基盤を損なうことにつながります。というのも、科学主義は、人権や自由、平等といった民主主義を支える価値の体系を信じないニヒリズムに陥ってしまうからです。

(撮影:木村肇)

民主主義の基盤を掘り崩す3段階の悪役を紹介しましょう。第1段階がペシミスト(悲観主義者)、第2段階は相対主義者、そして第3段階がニヒリスト(虚無主義者)です。

ペシミストは、北朝鮮のように(人権や民主主義という)価値を共有できない国が存在することに悲観的になっているだけです。相対主義者はもう少し病が深い。彼らは、どの国もそれぞれ自分たちの価値やモラルがあり、普遍的な価値はないと信じています。でもこの二者とは、国を問わずに合意できる価値や道徳があることを示す議論はできます。例えば、子どもを虐待してはいけない、ということは、どの国の人だって賛成するはずです。

ニヒリストが最悪なのは、価値そのものを幻想や虚構だと考えるからです。民主主義的な価値について話したところで、ニヒリストには空疎な話にしか聞こえない。これは民主主義にとっては破壊的です。ドイツのメルケルやカナダのトルドーよりも金正恩のほうが好きなトランプは典型的なニヒリストでしょう。彼は民主主義的な解決のさじを投げてしまっているわけですから。

(撮影:木村肇)

サイバー独裁か、普遍的ヒューマニズムか

ガブリエルさんは、自身が打ち出した新しい実在論(何が実在するのかを問う哲学的議論)を、「ポストモダン」以後の時代を特徴付ける哲学的立場と位置付けている。ポストモダンとは、1970年代から80年代にかけて世界的に流行した脱近代の思想をいう。

百花繚乱のポストモダン思想をひとくくりに説明することはできないが、その大きな源泉の一つに19世紀のニーチェの哲学がある。ニーチェは、絶対的な真理や価値など存在せず、あらゆる価値は解釈にすぎないと言った。

ガブリエルさんの「世界以外のすべてのものは存在している」という主張は、ニーチェを継承したポストモダンを乗り越えようとしているのだ。

――科学にしか真理を認めない科学主義は、ニヒリズムに結び付きやすいということでしょうか。

そう。例えば、人間の意識を物質的に還元して説明できると考える神経中心主義は、「真理は存在しない」という通俗ニーチェ主義者にほかなりません。というのも、神経中心主義は、わたしたちが認知している現実を、脳による幻影にすぎないと考えるからです。その意味では、トランプも科学主義者も、普遍的な価値を否定するポストモダニストなのです。

大阪・十三の街角で地元の青年に話しかけられ、気さくに応じる(撮影:長瀬千雅)

――ポストモダンの時代以降、確かに相対主義やニヒリズムの傾向は強まっているように思います。例えば私たちは、かつてのように人類の進歩を素朴に信じることはできなくなっています。でも、ガブリエルさんの本からは「精神の進歩を諦めるべきじゃない」というメッセージを非常に強く感じたのですが。

それは正しい指摘です。精神の進歩という考え方に関して、ヘーゲルの哲学はしばしば誤解されてきたし、誤読もされてきました。ヘーゲルは「歴史とは、自由という意識の進歩である」と言っています。これは、物事が転ぶ方に身を任せていれば、勝手に自由が進歩すると言っているわけではありません。そうではなく、私たち自身が行動しなければ、歴史は生じないとヘーゲルは考えているんです。だから、人間が歴史を持つことができるかどうかは、私たちの行動次第です。

でも、進歩はテクノロジーの発展によって生まれるものではありません。例えば中国は、テクノロジーと自然科学の力によって、自由がどんどん失われています。サイバー毛沢東主義とでも呼ぶような独裁と監視社会化が進行しているのです。

テレビカメラを見付けて寄ってきた若者たちとポーズをとる(撮影:長瀬千雅)

残念なことですが、私たちは危機の時代に立たされています。「危機(クライシス)」という言葉には、分かれ道という意味があります。また、クライシスの語源であるギリシャ語のクリネインには「決断する」という意味があります。

したがって私たちは今、これからの100年のために、分かれ道の前でどちらに進むかを決めなければなりません。一方の道は、世界規模のサイバー独裁や全人類の滅亡に続きます。これがまさにハラリが示したものです。そしてもう一方には、普遍的なヒューマニズムを追求していく道があります。こちらは、あらゆる人間存在の中の同一性を認識し、それを人類のこれからの発展のための原動力にしていく道です。後者に進むのであれば、私たちは、さまざまな人間存在のあり方を会議のテーブルに持ち寄り、グローバルな格差をなくしていくためのシステムを共につくらなくてはなりません。それができて、人類滅亡というファンタジーは消え去っていくのです。

(撮影:長瀬千雅)

――ガブリエルさんの哲学と関連付けると、前者の道は「世界は存在する」と考えることに相当するのですね。

ええ。全くそのとおりです。第1の道は、一つの世界像があると思い込み、それに基づいて人間を操っていくことを意味します。それは幻覚の道です。なぜなら、「一つの世界像」は論理的に成り立たないものだからです。

もう一つの道は現実の道、そして無限の自由の道です。「世界が存在しない」ことは、私たちの自由の源泉です。世界が存在しないからこそ私たちは、こういうことをやってもいいし、ああいうことをやってもいいと感じることができるのです。

(撮影:木村肇)

――後者の道を進むために、哲学には何ができるでしょうか。

哲学には、さまざまな声を統合する力があると思います。なぜなら、哲学は普遍的理性を媒介に表現されるものだからです。哲学とはプラットフォームであり、そのプラットフォームに立てば、さまざまな専門分野の状況を俯瞰(ふかん)することができるのです。

私の方法論について、誰かに皮肉っぽく次のようなコメントをもらったことがあるんです。「ガブリエルは何をするにせよ、それをメタからやってしまう」と(笑)。つまり、哲学は常に一段高いところから見るのです。これは、ヒエラルキーの一番上にあるということではありません。そういった神のような視点はありませんからね。ただ単に一つ上の層に上る能力があるにすぎません。

普遍的なプラットフォームに立つ哲学には、専門の細分化によって生じる病を治療していく力があります。しかし、それをたった数人の専門的な哲学者に委託するわけにはいきません。誰もが、読み書きや計算と同じように、哲学的に考えるトレーニングを受けなければいけないのです。哲学の専門家は、そういったことに非常に長けているにすぎません。だから、チェスのプロと同様に、無敵というわけではないんです。あなたにも、元チェス王者のカスパロフに勝つ可能性はあります。ただ単に難しいというだけです。だけど、コンピューターは哲学者に勝つことはできません。なぜなら哲学は、ルールのないチェスのようなものだからです。

(撮影:木村肇)


斎藤哲也(さいとう・てつや)
1971年生まれ。東京大学哲学科卒業後、Z会に入社。ネット編集の仕事を経て、2002年7月からフリーランスに。数多くの人文書や新書の編集、構成を務める。編著に『哲学用語図鑑』『続・哲学用語図鑑』など。

[通訳]
セバスチャン・ブロイ
[写真]
撮影:木村肇
監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝
[撮影協力]
東京堂書店


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