【アメ村・飲酒逆走事故】は、なぜ「過失」で処理されたのか… 娘亡くした母が驚愕の判決文を公開
「2月11日、娘の93回目の月命日を迎えました。5月には事故から8年を迎えます。でも、どれだけ月日が流れても、変わり果てた遺体と対面したあの日から私の心は止まったままです。そして今も、飲酒による暴走死亡事故を『悪質とまでは言えない』と言い切った刑事裁判の判決文を受け入れることはできません」
強い口調でそう語るのは、大阪府の河本友紀さん(50)です。
河本さんの長女で看護師の河本恵果さん(当時24)が、大阪市中央区のアメリカ村で飲酒逆走事故の犠牲になったのは、2015年5月11日のことでした。
恵果さんはこの日、友人の女性と自転車で走行中、突然、駐車場から飛び出し一方通行を逆走してきた乗用車に衝突され、頭部を轢かれ、命を奪われたのです。
この事故で、恵果さんの友人女性は腕を骨折する大けがを、現場のすぐ隣でハンバーガーショップを経営していた外国人の男性も軽傷を負いました。
自動車運転処罰法違反(過失致死傷)容疑で現行犯逮捕された加害者の女(当時25)の呼気からは、基準値を超える0.25mgのアルコールが検出され、酒気帯び運転は明らかでした(以下、事故当日の報道参照)。
●「アクセルとブレーキ間違えた」 飲酒運転の女逮捕 アメ村の死傷事故 - 産経ニュース (sankei.com)
■裁判官は言った「遺族感情は峻烈だが悪質とまでは言えない」
この飲酒逆走事故は、当初「過失運転致死傷罪」で起訴され、納得できなかった遺族が署名活動を展開。メディア各社も「危険運転致死傷罪」で裁かれるべき事案ではないかと大きく報道しました。しかし、最終的に高裁でどのような判決が確定したのか……、その詳細はあまり知られていません。
河本さんは語ります。
「うちの事件は、裁判の途中で異例の訴因変更が認められ、『危険運転致死傷罪』として裁判員裁判が開かれました。そのため、この報道を見た多くの方は、被告にさぞ重い刑罰が下されたと思っておられるようです。でも、実際はそうではありませんでした。大阪地裁の飯島健太郎裁判長は、結果的に『過失運転致死傷罪』と判断し、懲役3年半(360日の未決拘留含む)という判決を下したのです」
一審の判決文には、『危険運転致死傷罪』を適用しなかった理由について、以下のように記されていました。ごく一部ですが抜粋します。
●『被告人の過失自体は、反射的な行為をした際の不注意によるものであり、とりわけ悪質なものとまでは言えない』
●『被告人のアルコール濃度は1ℓあたり0.25mg程度にとどまっており、被告人が運転しようとしていた距離も短いものであったことからすると、酒気帯び運転の中で悪質とまでは言えない』
●『本件は、死亡被害者1人を含む過失運転致死傷を中心とする事案の中では比較的重い事案であるものの、特別重いとまではいえない』
「この判決文を読んだときは、まるで娘の命を馬鹿にされているようで、悔しく、悲しくてたまりませんでした。その上、『遺族感情は峻烈だが、事故は悪質ではない』と書かれたことで、SNS上では私たち遺族をただのクレーマーのように叩く人たちもいたのです」(河本さん)
■危険運転致死傷罪に訴因変更されるも、判決は「過失」で確定
一審判決を受け入れることができなかった河本さんら遺族は、検察に控訴を求めました。それを受けた検察は、判決を不服として控訴。しかし、事故から2年5か月後、大阪高裁が下した判決は「棄却」でした。
事故発生から高裁判決確定までの経緯については、以下をご覧ください。
【2015年】
- 5月 11日 事故発生。「自動車運転処罰法違反(過失致死傷)」容疑で加害者逮捕
- 29日 容疑を「危険運転致死傷」に切り替えて送検
- 6月 1日 大阪地検、「過失運転致死傷」に切り替えて起訴
- 6月 末 遺族が支援者らと署名活動開始
- 8月 7日 7万5000筆の署名を添え、「危険運転致死傷罪」への訴因変更を求める上申書を大阪地検に提出(その後、計17万1329筆に)
- 8月 19日 支援者と共に最高検に上申書を提出
- 11月11日 大阪地検、「危険運転致死傷罪」への訴因変更を大阪地裁に請求
- 11月16日 大阪地裁、訴因変更を認める
【2016年】
- 10月17日 「危険運転致死傷罪」の事件として、裁判員裁判による初公判
- 11月 2日 被告に「過失運転致死傷」で懲役3年半の判決(大阪地裁)
- 11月 検察官が判決を不服として控訴申立て
【2017年】
- 10月 5日 大阪高裁が控訴棄却
- 10月18日 「過失運転致死傷」で懲役3年半の判決確定
大阪高裁の判決文には、控訴棄却の理由が以下のように書かれていました。
●『踏み間違えに気づかずにアクセルペダルを踏み続けるという運転操作のミスは、飲酒していない運転者でも犯し得るミスであるから、そのような運転操作の誤りが、アルコールによる正常な運転が困難な状態にあったことに直ちに結びつくものではない』(大阪高裁・西田眞基裁判長)
これを読んだ河本さんは、さらに大きなショックを受けたといいます。
「結果的に高裁も、飲酒運転は認めながら、事故に飲酒の影響はなかったというのです。これまで多くの遺族の方々が飲酒事故の危険性を訴え、法律まで変えてきたというのに、なぜ裁判所はこのような判断ができるのか……、愕然としました」
■「正常に運転できる状態ではなかった」と被告は供述
ではなぜ、「危険運転致死傷罪」に訴因変更されながら、判決では適用されなかったのか。裁判書類をくまなく読み込んだ河本さんは「加害者の供述変遷」が大きく影響したのではないかと言います。
「被告の供述によると、車を駐車場に停めた後、まずコンビニで500mlの缶ビール1本を購入してそれを飲み干し、友人と約束していた店では大き目のグラスで生ビールを3~4杯飲んでいます。数時間後、店を出た被告は空腹感を覚え、今度は車の中でラーメンを食べようとコンビニでカップ麺を購入。その直後、熱湯を入れたラーメンを袋に入れ、頭上に上げて歩くというにわかに信じられないような行為をしていました。その姿は、防犯カメラにも映っています。さらにこのとき『ビールは飽きた』と、瓶入りのカクテルも購入していたのです」
実際に、被告自身も警察の取り調べで以下のように供述していました。
『酒を飲んで酔っていたせいで集中力がなくなっていたのか、少しぼーっとしてしまい、カップの内側ぎりぎりまでお湯を入れてしまいました。コンビニから出てすぐの道路上で、平坦で段差など何もないのに、左右によろけるようにふらつきラーメンのお湯をこぼしてしまいました。このとき、お湯が手とズボンにかかったのですが、お酒の影響で感覚が鈍くなっていておおざっぱになったり、体の感覚自体が鈍感になっていて、あまり熱さを感じませんでした』
そして、こんな言葉も残しています。
『私はお酒に酔っている状態で車を運転しましたが、このときは正常に運転できる状態ではなかったのです』
事故は、まさにこの直後に発生していたのです。
河本さんは言います。
「この供述調書を読む限り、私には酩酊状態のように思えました。それだけではありません。事故車の中にはカップ麺の他に開封済みの350mlの発泡酒も落ちていました。事故直後の取り調べでは、それをいつ、どこで買ったかさえ記憶にないと供述していました」
ところが事故から1年半後、刑事裁判が始まると、被告は発泡酒を買った店を思い出し、衝突時の状況について詳細に語り始めたといいます。
「法廷では、『アクセルを踏み違えるとき、右足のかかとが浮いた』 と、しらふでも覚えていないような細かいことを証言したので驚きました。また、逆走について当初は『自宅方向が左側だったから左に曲がったと思う……』とあやふやな言い方をしていたのに、『衝突するかもしれないと思い、回避行動をとった』と説明を変えました。客観的な証拠と被告の供述が整合しないため、たまりかねた検察官が『あなたが取り調べで話したことと、今日話したことがかなり違う』と追及すると、被告は『弁護士さんと証拠の防犯カメラを見て思い出しました』と答えました。つまりそれは、『思い出した』のではなく、映像を見て『覚えた』のではないでしょうか? ちなみに、検察での取り調べは録音、録画されており、被告が検察官に語った内容は、客観的な証拠として残っているのですが……」
■救護も救急への通報もしていなかったのに・・
さらに、河本さんは「救護」についての事実認定にも納得できないといいます。
地裁、高裁の判決文には、それぞれこう書かれています。
●『被告人は事故直後に本件車両を降りて被害者が倒れている方へと走り寄り、A(同乗者の一人)にも救急車を呼ぶように頼むなどその場に応じた行動をとっていた』(大阪地裁判決より抜粋)
●『被告人は、事故後に彼害者らのもとにすぐに駆け寄り、声をかけるなどし、救急車を呼ぶため携帯電話を取りに本件車両に戻ったり、パニックになっているAらに対して、被害者に声をかけるように指示したりするなど、事故後適切さを欠くことのない相応の行動をとっているといえる』(大阪高裁判決文より抜粋)
しかし、河本さんはこう指摘します。
「実は、この事故で受傷された外国人の男性は、自身も怪我を負いながら、頭から血を流して倒れている恵果に駆け寄って脈を取り、めくれたスカートを直し、近くの店から110番通報をしてくださいました。被告が車から降りてきたのはそれからしばらく経ってからで、背後から一度だけ『大丈夫?』と声をかけてきたので、『大丈夫じゃないよ!』と答えると、その後は、車の後ろ側に座り込んで何もしてなかったと証言されています」
事故から5日後に取られた調書には、それを裏付けるかのような被告の供述が記録されていました。
<被告の供述調書より>
「警察に捕まる」と思った次の瞬間、私は(同乗者の)AとBに、「ごめんね、私が悪いから、二人とも逃げていいから、どっか行って」と言いました。つまり、私が飲酒運転をしていることは二人とも知っていて一緒に乗っていたのだから、二人ともこの場に残っていたら、私と一緒に警察に捕まって人生が終わってしまう。(中略)これ以上の迷惑はかけれない。
その後、AとBは車から降りたのは間違いありません。しかし、助手席のドアはビルにぶつかって開かなかったと思うので、たぶん後部席から降りていると思います。(*被告の車は左ハンドル)
この供述を見る限り、被告は事故直後、被害者の救護より同乗者を逃がすことを一番に考えていたことがわかります。
河本さんは言います。
「また、被害者の男性の証言によると、2人の同乗者は遠く離れたところから見ているだけで、携帯も手に持っていなかったそうです。救急車を呼んだのも彼女たちではありません。それなのになぜ、裁判官は『適切さを欠くことのない相応の行動をとっている』と認定したのでしょうか」
2022年の夏、私は大阪ミナミの事故現場で河本さんとお会いし、お話を伺いました。以下はそのときのインタビュー動画です。
事故状況のほか、被告の供述変遷について話しておられますのでぜひご覧ください。
(*河本さんのお話の中で、未決拘留が240日となっていますが、実際は360日の誤りです)
<母・河本友紀さんの現場からの訴え>
■加害者の供述変遷はどこまで許容されるのか
「先日、柳原さんが取材された『両親死傷の瞬間とらえたドライブレコーダー 法廷で蛇行・逆走シーン流れるも、被告は「記憶にない」』という記事を読みました。この事故の被告も公判開始後、事故直後の供述内容を大きく変えており、非常によく似ていると思いました。うちの場合は訴因変更されたことで裁判員裁判になり、結果的に『統合調書』といって一部の調書しか表に出なかったので、裁判員も判断が難しかったのかもしれません。でも、そもそも事故直後の供述をここまで変えてもよいのか、疑問を感じざるを得ませんでした」
ちなみに、一審の裁判官は被告の供述変遷についてこう述べています。
●『変遷があるがために被告人の公判供述が信用できないとは言えない』(大阪地裁判決文より)
たしかに、供述調書が100%正しいとは言いきれないケースもあります。実際に、警察や検察の強引な取り調べで不本意な供述調書を取られ、冤罪を訴える被害者がいるのも事実です。しかし、本件の場合、飲酒運転で暴走し、その結果、死亡事故が起こったことは事実です。大きく翻った供述をもとに、一連の行為を「悪質ではない」と評価すれば、飲酒運転厳罰化の根底が揺らいでしまうのではないでしょうか。真実はひとつのはずです。
河本さんは悔しそうに語ります。
「そもそも、悪質ではない飲酒運転などあるのでしょうか。何の罪もない人の命が奪われているのに、『特別重いとまでは言えない』なんて……。遺された遺族の心もあの判決に殺されたようなものです。 まさに『司法』ではなく『死法』です。とにかく、危険運転致死傷罪は認定のハードルが高すぎます。結果的に、生きている者の言い分だけが通ってしまったこの判例が、今後、悪い方向に使われないか、私はそれが心配でたまらないのです」
<関連記事>
飲酒.逆走.信号無視.異常な高速度…悪質事故の被害者遺族を苦しめる「危険運転致死傷罪」の壁
【この記事は、Yahoo!ニュース個人のテーマ支援記事です。オーサーが発案した記事テーマについて、一部執筆費用を負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】