草刈民代が新型コロナ禍でつかみ取ったもの
バレリーナとして一時代を築き、1996年に映画「Shall we ダンス?」で女優として日本アカデミー賞最優秀主演女優賞などを獲得した草刈民代さん(56)。2009年にバレエの世界を引退後は役者としてキャリアを積み重ねてきました。今月19日から上演される舞台「物理学者たち」(26日まで、東京・本多劇場)にも出演しますが、昨年からの新型コロナ禍で仕事にも大きな変化が訪れる中、たどり着いた境地とは。
プロが埋もれている
去年5月、YouTubeで動画を発表したんです。踊りのプロ8人が自宅で撮影したダンス映像をもらって私が構成したものをアップしました。
1回目の緊急事態宣言の中でみんな手探りながら、各分野の方々が様々な発信をされていた時期でした。
歌手の方は歌う動画をアップし、役者さんはお芝居、アスリートの方はストレッチ動画なんかをあげてらっしゃって、それがメディアでも取り上げられてました。ただ、踊りの分野からの発信というのが、私が見る限り、ほとんどないような気がしたんです。
今は若い人たちを中心にTikTokなんかも流行っていて、誰でも面白い踊りを投稿できる時代でもあります。そういうものがたくさんある中、プロがプロの力を見せているプロの表現が埋もれちゃってるなと思いまして。
踊り関連の動画はたくさんあるけれど、プロの発信が見えてこない。私がバレリーナとして現役としてやっていた時よりも、今は踊りで勝負している人のジャンルも数も増えて、世界を舞台に活躍している人もたくさんいる。
なのに、踊り手の発信が見えてこないのは残念だなと思ったんです。そこで、私なんかが恐縮ですけど「いっちょ、やってみようか!」と思ったんです(笑)。
今だからこそできること
各分野のトップダンサーの方々に声をかけさせてもらって、それぞれが家で踊って自撮りした映像をいただきました。
それを私が構成して一つの作品にするという流れだったんですけど、まさか私がそんな映像を作るなんて日が来るとも思ってなかったですし、さらには、その映像を見てくださった方から「これを実際に公演にしませんか?」というお声までいただくことになったんです。
実際、オーチャードホール(東京)、オーバード・ホール(富山)といった大きな会場で公演をさせてもらう流れにもなりました。
新型コロナ禍という大変なことが起点にはなったんですけど、結果的には大きなうねりが生まれることになりました。その意味においてはすごく意味のある時間になったなと感じています。完全に、想定外でしたけど(笑)。
最初は「バレリーナとしては引退してるのに、その私が動くってどうなんだろう」という思いもあったんです。
だけど、今の自分が動くことによって若い人たちに伝えることもたくさんありましたし、伝える中で、バレエからお芝居の世界に来てからの自分が積み重ねてきた10年強の意味も改めて理解できた気もしました。
これは動いてみて感じたことですけど、幾重にも意味のある時間だったなとすごく感じています。
今ある時間を無駄にしない。コロナ禍で不自由なことがたくさんあるけど、その中だからこそできるものも必ずある。そして、プロがやるからこそ、伝わるものもある。言葉にするとスンナリしちゃうことかもしれないけど、そこを強く再認識しました。
ただ、去年から今年にかけてはとんでもないくらい消耗が激しかったです(笑)。それだけ考えて、それだけ動いた証拠なんでしょうけど「この歳になってこれほど動くの?」と思うくらいの消耗度でした。
でも、それだけのことをやりきらないと見えないものがあるし、私も基本はアスリートですからね(笑)。まだ体力があるうちは、怖がらないでやりきる。それを学びましたし、これからも続けていきたいと思っています。
■草刈民代(くさかり・たみよ)
1965年5月10日生まれ。東京都出身。ワタナベエンターテインメント所属。73年からバレエに取り組み、バレリーナとして多くの賞を獲得する。96年に「Shall we ダンス?」で映画に初出演で初主演。同年、同作で監督を務めた周防正行氏と結婚。同作で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞やキネマ旬報新人女優賞などを受賞する。2009年、自身がプロデュースも兼ねた公演「エスプリ〜ローラン・プティの世界〜」でバレリーナを引退。女優業に軸足を置きNHK大河ドラマ「龍馬伝」(10年)でテレビドラマに初出演する。9月19日から舞台「物理学者たち」(26日まで、東京・本多劇場)に出演。他の出演者は温水洋一、入江雅人、中山祐一朗、「我が家」坪倉由幸ら。