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映画「男はつらいよ」の撮影隊が滞在した温泉宿――。宿の主だけが知る”寅さん”とは?【昭和100年】

山崎まゆみ観光ジャーナリスト/跡見学園女子大学兼任講師(観光温泉学)
渥美清が滞在した客室。今も宿泊できる(撮影・筆者)

平成元年の十一月八日から十一日の三泊四日で、渥美清、山田洋次監督、吉岡秀隆やマ ドンナ役の檀ふみと後藤久美子が揃って、佐賀ロケの宿泊先として古湯温泉「鶴霊泉」にやってきた。

古湯温泉で最も歴史ある「鶴霊泉」の小池英俊会長がその時の様子を話してくれた。

「『男はつらいよ』といえば、本当に有名な映画でしたから、集落に五〇〇〇人しか住民がいないのに、うちの玄関前に五〇〇人も集まってきました。ここらの大人という大人は観にきたんじ ゃないかな」

静かな温泉地が一気に華やいだわけである。

渥美清の素顔について、「映画でのフ ーテンの寅さんは、威勢よく啖呵きるじゃないですか。 でもご本人は 本当に物静かで、物腰やわらかな人なんですよ。寅さんとはまったく別人で、私なんて、 最初はその違いに拍子抜けしました。本当に正反対なんだから」と寅さんと渥美清のギャ ップを勢い込んで語る。

滞在中に、渥美清の撮影が休みだった日が一日だけあった。

「渥美さんはずっと客室で本を読んで、静かに過ごしていました。浴衣ではなく、ご自身 が持ってこられたスウェットの上下で寛がれていました」

撮影をしていた時の渥美清の様子を尋ねると、

「私達の前では辛そうな顔は見せなかったですが、顔色は悪かった。調子の悪さを決して表に出さない姿はプロフェッショナルだなと思いました。ただね、吉野ケ里遺跡や小城の方に撮影に出かけて、夕方に帰ってきた時は、本当に体調が悪そうで……、辛そうでし た」

(中略)

撮影を終えて、渥美清が「鶴霊泉」から出発する時のこと─ ─。

「鶴霊泉」の玄関に皆が揃い、お見送りをしようと待っていると、渥美清が階段を下りてきた。 渥美は靴をはき、立ち上がる。

すると、半身ほど振り返り、右下斜め四五度にスッと視線を落とし、横顔を見せて、 「寅は、けぇります」 そう、一言を残して去った。

「皆さんが帰った後に、母と『カッコ良かったね~、寅さんだったね』と感激したことを三五年近くも前なのによく覚えています。

僕にとって渥美さんは映画の寅さんそのままでした」と小池社長は渥美清を真似て、何度も私に話してくれた。

「お世話になりました」「また来ます」といった、月並みな別れの言葉を交わすのではなく、世話になった地元の人たちのためだけに、渥美清は車寅次郎として、あのしみじみとした温かみのある口調で「寅は、けぇります」とだけ言い残した。 まるで映画の一シーンではないか。 小池社長が話してくれた時、寅さんがそこにいるような気がした。

渥美清が宿泊した二階の部屋「喜寿」に私も泊まった。

かつての畳の間をフローリング にしてベッド二台を置くなど、リニューアルはされているものの、大きな窓から見える風 景は当時のままだ。 嘉瀬川が静かに流れ、奥には雑木林が広がり、正面には大きな桜の木が鎮座する。龍や松が見事に彫り込まれた欄間もそのままで、いま私の目の前の光景を、あの渥美清も見たのかと思うと、じんわりと喜びが込み上げる。

※この記事は2024年6月5日発売された自著『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』から抜粋し転載しています。

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ありがとうございます。
観光ジャーナリスト/跡見学園女子大学兼任講師(観光温泉学)

新潟県長岡市生まれ。世界33か国の温泉を訪ね、日本の温泉文化の魅力を国内外に伝えている。NHKラジオ深夜便(毎月第4水曜)に出演中。国や地方自治体の観光政策会議に多数参画。VISIT JAPAN大使(観光庁任命)としてインバウンドを推進。「高齢者や身体の不自由な人にこそ温泉」を提唱しバリアフリー温泉を積極的に取材・紹介。『行ってみようよ!親孝行温泉』(昭文社)『女将は見た 温泉旅館の表と裏』(文春文庫)『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』(潮出版社)温泉にまつわる「食」エッセイ『温泉ごはん 旅はおいしい!』の続刊『ひとり温泉 おいしいごはん』(河出文庫)が2024年9月に発売

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