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「寅に翼」で話題の長岡空襲――。「長岡花火」を制作した山下清が祈る平和

山崎まゆみ観光ジャーナリスト/跡見学園女子大学兼任講師(観光温泉学)
長岡花火財団HPより

話題の朝の連続テレビ小説「虎に翼」で好演中の高橋克実さんは、“くせもの”杉田太郎を滑らかな方言で表現している。長岡で生まれ育った私が聞いても、全く違和感なく、むしろ耳ざわりがいい。さすが、物語の舞台となっている三条のご出身である。

その高橋さん演じる杉田太郎は、長岡空襲で家族を亡くしている。第17週のラストでその史実がわかったのだが、故人を想い、高橋さんが嗚咽する演技には、多くの人が涙を誘われただろう。

そして今日の放送も、正面から戦争を捉えた回だった。

昭和20年8月1日22時半。

新潟県長岡市にB29大型爆撃機が来襲し、市街地を爆撃。旧市街地の8割が焼け野原となり1,488名もの尊い命が失われた。

その1年後の昭和21年8月1日に、長岡まつりの前身である「長岡復興祭」が開催。

だから長岡花火は、ただの夏の風物詩だけではない慰霊と鎮魂の意味がある。

毎年、8月1日22時半には鎮魂の花火「白菊」が打ちあがるが、昨夜の3発の「白菊」も私は見上げた。

今夜(8月2日)と明日(3日)開催される長岡大花火大会の冒頭も、

「白菊」が上がる――。

鎮魂の花火「白菊」にまつわる物語は、拙著『白菊-shiragiku-: 伝説の花火師・嘉瀬誠次が捧げた鎮魂の花』をご覧頂きたい。

「長岡の花火」を制作した山下清が平和を祈る

日本一の大花火と誉れ高い長岡花火に感嘆し、「みんなが爆弾なんかつくらないできれいな花火ばかりつくっていたらきっと戦争なんて起きなかったんだな」と、大作「長岡の花火」を制作した天才画家・山下清。最期の言葉も「今年の花火見物はどこへ行こうかな」だった。

山下清のはり絵 が大浴場の壁画に

山下清が、一度だけ、浴場のためにはり絵を作成したことがある。

それは群馬県みなかみ町に湧く、みなかみ温泉郷上牧温泉「辰巳館」へ贈った作品だ。そしてその絵を特殊ガラスで再現し、浴場の壁画にしたものが、いまも「辰巳館」の大浴場にある。

「辰巳館」に展示されている山下清の作品(「辰巳館」提供)
「辰巳館」に展示されている山下清の作品(「辰巳館」提供)

山下清が「辰巳館」に滞在中は、客室から見える谷川連峰と利根川の渓流をずっと眺めていた。

山下清と弟の辰造と宿のオーナーの深津禮二さんと三人で谷川の山へスケッチに出かけたことがある。

深津さんは山下清が描くための画用紙を持ち歩く係だった。

「山下清画伯は、スケッチが完成しなくても、興味がわく風景やものと出合えば、描きかけのスケッチを投げ捨て、私から画用紙を取り、新しいスケッチを始めました。弟さんは、画伯が描き散らしたスケッチ画を拾って歩く。そんな珍道中を三人でやっていました」

深津さんが笑みを見せ、思い出深げな表情をするのは、スケッチ行脚のお昼時のことだ。

「画伯は白いご飯を大きくにぎったおにぎりが大好物でした。澄んだ空気をご馳走に、みんなでおにぎりを腹いっぱい食べました」

『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』から一部抜粋。

観光ジャーナリスト/跡見学園女子大学兼任講師(観光温泉学)

新潟県長岡市生まれ。世界33か国の温泉を訪ね、日本の温泉文化の魅力を国内外に伝えている。NHKラジオ深夜便(毎月第4水曜)に出演中。国や地方自治体の観光政策会議に多数参画。VISIT JAPAN大使(観光庁任命)としてインバウンドを推進。「高齢者や身体の不自由な人にこそ温泉」を提唱しバリアフリー温泉を積極的に取材・紹介。『行ってみようよ!親孝行温泉』(昭文社)『女将は見た 温泉旅館の表と裏』(文春文庫)『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』(潮出版社)温泉にまつわる「食」エッセイ『温泉ごはん 旅はおいしい!』の続刊『ひとり温泉 おいしいごはん』(河出文庫)が2024年9月に発売

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